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3年前のインスタストーリー

古い友人がインスタのストーリーに見たことある画像を乗っけていた。
よく見てみると、1年前のストーリーをスクショしてストーリーに乗っけていたようだ。

これを見て、「自分は1年前なにしてたかな」とふと気になった。
自分のインスタを開いて、1年前のストーリーを見る。そこには、前の会社の同僚と、彼女とのスリーショット。懐かしいなと。
よく一緒に飲んでいたなあと思いながら、半年ぐらい会ってないなと思った。

その後も2年、3年と遡って見てみると、同じく会社の同僚と、友人と3人で飲んでいる写真だったり、まだ、東京に出てきたばっかりで最初の勤務先の休憩中に髪を染めている報告をしている画像だったりした。

友人とももう5ヶ月くらい会っていない。お金が過去1にない時期で、友達ともう4ヶ月くらい会っていないことに気づいた。

時々、こうやって過去の写真を見ては当時の記憶を思い起こす時間を無意識に作っている。その時に悩んでいたこととかは鮮明に覚えていなく、写真は当時の楽しい思い出だけが残っている。

文章はどうだろうか。写真と違って、喜怒哀楽全てを残せている気がする。
noteをやっていてよかったと思えた。正直いつまでnoteを続けているかはわからないけど、それでも写真とはまた違った感覚で見直すことができる気がする。

3年前まで振り返って、自分は何を残せたんだろうと。
仕事は辞めてしまったし、フリーターに逆戻り。生活は今までにないくらい困窮していて、友達と遊ぶのも年に数回程度。

別に今の生活が不幸せかと言ったらそうではないけど、ただ前の生活を知っているからこそもっと自分にはできるじゃないかと期待をどこかでしている気もする。頑張って頑張って身体を壊してしまった過去があるから、無理をすることはないかもしれないけど、無理をする手前まで自分が納得する所にはこの3年で行きたいと少し思うかな。

日記を始めたり、朝の散歩を始めたり、学んだことのない分野の勉強をしたり、今みたいにnoteで自分を発信してみたり、少なからず始めていることはあるね。3年後の自分が今感じているものと違う思いであれば、それで十分かもしれない。そこを目指して、1日を大事にしていきたいと思った。

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