シルクロードからの「伝言」 ‥「奏楽の天人」に思う
私にとって敦煌壁画にみる「飛天」や「天女」への憧れは、シルクロードへの「夢」をのせ、日本の法隆寺や薬師寺の飛天像そして正倉院宝物の西域デザインへの感動から生まれた‥。
いま初唐(618-712)・盛唐(713-766)の飛天・天女像の類型化が進み、〇伎楽飛天〇献花飛天〇彩雲飛天〇散花飛天〇説法図飛天〇投身飛天〇舞帯飛天〇菩提樹双飛天‥など十数種もの形象が知られる(『敦煌飛天』中国旅游出版社 1993年など)。
現存する白鳳(7世紀後半~8世紀初)・天平(8世紀初~8世紀末)の飛天像を眺めるたびに思うのは、隋・唐に渡り十数年もの時間をかけて「技」を磨き、多くの文物を日本に伝えた先人のことや、飛天・天女像を創作した「名もわからない」画師や工人のこと‥。
本画像は東京国立博物館(法隆寺宝物館入口の常設展示)の法隆寺金堂灌頂幡(飛鳥、7世紀)にみる「奏楽天人」。他に類を見ないほど、飛鳥(初唐期)を代表する「透かし彫り」の最高傑作。(撮影が可)
法隆寺壁画や薬師寺東塔の水煙そして法隆寺宝物館の「飛天」像を眺めるたび、初唐の作風に「清新・溌剌」=希望、盛唐の造形に「円熟・多彩」=安定の気風‥を感じる。
天平21年4月4日、越中国守の大伴家持が当地で詠んだ「天人」の歌がある。天離(あまざか)る 雛(ひな)の奴に 天人(あめひと)し かく恋ひすらば 生けるしるしあり (巻18・4082)
※遠い田舎の奴(私)に 都の天人(坂上郎女をさす)が こんなにも恋しておられるのならば 生きている甲斐があります‥と。 ※澤瀉久孝『万葉集注釈』18より
『万葉集』には「天人」(巻10・2090、作者未詳)「安米比度」(巻18・4082、大伴家持)の歌が知られる。大伴家持の憧れた「天人」はどのようなものだったのか。漢書・晋書・文選等の漢籍情報とともに法隆寺・薬師寺・東大寺などで「飛天菩薩」を仰ぐ機会もあったであろう‥と想像する。
この奏楽天人の画像を眺めていると、笛の音が聞こえてくるようだ‥。
参考:『敦煌飛天』中国旅游出版社 1993年、『中国舞踏文物図典』上海音楽出版社 2002年、柳沢孝「金堂の壁画」『法隆寺金堂壁画』岩波書店1975年
飛鳥資料館編『法隆寺金堂壁画・飛天』奈良国立文化財研究所1989年など。〇画像は、藤井撮影。