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「渤海王国」を旅する(2)ー中国吉林省・「渤海王女」遺跡で日本人と出会う               

    日本海地域史研究室 藤井 一二 

2006年8月23日午後、吉林省延辺自治州にある渤海遺跡を巡っていた。
私の一行は、延吉市から国道302号で西へ向かい、安図市を経由し敦化市から国道201号を北上し、黒龍江省寧安(ねいあん)市の牡丹江沿いにある渤海王城=上京龍泉府(じょうきょうりゅうせんふ)遺址を目指す移動であった。

途中、延吉市から西へ約140km、同行ガイドの案内で、敦化(とんか)市の南約5キロに位置する六頂山(ろくちょうざん)古墓群へ向かった。
ここは、渤海国早期の王族・貴族の陵墓が大小80余、とくに渤海第三代王=大欽茂(だい・きんも、文王)の次女・貞恵公主(ていけい・こうしゅ)墓があることで知られる。

私たちは、樹林に覆われた墓群を見渡せる入り口近くに下車し、記念碑と陵墓の景観を撮影し車に戻ろうとしたとき、麓から砂塵をまき上げて近づく一台の「乗用車」があった。私たちが乗ろうとする旅行社の小型バス近くに停車し、降り立ったのは日本の人であった。

突然の出会い‥思わず自己紹介。その方は大阪商業大学の滝沢秀樹教授(当時、甲南大学名誉教授)。聞けば私とは同郷。運転は日本留学中の大学院生。

帰国後、同教授が『アジアの中の韓国社会』『中国朝鮮族への旅』『鏡としての韓国現代文学』などの著作で知られる韓国社会論の研究者であることを知った。後年、恵与された近作の「あとがき」に「吉林省山中における(私たちとの)出会い」のことが記されていた。

渤海王国」への関心が、時と場を同じくしたことや、その出会いの「偶然」に、私は驚いた。カメラ記録では、陵墓周辺の滞留は12時15分から約15分間。関心を寄せる分野は別ながら、自らの「テーマ」の展開に「遺跡現地の画像資料」を組み入れ、構想と内容をより豊かなものにしたい‥と、しきりに思う旅となった。
 
いま漸く、研究報告書『渤海王国と古代日本』の再編に向けて推敲を重ねながら「あの夏の」吉林省山中における「一度限りの出会い」を、懐かしく思い返している。        (2024年12月5日記す)

吉林省の延吉から敦化経由で黒龍江省の渤海王城址を目指す