僕は春巻きが好きだ。付き合い始めた頃、僕がそう言ったものだから妻はよく春巻きを作ってくれた。皮の巻き終わりを下にして焼くといいのよ、と口癖のように言っていた。彼女は癇癪持ちで浮気性で、しかし哲学者でもあった。もう動かない彼女を布団で巻いて、巻き終わりを下にする。さあ後は焼くだけだ
片付けるのが下手な女である。先日よろけて棚にぶつかり、古い箱を落とした。何を入れたか記憶になかったが、開けると悪魔の角が入っていた。イチョウ並木で拾ったもので、まだ幼い悪魔のものなのだろう、親指ほどしかない。黒くて凸凹した角は見事にカビていた。悪魔にもカビが生えるんだなと思った
私達の種族の特徴は優れた脳があることで、光届かぬ海底とか、吹雪渦巻く高山とか、常人には踏破できぬ秘境にも明晰な脳を駆使して辿り着くことができる。繁殖のため旅半ばで定住するが、私はこの鍾乳洞に住むことに決めた。さっそく頭蓋骨を割って自らの脳を取り出す。もう旅はしないので脳は必要ない
ランプ虫に生まれてこのかたずっと光っている。曇りガラスに囲まれた直径15㎝ほどの空間に燈芯がひとつ。玄関先に金属環で吊るされて頼りなく揺れる。ランプ虫だから精一杯体を揺すって発光する。心浮き立つときは黄金色に、そうでないときは白茶けた灰色に。ランプ虫はランプの外の世界を知らない
ペットショップで手のひらサイズの闇を見かけて衝動的に連れ帰った。中年女性の冷えた心の闇と陽気な中学生男子の荒ぶる闇を掛け合わせたものだという。人慣れぬ様子の小さな闇はモゾモゾ蠢きながら布団に潜り込んできた。翌朝、朝の光の中で闇は少しばかり大きくなった気がする。日々の楽しみができた
新大阪からこだまに乗った。ふと目覚めると車内が暗い。停電かと思ったが、やがて見知らぬ駅で列車は止まった。駅名は「硝子島」。降りてみるとホームは硝子でできている。「君は燃料用の人間?ならあっち」駅員が指さした方向を見て後悔した。改札口と書かれたそこには真っ赤な溶鉱炉が口を開けている