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今日がはじまり

今までnoteは見る事しかしてこなかった。
自分が発信する側になる、しかも苦手意識がある文章をつらつらと表現するとは夢にも思っていなかったんだけど、今まで心の中に留めていた事を出すことによってどういう風に変容していくか残したいと思って綴ってみることにした。

これは私にとってすごい変化だ。
しかもそこまで力が入ってない。

まず文章に対してどうして苦手意識があるか…

振り返ってみると、それは完全に親の影響。
本を読みなさい、読解力がない、(親も文字を読まないから)本を読める人はいい、、などと価値観を植えつけられてたなって思う。
私はべつに本が嫌いな訳ではない。
むしろ好きだ。
図書館や本屋さんで多ジャンルの本をペラペラと眺める事が好き。
ただ一冊の本を読み切ることが苦手。
広く浅く色んな世界に触れる。

どうして親がああいう言葉をかけていたか、今だと分かる。
それは親が自分に思っていることを私に発していただけだと。
無意識に、罪悪感なく。
振り返っている最中に、やっぱり私は親に支配されていたのか…と残念な思いになりかけた。
でもそれは今までの自分の思考のクセだと気付くことが出来た。
私のためだと思ってかけた言葉。
そこに親としての愛があったことは言うまでもない。
それに対してネガティブな印象を受けているのは受け取り側の私がそう感じただけ。
そう思う答えは、違うところに散らばっていると思う。

良かれと思って言ったことが相手にとっては呪いになることってある。
それは逆も然り。
言葉で人は救われ、言葉で人はどん底まで簡単に落ちてしまう。
どういう言葉を使うかはまず自分が自分にどういう言葉をかけるか。
出来ないことに対してどれだけ優しい言葉を自分にかけてあげられるか。
甘やかしではない、まっさらな愛のある優しい言葉。

文章の構成能力はないかもしれないけど、今思ったことをただただ綴ってみる。
会ったことのない自分や置いてけぼりになっている自分が見つかる気がする。

楽しんでみよう。




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