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エッセイ「大石食料品店の勘定場」
※こちらは、左利きである私が、以前「日本左利き協会」様ウェブサイト用に寄稿させていただいたものを一部改訂したエッセイとなります。(無断転用・転載等は禁止させていただきます。)
エッセイ「大石食料品店の勘定場」
花巻かおり
まだ小学校に上がって間もない頃、私は大石食料品店でよくお菓子をもらって食べていた。商品を運ぶ台車の取っ手に手をかけて、100センチほどしかない身長で勢いよく台車を走らせ、直進したり曲がったりして薄暗い店内をぐるぐる回った。途中で目に入る菓子の棚から、「ビックリマンチョコ」や「蒲焼きさん太郎」や「こざくら餅」や「ふ菓子」などを、バシバシ取ってゆく。私は左利きだから、この時の台車も左回りで回っていた。
我が物顔で台車を勘定場に乗り付けると、菓子を勘定場に広げる。
「はい、全部でいくらですか」
と勘定場に腰掛けている母方の祖母が言う。
「はい、わかりません」
私は計算ができなかったので、素直に答える。
すると祖母は対面で、白紙を勘定場に敷くように置いて、右手で計算を書き始める。ドドーン、と私に金額が突きつけられる。
「払えません」
「じゃあ、ツケにします」と言ってから、祖母は毎回「食べな」と言った。
私はその場でビックリマンチョコを開けようと奮闘するが、開かない。
「開かない」祖母に助けを求める。
「開かないってことは、食べるなってことだよ」
まだ幼かった私は素直に「え、そうなの」と思ったものだった。後から分かったのだが、菓子の切り口というのは右利きで開けやすいように作られていて、左利きの私が開けようと思ってもどうしても開けられない。それでもガメツイ私は、それらを無理やり歯で千切って開けていた。そうしてチョコレートは祖母にあげて、お目当てのおまけのシールだけもらっていた。こういった小狡い行為は私だけではなく、当時の子供たちの中で広くで行われていたことだった。店にやってくる近所の子供らは、みんなシールだけほしいので、ビックリマンチョコを買うとシールだけとってチョコレートは祖母のところに置いていった。だから、祖母の勘定場の下にはビックリマンチョコが溜まっていた。それを甘党の祖父が見つけて、コーラやソーダと一緒に食べるので、祖父はそのうち糖尿病になって死んでしまった。
大石食料品店というのは、まだかつてスーパーというものがなかった時代、町で初めての総合食料品店であった。そこでは、祖父母が自宅で飼っていた鶏や豚などがトサツして売りに出されたり、小さな畑で作った野菜が売られていたり、自家製の豆腐が売られていたりしていた。缶詰めもあったし、調味料もあったし、花も売っていた。そのうち多くの商品は仕入れに行って調達して売るようになったが、もともと自家製で作っていた豆腐や漬物などは、変わらず手作りで新鮮な物を出していた。
仕事中、祖母は大方、木製の勘定場に座っていた。まるで、銭湯の番台に座るおばあちゃんのように腰掛けていた。そこで祖母はいつも書き物をしていた。鉛筆で書いていることもあったし、筆ペンで書いていることもあった。私は勘定場の向かいに張り付いて、祖母の書いているものを度々眺めていた。書いているのは、大体、人名であったり、地名であったり、ことわざであったりした。たまに、計算の練習をしていることもあった。
「何をしているの」と祖母に尋ねると、
「漢字の練習をしているんだよ」と彼女は決まって答えた。
「なんで漢字の練習をしているの」と再び尋ねると、
「綺麗な字を書くためだよ。漢字を覚えるためだよ」と決まって答えた。祖母はあまりおしゃべりな人間ではなかったので、端的に答える言葉がやけに耳に残った。言葉はシンプルなほど心に残るのだと、この頃身に染みた。
ところで、私はいつも勘定場を挟んで祖母と対面していた。私は左利き、祖母は右利きなのだが、対面しているので、私は祖母が私と同じ左利きなのだと思っていた。因みに私は幼い頃は鏡文字しか書けなかった。自分の名前を書くときも鏡文字で、しかも横書きなら右側から、普通と逆方向に書いていた。
祖母が自分と同じ左利きだと思っていた私は、何故、彼女がこんなにも上手に文字が書けて、菓子の袋を魔法のようにさらりと開けてしまうのか不思議でならなかった。そして、字を書けなかったり袋を開けられなかったりすることで誰にも咎められないことが羨ましかった。私は幼いながらに、祖母は物静かで小柄だが、背筋がしっかり伸びていて、漢字が上手に書けたり、計算が速かったりして、毎日ちゃんと勘定場を守っている偉大な人なのだろうと考えていた。それは、テレビゲームでいうところのラスボスのような存在で、祖母は私には到底叶わない、何か底知れない力を秘めている人物のように思えた。
大石食料品店は、もうない。町の素朴な食料品店は、次々と新しいスーパーが現れる時代に次第に存在意義を薄れさせていった。そうして祖父と祖母も、もうこの世にいない。祖母へのツケもそのままだ。しかし、あの勘定場は今でも、未だ倒せないラスボスの存在と共に私の中で生きている。勘定場に座る祖母の姿。対岸からは左利きに見える、右利きの賢者だ。
(了)
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