イメージの話②
常々思います。
悪い印象の方が強く残りやすいとはなんとも残念な話。
悪いのは行動を起こした個人のはずなのに、関連する全てが悪いかのように思えます。
それが一瞬ならまだしも、過ごした時の多くを占めている思い出と少しでも混じる部分があればやりきれない気分です。
悲しいのは真っ黒にならないことです。
覚えてはいるのです。
嫌なことなのに覚えている。
覚えてはいるのに歪んでいる。
もしくはほとんど覚えていないけど、嫌な気分は残っている。
そんなことが多々あります。
吐き出したって、消えるわけではないのです。
誰かの行動で印象が変わってしまうのは案外一瞬。
その後の見方が変わるのは当然。
しかも意外とそれに気づかない。
変化した後の見方がいわゆる偏見です。
他の人に指摘されて初めて偏見に気が付くのです。
でも悲しいことにすぐに直せることはほとんどないですね。
そんなのもう直さなくていいんじゃないかと思う。 だってそうじゃないですか。
私が嫌な思いをしたのは事実。
これからもしたくありません。
偏見で警戒すればそんな目には遭わなくて済む。
と、思いたい。
差別ではないですよ、もちろん。
それはいけないことですから。
これはきっと自己防衛手段のひとつです。
疲れて立ち止まった時にいつもぐるぐる考えます。
私のように傷つけられやすい人はどうしてるのだろう。
そんな人は優しいので、自分を削ってでも平等にしようとするんだろうな、と。
でもそれ、自分に平等じゃないなあ、と。
どんな人にも穿った見方をしない、平等に、というのも大事。
だからそれは、自分も平等に扱える人がやってくれればそれでいいと思う。
とりあえず、自分の心がどこにあるのか探そうかなと思います。
広いところに出た今それを探したところで怒る人はもういないのだから。
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