テンプル騎士団とヤギ信仰🐐悪の起源とは?
前回の記事で神を分離させたものは時節とお話しました。では、悪の起源はなんだったのでしょうか?天界から追放された堕天使によって悪が創造されたともありますが、今日はもう少し、聖書を元に人間に近い視点で見ていこうと思います。聖書というものは、時代に合わせた解釈ができるようになっているそうです。なので、現在、我々が分かっている歴史や時事をもとに解釈をしていこうと思います。あくまでもここ2000年ほどの話ですので、それ以前のお話ではありません。
旧約聖書
旧約聖書のダニエル書4章には次のように書かれています。
ダニエル書 8 : 聖書日本語 - 旧約聖書 (wordproject.org)
雄ヤギ
ここで、雄羊と雄ヤギが登場します。なんのこっちゃですよね。
どうもある期間の間、この雄ヤギの勢力が増して群衆の宗教を乗っ取った内容にも読み取れます。
今日は、雄ヤギに関して解説していこうと思います。
ヤギと言えば、やっぱりこれ。
しかし、ケルト人は角が生えた神を信仰していたとありますが、ヤギなのかどうなのかはここでははっきりしません。というのも、彼らは文字を使わなかったとされ、ドルイドの修行も自然の中で何十年もひたすら過ごすというようなものなので、カエサルのガリア戦記のような外部から見た記録しかないのです。そして、彼らはは口伝によって彼らの秘技を伝えているため、信仰の具体的な内容に関しては、限られた人間にしか知らされていないということになります。
そこで、ヤギのロゴを掲げている集団をもう少し最近から見てみようと思います。
サタニスト
現在のこの時代にヤギの顔を持ったバフォメットを誰よりも愛するのは彼ら以外いないでしょう。日本に似た太陽信仰の多神教(サタニズム)ですが、最高神をサタンとします。そう、キリスト教が悪魔としているあのサタンです。蛇神信仰でもありますので、インド仏教のクンダリーニを彼らは親しんでいるようです。
そして、何よりもキリスト教を悪とし、何よりも憎いのがユダヤ人。願わくば打倒ユダヤ教👊打倒ヤハウェ👊蛇を取り入れているインド仏教のクンダリーニは大好きなのですが、いくらインドでもユダヤ人のガンジーは論外で、やっぱりガンジーは憎しだそうです。
彼らはユダヤ人を迫害を装った資本主義の搾取者であると主張しています。
ちなみにそのユダヤ人を虐殺したヒトラーは彼らにとって英雄となっていて、ドイツ人はナカーマ。ドイツと戦ったイタリアや日本もナカーマ。アシュケナジーはユダヤではないとも主張。当然、ユダヤ人を捕囚したエジプト万歳!
と、かなりふざけて説明していますが、この構図は重要です。
(日本語訳ブログサイト)
霊的サタニズム:初心者のために - JoS日本語翻訳図書室 (hatenablog.com)
(サタニズムのサイト)
Spiritual Satanism: For Those Who Are New (joyofsatan.org)
しかし、サタニストとケルト人は多神教ではありますが、それだけでは、ケルト人との関係は分かりにくいと思います。結局は、ケルト人も多神教であり、蛇信仰ではあるんですが、このあたりは少し深い話になってきますので次回以降でお話しようかと思います。
テンプル騎士団とヤギ信仰
もう少しだけ歴史を遡って中世の歴史を振り返ってみます。
テンプル騎士団をご存じでしょうか?十字軍の遠征でなくてはならない存在なので以下の内容を抜粋します。
今の銀行システムの前身というところでしょうか🤔
バフォメットとは、テンプル騎士団が崇拝していたとされる異教の偶像でヤギの顔をしています。
その後、オカルトや神秘主義の伝統や作家に取り込まれました。1856年以来、バフォメットという名前はエリファス・レヴィによって描かれた「安息日のヤギ」のイメージと関連付けられています。このイメージには、「相反するものの均衡の象徴」を表す二元論的な要素が含まれているそうです。
しかし、テンプル騎士団の大半は戦士ではなく、むしろ金融家に近く、彼らのキリスト教王国だけでなく、世界の他の地域全体の経済インフラに関心を持つ人々でした。実際、1世紀にわたるテンプル騎士団の世界的な活動範囲を考えると、彼らが最初の多国籍企業であったと主張することができます。
テンプル騎士団の悪行
テンプル騎士団が告発された犯罪の中には、より非道なものもありました。通常の異端行為、同性愛行為、十字架に唾を吐く、または小便をするなどの告発は、すべて極めて典型的なものでしたが、後者の十字架に唾を吐く、小便をするという犯罪は、テンプル騎士団が捕らえられた場合に強制されるかもしれない違反行為に備えて、拷問に耐えるために行ったと考える歴史家もいました。
しかし、興味深いことに、十字架に唾を吐くこともバフォメット教団が命じた儀式であり、これはテンプル騎士団における入団儀式と見なされていたという証言もあります。この考えによれば、テンプル騎士団、あるいは少なくともその一派はキリスト教徒ではなく、邪悪な行為のためにキリスト教徒を偽装していたことです。
現代のバフォメット信仰には、思いっきり「ザ サタニック テンプル」と書かれているようですけど…。サタニズムとテンプル騎士団には関連性がありそうですね。
テンプル騎士団とドルイド
テンプル騎士団は、1128年にクレルヴォー・ルナルド(Bernardus Claraevallensis)によって正式に設立されました。クレルヴォーはガリアという地域の大ドルイドであったとされます。
ドルイドに関してはこちらをご参考ください。
さらに「ノートルダム」という言葉はクレルヴォーの案らしく、歴史家たちも少なくともその点では同意しています。 ノートルダムに捧げられた中世のゴシック聖堂は、テンプル騎士団のによって建てられたもので、ケルト人の礼拝所の上に建てられたものです。
テンプル騎士団の住居の位置を分析すると、そのほとんどが古代ケルトの街道の上に建てられています。
大ドルイドのルネ・ブーシェによると、ドルイドの再編成は1088年に遡ります。ガリア(という地域の)大ドルイドであるピエール・ド・ブリュイスが、伝統に沿いつつもキリスト教徒の貧困の正義を説いて、富裕な修道院、司教、領主の利権と衝突しました。十字軍として民衆を率いて先に出発した人物ですね。
1147年、ピエールは罪に問われて弟子のアンリ・ド・トゥールーズとともにサン・ジルで焼き殺された後、他のドルイド派は地下に潜りってベネディクト派の下に身を隠したとされています。
実際にケルト人の足跡があるヨーロッパの国々が帝国主義を掲げ、勢力を拡大していったことを考えると、その背景にはこういった共通の信仰があったと考えても不自然ではないですよね。本当はもう少し聖書の解釈を付け加えたかったんですが、長くなりましたのでまた次回に✋✨
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