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大伴家持と春苑の桃花

北アルプスの山麓に、桃花の季節が訪れた‥    藤井 一二

大伴家持が越中国へ赴任して4年目、天平勝宝2年(750)3月1日(新暦の4月15日)。桃李の花を眺め、春苑の娘子(をとめ)を題材にして次の歌を詠んでいる。

春の苑(その)紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(をとめ)(巻19・4139)澤瀉久孝『萬葉集注釋』中央公論社

都から越中を訪れていた妻、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)がモデルであったのか。春苑の「美的構図」が鮮やかだ‥。
いま、手元にある注釈書の何冊かに目を通してみた。その解釈には著者それぞれの「想い」が込められているようだ。
このブログに気づく方々の場合は、如何であろうか。

澤瀉久孝氏:「春の苑の 紅に美しく映えている桃の花が、樹の下を照らしている道に 出で立つ少女よ」『万葉集注釈』巻19、中央公論社
伊藤博氏:「春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子よ」角川文庫『万葉集』4
佐竹昭広氏ら:「春の園の、紅に色づいた桃の花が 下まで照り映える道に出て立っている娘子よ」岩波文庫『万葉集』5

いずれの訳によっても「くれない」の桃花が醸しだす絵画の世界に吸い込まれてゆきそうだ。
さて、私は、どのように訳そうか‥と、春宵に思いを巡らしている。

藤井一二著『万葉社会史の研究』塙書房、2024年5月刊