毒親育ちグレーゾーンの層ってめちゃ大変じゃない?という話


タイトルのまんまですが。

   自分の両親、毒親かもしれないと思ったことがある方いらっしゃいませんか?
昨今よくみかける「毒親」「毒親育ち」という言葉。Xなんかでは度々話題になりますけど、場合によっては結構叩かれますよね。
   「生みの親にそんなことを言うな」なんていう意見はまだ可愛いもので、「その程度で毒親判定するな」とか、「𓏸𓏸してもらってる時点で私の親よりマシです」なんていうある種の不幸自慢が始まることもあります。

一体親ってどの程度から毒親に判定されるんでしょうか?
多分、そこのラインが人によって様々すぎるからより確執が生まれているんだと思います。また、最近毒親という言葉の使われ方に違和感があるように感じます。それも毒親問題の要因のように思います。

  かくいう私も、親に対してはかなりモヤモヤを抱えています。私の場合は誰が見ても酷いと言えるような、理想的な毒親ではありませんでした。どんな親か詳細は省きますが、別にお金を出してくれなかったわけじゃない、特段ひもじい思いをした訳でもない。でも、とにかく自分の思い通りにならないと腹を立て、人格否定をしてくる人でした。その癖過干渉気味で、私が親にとって理想の子供では無いと怒鳴りつける、そんな親でした。

    上記のようなことを嫌だった、辛かったと言うと、きっとわがままだと叩かれたり、もっと辛い人がいると言われるかもしれません。私自身も、親との関わりでもっとキツい思いをした人が沢山いることは十分に自覚しています。

   今回話題にしたいのは私のような「特別悪い親ではなかったけど確実に良くもなかった親」、まだマシだと言われるような親をもつ"毒親グレーゾーン"の人についてです。
(※世間一般に言われる毒親にもグラデーションはあるよねと感じたため今回はこの言葉を使います。言い方に違和感を感じる方もいるかもしれませんが、今回はとりあえずこのまま進めさせてください。)


  もしこのノートを見つけて読んでくれた方がいたら、きっと中には"自分の親は毒親なのではないか?"と考えている方もいるかと思います。
   自分の親が毒親であるとはっきり言いきれないということは、親の良い面も知っているから罪悪感があるんだと思います。(私もそうです)
でも、親子関係が健全な人とは確実に何かがズレていると感じませんか。何かは人それぞれだと思いますが、自己肯定感の低さ・自他境界が引きにくい・愛着の問題など、生きづらさを感じたから毒親という言葉にたどり着いたのではないでしょうか。

   正直、私は毒親グレーゾーンの層は十分生きづらいと思っています。虐待レベルの待遇では無いから顕在化しにくく、しかし確実に何かしらの悪影響は受けているので生活や対人関係に困難が生じている、それが毒親グレーゾーンだと思います。
辛いと言った時、一番「自分はもっと辛かった(あなたの方がマシ)」、「その程度は毒親の範疇に入らない」と言われるのもこの層でしょう。

やはり、親はどこからが毒親なのか問題です。

私の結論としては、毒親という言葉に定義はないと思っています。毒親という言葉は強烈なインパクトのある言葉なので、取扱は慎重になる必要がありますが 私としてはやはり毒親という言葉を否定したくは無いです。

   先程少し触れましたが、そもそも毒親という言葉自体、使われ方に難があるように思います。毒親系のポストで、「𓏸𓏸してくれなかったから毒親だ」といったものを見かけたことはないでしょうか。個人的には、この「毒親」の使い方はあまりよろしくないと思っています。

   個人的に思うことは、「毒親」という言葉は親子関係に困難を抱えている人が、自身と地続きになって境目が分からなくなってしまった親という存在に、境界線を引くための言葉として使うのが適切なような気がします。
つまり、目的ではなく過程です。自分と親の間に適切にラインを引いて距離を作るために、「自分の人生を支配している親」を「毒親」という別の存在にラベリングするための言葉だと思うのです。
これが「毒親」という言葉が先行し、「毒親」の要素を親から見出してカテゴライズしようとしてしまうので周りからも反発が起きる。
「毒親」という言葉はあくまで自分の人生をより良くするために、親から離れたい人が使う救いの言葉として機能していた方が健全だと思います。

上記の状況も鑑みても、やっぱり毒親グレーゾーンの人は生きづらいと思うのです。毒親という言葉はあまりに鮮烈だから、よく思わない人は沢山居ます。「親が毒親で 〜」なんて言って許して貰えるのは、誰から見ても酷い親ばかりです。
  それでも、生きづらさを抱える毒親グレーゾーンの人は、自分の親を毒親だとラベリングしてもいいんです。それで良い方向に向かうきっかけになるなら、過程として「毒親」を使っていいと思います。

   ただ、やっぱり対人で「毒親」という言葉を使うのは避けた方がいいと思います。言う側にその気がなくても、悪い印象を持つ方は沢山居ます。また、自分よりも親子関係が酷い人とも軋轢が生じます。私が親との関係を聞かれた時によく言うのは、「色々感謝はしてるけど、あんまり性格合わないんだよね。たまに連絡取るくらい。」です。別に本気で感謝してなかったとしても、とりあえず言っておけば余計な敵を作らずに済み、少しの被害で収まります。また、性格が合わないと言っておけば、あまり帰省したり連絡をとったりしていなくても、そんなもんかなーで終わらせられることが多いです。(たまに変に突っ込まれることもありますが)

毒親と健全親の中間点にいるグレーゾーンは、何かと板挟みになりがちです。
なかなか大声では言い難いこと故に抱え込んでしまいがちですが、少しずつでも生きずらさを埋められるように、適切に「毒親」という言葉と付き合っていきましょう。

長々とこのような駄文を読んでくださった方、もし居たらありがとうございます。あなた様にこれ以上辛いことがありませんように。

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