病める舞姫というタイトルについて

「誰でも甘く懐かしい、そして絶望的な憧憬に見舞われたことがあるに違いない。ずかずかと自分から姫君に近づき、彼女と舞踏する決心をし、姫君の体温を自分の血管の中に抱きしめた経験を持っていることだろう。私の姫君は煤けていて、足に綿を巻いていたが、ときおり、額であたりを窺うような格好で手には包丁を持っている。ところが、それもつかの間で、ふにゃふにゃとした笑いのみを残して眠りに落ちていった。」(5ページ11行目)

「寝たり起きたりする人が、家の中の暗いところでいつも唸っていた。畳に身体を魚のように放してやるような習慣は、この病弱な舞姫のレッスンから覚えたものと言えるだろう。彼女の身体は願い事をしているような輪郭でできているかのように見えたが、それとて、どこかで破裂して実ったもののような暗さに捉えられてしまうのだった。」(13ページ12行目)

土方巽は、なぜこの本に「病める舞姫」というタイトルを付けたのでしょうか?「病める舞姫」のモデルは誰なのか。この約220ページに及ぶ本の中で、タイトルに関連する文章はわずか第1章の5ページと13ページに記載された2ヶ所だけで、トータルで1ページ分程度の文字数しかありません。全体を貫くテーマとしては、あまりにも少ない分量です。

土方巽の有名な言葉に、
「世界の踊りは全部そうなんですけど、まず立つわけですよ。ところが私は立てないんですよ。立とうとして、『お前は床に立っているけど、それは床じゃないだろう』といわれると、突然足元から崩れていく。ですから、一から始まらないで、永久に一に到達しないような動きの起源というものに触れさせるとか、そういうこともやってますよ。」
(宇野亜喜良との対談「暗闇の奥へ遠のく聖地をみつめよ」)というものがあります。

この「立とうとして立てない」という言葉は、土方舞踏の根幹をなす重要なコンセプトです。

蕎麦屋を営んでいた九日生少年(土方巽)の生家の奥座敷には、いつも蚊帳が張られ、病弱な姉が臥せっていました。働いている大人たちに代わり、少年が介護していたのでしょう。病み衰えた姉が布団や蚊帳から這うようにして出てくる様子や、布団の中で蠢く姿が少年の脳裏に鮮明に焼き付いていたと考えられます。その記憶が「立とうとして立てない舞踏」の創造へとつながったと考えると、非常に納得がいきます。
写真 小野塚誠

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