僕は愛とここにいる
不規則な時計の秒針のように、雨が地面を叩く音がする。横になった自分に打ち付けられているような感じがして心地いい。眠れない夜に雨は不可欠だ。静かな雨は寄り添ってくれるし、うるさい雨は何もかもを掻き消してくれる。今まで何本か雨のお話を書いてきたけど、それでも飽きないくらい雨を書くのが好きなのだ。
僕は色んな人に愛されている実感を持って生きている。これを読んでくれているあなたもきっと、僕に幾らかの愛をくれているだろう。とても助けられる毎日である。ありがとうだ。こちらこそ愛してるよってもんだ。
ここで僕がどうやって愛を感じているかを言語化してみようと思う。僕は基本的に愛に関してのハードルが低い。成人式のストーリーで多くの人がいいねを押してくれた。その一人一人から愛されていると感じた。何かに悩んだときに少しでも話を聞いてくれる姿勢を持ってくれた時、逆に悩みがある時に頼ってくれた時、とても大きな愛を感じる。
こうやって愛のかけらをいちいち見つけていることが僕が愛を実感することに繋がっているのだと思う。人と深い会話でのコミュニケーションをとれることは中々に愛がないとできないことだと思う。祝うとか、悩むを吐くとか。
愛のハードルを下げることができた最初のきっかけは、ふと自分が死んだらどうなるのかを考えた時だ。誰も悲しまないんだろうって思った時も昔はあったかもしれないが、今は違う。通夜で、絶対に泣き喚いてくれる人がいる。しかも多分、一人や二人ではない。バイト先の人も大学の友達も、僕を育ててくれた何人もの先生も。あなたもきっとその一人だ。とてもありがたいことだ。
ここでポイントだったのは、死んだ後の葬式ではなくて通夜という部分だ。逝去の報告は突然だ。通夜の当日に報告があるかもしれない。それでも「最期だから」と会いに来てくれる人は誰だろう。そう考えた時、頭に浮かぶ人はみんなあなたを愛してくれていると思う。「あいつは来るだろう」って人が、一番愛するべき人たちなのだと思う。その「あいつ」に選ばれた人たちをよく見ていたら、僕は愛をより身近に感じられるようになったのだ。まだまだ死ぬわけにはいかない、葬儀場が大変なことになってしまう。雨の中行列ができてしまうかもしれない。
だから僕は、そういう人と一緒に過ごして、天国で再会するのが楽しみになる生き方をしている。どうせ死ぬんだから、今生きてるうちに天国でも会いたいなって人を探して生きるといいと思う。
想像の中で自分を死なせて、多くの人を泣かせてしまった。申し訳ないことをした。時計の秒針は規則正しく進んで、やがて目覚ましが鳴った。