還暦で知った母の想い
私の母親は佐賀県東多久町(現多久市)の出身。嫁いできたのは大分県山国町(現中津市)。嫁ぎ先は田舎の酒店。夫は九州電力の社員。姑がいた。夫は変電所勤務なので週三日ほどは社宅住まい。よって、母は酒店と猫の額ほどの畑と田んぼを一人でやった。
姑が亡くなって五十回忌を済ませた時、母は私にこう言った。
「これで私のこの家での役割は終わった」と。それから数年後、両親と子供達と孫で嬉野温泉に行き、その帰り、母の実家に立ち寄った。母は座敷に飾ってある父母(私の祖父母)の遺影に向かって言った。
「帰ってきたよ、お母さんお父さん・・」と。泣きじゃくりながら言った。私はそんな母を見たのは初めてだった。
嫁ぎ先で自分の役割を終えたと思った母はそのことを実家の父母に報告したかったのだろう。それからひと月も経たないうちに、母は倒れ入院し、数日で亡くなった。