事実陳列罪 言葉の掛け算
最近、よく耳する「ジジチン」という言葉
ここ数カ月でた言葉でしょう
「事実を述べる事は罪なの」そんな疑問が生まれたのでoutputしてみました
事実陳列罪
もちろんですが 法律上ではそんな罪状は存在しません
事実を並べ立て、悪評を広めた人に対する”架空”の罪だそうです
人の悪評 迷惑、不利益が生じるからできた言葉なのですね
ネット、SNSの発展により誹謗中傷が相次ぐ
い間っぽさを
ネットや、YouTubeでこの言葉を聞きます
「お前ってこう、こう、こういう所があるよね」
「はいそれ、ジジチンー!」みたいな使い方をよく目にしますが
この使い方における事実陳列罪は
本来と少し意味合いが違っているように感じます
自己防衛や、誰かの擁護に使う言葉のように聞こえてしますのです
(もちろん、バラエティー的に面白いリアクション、返しとして使われているのを前提にですが)
自分(誰か)の悪い所を指摘され、ぐうの音もでなくなってしまった
そんな時に、あたかも”それを指摘知ること自体が悪い”というような使い方
それも2パターンあり
①正しい使われ方
その指摘自体が何の議論も生まず、あくまで相手への攻撃になっている場合
これはただの攻撃に対して、反撃(カウンター)の効果があるでしょう
②間違った使われ方
相手は善意の上での指摘であるのに関わらず、言われた本人は事実から目を背ける場合
指摘した側の余計なお世話なのかもしれませんが、これは言われた側の
これは対象のすり替えでしかなく互いの不利益しか生まないように思います
これを配信者はバラエティーの文脈で巧みに笑いに変えたりしているのですが、言葉の表面だけを拾って真似をしてしまうと
人間関係を壊しかねないという、恐怖を抱いてしまいます
事実陳列罪の似た言葉で「ロジハラ」という言葉も耳にしました
「正論を振りかざし強い言葉で相手を攻撃する行為」らしいです
ここ数年で「ハラスメント」という言葉が溢れかえりましたよね
でも、その言葉の真意は
言う側の”意図”と、言われた側の”受け取り方”掛け算なのでしょう
事実や正論は強い力を持っています
その言葉を
言う側が
善意(プラス)で発信するか
攻撃(マイナス)で発信するか
言われた側が
改善点、愛情(プラス)で受け取るか
嫌がらせ(マイナス)で受け取るか で
事実の正論の聞こえ方が大きく変わってきます
どんなに正しい善意でも、伝え方を間違えばマイナスになる
また、そもそもの人間関係で、相手にとって自分がマイナスの存在であれば
相手はマイナスにしか受けとってくれない
これは常識で当たり前のことですが、一種の真理でしょう
ハラスメント中には
ハラハラ(ハラスメントハラスメント)という言葉もあるようで
もう、何が何だかわからない状況ですが
相手の言動は、プラスの想いから生じたものか
マイナスから生まれたものなのか
自分はどうして、プラス または マイナスで受け取ったのか
一度整理して考えてみると、世の中の解像度が上がるかもしれませんね
「ハラスメント」という言葉、概念はとても大事なものだと思います
しかし、言葉尻だけ取ってしまうと「責任の擦り合い」となり
互いの縛る鎖になってしまいます
本来は、コミュニケーションを円滑に進めるための物な筈なのに
何も言えない、コミュニケーション壊す物になってしまいます
そんなのもったいない!!と思うのです
詰まるところ、用法 容量を守って正しく使いましょうという話です(笑)
言葉はあくまで人工物
形はその時々で贈り物にも鎖や刃物にも変わります
自分の発する言葉は常に相手へプレゼントになるといいなと常々考えております
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