![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151390381/rectangle_large_type_2_134f3142ecadc80a9d8075989bb55cd5.png?width=1200)
友達との関わり方がわからなくなっていた自分へ
おはようございます!
ピアノを練習していたり、作曲を独学で学んだりしているオレワタルです!
最近はピアノ練習の後に動画を撮って、その様子を毎日Youtubeに投稿しているので是非Youtubeチャンネルの方も覗いてみてください!
この土日の二日間でとんでもない量の太陽を浴びたからなのか、一切体が動かなくなる地獄の数時間を過ごしましたが、そこから回復もしてきてまた必死に働こうと思っているwataruです。
ということで本日は「友達との関わり方がわからなくなっていた自分へ」というテーマでお話をしていこうと思います。
というのもここ数日のブログでも何度かお話をしたと思うのですが、この夏のお盆あたりの季節になると昔からの友人や普段あまり会わない友人たちと会う機会が増えてそこで色々な進展を聞いたり、昔話に花を咲かせたりするのですが、それも終わり今年のお盆を振り返って見たときに個人的に色々と感じることがあったんですね。
というのも僕は普段から好き嫌いなく人を受け入れるとか、まずは否定をしないでその人の話を聞いてみる、みたいな受け入れるという部分に対してすごく意識をしていて、色々な人の考え方とか、色々な人の生き方を尊重しながらそのエッセンスを自分の中に取り入れたり、何かのプラスにできればなあみたいな思考で生きていたと思っていたし、実際にそういう思考みたいなものはこのブログ内でも随所に現れていると思っているんですが、、、
ただ心の奥底では、正直友達と飲むのしんどいなとか、仕事終わりの一杯とかそんな無駄な時間を使いたくないなみたいなことを思っている部分もあって、仕事とか何か自分のプラスになるようなもの以外の飲み会にあまり行きたくないなとか、いくら友達とはいえ普段からそんなに時間を使いたくないなみたいな気持ちがあったことは確かなんですね。
それは多分この生き方をしていて何も結果が出ていない自分に葛藤を抱いていたり、どこか焦っていて常にプラスになるようなものしか、自分を成長させるような環境にいないと怠けてしまうみたいなそういうプレッシャーとかも相まってそういう考え方になってしまっている部分もあると思うんですが、そう考えているとやっぱり友達との関係性って少し難しくなってしまっていて、”この人はどんなことを頑張っているんだろう”とか、”この人はどこでバリューを出そうとしているんだろう”とか、周りの人や友達でも仕事とかどこに価値があるとか、頑張りとか利害関係とかを気にするようになってしまっていてその人の本質とか、人としての繋がりみたいな友達という要素の中で一番大事な部分を見失ってしまっていたような気もするんですね。
というのもやっぱりここ数日間で感じた友達という存在は利害関係とか価値とかそんなものの遥か外の枠組みにあるもので、例えばその人がどんな仕事をしていようが、どんな人と結婚をしていようが、どんな見た目をしていようが、どんな考えを持っていようがそんなものは関係なく人として好きだから一緒に付き合ってお酒を飲んで、馬鹿みたいにはしゃいでというようなものなんだなと実感したので、ここは一つ自分の中で大事にして友達と会うときはもう何も考えずにただその場を楽しむという方向性でいるのが僕の性格的に合うのかなと思いました。
ということで本日は「友達との関わり方がわからなくなっていた自分へ」というテーマでお話をしてみました。
ではまた!