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[感想]オパンポン創造者さん「幸演会」

1週間前くらいから仕事を調整し
6時半の定時で仕事を終わらせ
シアターzooへ全力疾走
地下に降りる前に息を整えてから、受付を通る

観劇とその後の、交流会を経、自分に残った感情は“怖さと安心”だった

正直に、今回の「幸演会」という”作品”集中してみる事が出来なかった
誤解を招くなあ、正確には直視する事が出来なかった

舞台上で繰り広げられていたのは野村有志さんの自叙伝
何者でもなかった「人」が創作者になって生きていくお話

そこで描かれているものは
まるで、これまでの自分 今の自分 これからの自分の
苦悩と悩みの様に目に映ってしまい、
終始自分の経験のことばかり考えてしまった

上手く言えないが
共感の
「あー、そうそう!わかる。わかる。」の自己完結を越えて
「どうして、それでも続けてられんだろう」と登場人物に問い掛けてしまう
そしてその問い掛けがそのまま自分に帰ってきて抉られる
この連続だ

投げたブーメランをキャッチできず、毎回脳天に喰らう感覚。
何回も
投げなくてもいいのに

ただ、終演後に気付いた
受け取り方が他のお客さんと違ったのだ

著名な野村さんのファンや前情報で知っている方々にとっては
今の野村さんに至るまでの、苦悩と感動のストーリーとして
観ていたのかも知れない
(私もそう観たかった…)

ただ、少しでも創作の世界に脚を突っ込んだ事があるお観客にとっては
(私の様にレベル1の人間でも)
創作者の裏側と苦悩
その「生き様」を問われる作品だった様に思う

観る人によって受け取り方が違う
そんな当たり前が、ここまでクッキリと
分かれて見えたのはすべて
自分が持つものを全て曝け出された
野村さんの脚本

さらに
役者陣の皆さんの名演により
それぞれの、「人間の生き様」がそこにあり
誰かに縋り地を這い続けるもの
悲惨な状態で笑うことしか出来なくなるもの
仮初の愛情でしか自分を支えられないもの
自分を含め、人の人生を狂わしてしまったもの
小さな理想を持ち、裸で踊り続けるもの
それぞれの生き様が舞台上に映し出されていたからだ

自分ごとではあるが
先日、このノートを始めた時に
その瞬間に溜まっていた自分の鬱々としたモノを吐き出した
それと少し被る所があり安心ができた


自分のこれからがどうなるかはわからない、不安や恐れ
この想いが無くならないのでしょうけど
少なくても、自分、独りだけが抱えている想いじゃなかったと
すこし、肩の荷が降りた気がする

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