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美容師の決意と挑戦 「長時間労働から抜け出せる美容院を作る」

「美容師の生き方に変革を起こしたいです」

そう語るのは、三重県四日市市で美容師を務める加藤祐太郎さん(34)。
専門学校卒業後、サロンで15年間勤めてきた。
毎月の売り上げは300万円を超え、トップスタイリストとしてサロンを牽引してきた。
人気美容師として圧倒的な支持を得てきた加藤さんだが、2023年7月に会社を退職。美容師の新たな生き方を実現し始めている。
今に至るまでの道は、美容業界という華やかなイメージからは想像もつかないほど壮絶なものだった。
これまでに多くの挫折を乗り越え、新たな挑戦を決意するまでの話を聞いた。

取材を快諾してくれた加藤さん。語られたエピソードは、どれも起伏と波乱に 満ちたものだった。


今につながる原体験

加藤さんの美容師人生の原点は、中学2年生の頃。
学校で突然、カップル成立ラッシュが巻き起こった。周囲の同級生たちが次々と交際をスタートする中、加藤さんは彼女ができずにいた。
その原因は何なのだろうと、周囲をよく観察したところ、あることに気づいた。
彼女がいる同級生は、髪形や服の着こなしに「彼女いる感」がある。そして、どうやら自分は「彼女がいないっぽいビジュアル」のようだった。
加藤さんはビジュアルを変えたい一心で、彼女を得た同級生たちを真似た。制服やジャージをオーバーサイズのものに変え、眉毛を細くした。

髪型も垢ぬけるべく、人生で初めて美容院を訪れた。これまで通っていた床屋とは違う、洗練された雰囲気に期待が高まった。
美容師にキムタクの写真を見せて、「これにしてください」とオーダー。
しかし、仕上がったのは期待とかけ離れた「ソフトなスポーツ刈り」だった。「これでは今までの頭と大差ないじゃないか」と落胆した。

「期待してた分、がっかりしましたね。当時は『なんでこうなったんだ?』と困惑するばかりでしたが、今思えば母親と一緒に行ったのが原因だったと思います。美容師は、代金を支払う親のオーダーを優先せざるを得ないので」

格好良い髪形になるにはどうしたものかと悩んでいたある日、友人の一人が突然ソフトモヒカンになって現れた。
当時流行りの髪型と言えば、2002年の日韓ワールドカップで多くの若者を魅了したデイビッド・ベッカム選手のモヒカンスタイル。友人のソフトモヒカンは、劇的に格好良く見えた。
その友人から美容師を紹介してもらい、電車で数駅離れた美容院を訪れた。そして、「とんがりたいです」という要望通り、理想的なソフトモヒカンを手に入れたのだった。

「カットが終わって鏡で自分を見た時、凄まじい衝撃を受けました。『待って、俺、滅茶苦茶イケとる…!』って。実際には、それほど大きく変わったわけじゃないんですけど、自分が気になっている所が解消された時の自信たるや尋常じゃなかったですね。その時、重要なのは外見的な変化ではなくて、自分に自信が持てるか持てないかだと気づいたんです。コンプレックスから解放された僕はもう、無敵でしたね。彼女も無事ゲットできました」

この体験をきっかけに、加藤さんは美容師になろうと決めた。
外見を変える楽しさや、自信を得ることで人生が大きく変わること知り、「自分も誰かを変えられる側になりたい」という思いが芽生えた。
当時から漠然と抱いていた「将来は自分にしかできない仕事がしたい」という指標と相まって、それ以来一度もブレることなく美容師を目指した。

高校時代。美容師への熱望が有り余り、
校舎裏にてメンズ雑誌を見ながら友人の髪をセルフカットしていたことも。


数々の挫折を乗り越えた不屈のメンタリティ

とはいえ、美容師までの道のりは、まったく平坦ではなかった。
高校卒業後に入学した名古屋の専門学校は、1学年400人を超えるマンモス校。中学時代から美容師だけを一途に目指してきた加藤さんは、人一倍高い熱量を持っている自信があった。

しかし、早々に最初の壁に直面する。
いざ実技の授業を受けてみると、周囲の同級生よりも圧倒的に下手だったのだ。技術的なネックは「とにかく手先が不器用」だったこと。見て真似するということが苦手で、1つの技術を習得するのに人の倍以上の時間が必要だった。

「自分は誰よりも強く美容師を目指してると思ってました。でも、隣の席でダルそうにしてるギャルの方が圧倒的に上手かったんですよ。その現実を前にして、持って生まれたセンスの差というものを知りました。美容師人生で最初の挫折でしたね」

その現実を何とか受け入れてからは、気を取り直して毎日居残り練習に明け暮れた。平日のバイトを諦め、夏休みのほとんどを練習に費やした。ひたむきに努力する姿勢は周囲にも伝播し、気づけば加藤さんのクラスだけ異様に居残り率が高くなっていた。担任の教師は当時を振り返って、「補習や追試の必要がなくて楽だった」と笑ったという。

そして夏休みが終わった頃、ついに実技の授業で初めて高評価を得られた。やる気のないギャルを超えたという手ごたえと、自分の成長を実感できた瞬間だった。この経験で得た「勝つまで積み上げれば勝てる」という教訓は、その後の加藤さんの支柱となっている。

練習に励む一方で、学生生活も謳歌した専門学校時代。
文化祭のミスターコンテストでは見事優勝を果たした。

あっという間に就活の時期を迎え、加藤さんは名古屋一厳しいといわれる美容院の求人に応募した。「どうせ行くなら厳しいほうがいい」という考えからの挑戦で、受かる自信があった。

しかし、結果は最終面接で不合格。一緒に応募した同級生は合格だった。これまで希望通りの進路に進めた加藤さんにとって、行きたい場所に行けないというのは初めての経験だった。入学してから積み上げたプライドを完全に折られ、2度目の挫折を経験した。

「落とされた理由は、技術的な問題よりも態度ですね。変な自信がついてたから、『俺なら受かるっしょ』みたいに思ってて、それを見抜かれたんだと思います。採用する側を経験した今なら、よくわかります。『今のままじゃ通用しないぞ』って突きつけられたような気がして、へこみましたね」

その後しばらく落ち込むも、「採用しなかったことを後悔させてやる!」という気持ちで就職活動を再開。地元である三重県で、複数の美容院を運営する会社に就職した。

店舗に配属された新入社員は、アシスタントを務めながら、スタイリストデビューに向けて科目ごとのカリキュラムをこなす。最初はシャンプー、カラー、パーマ等のアシスタント科目から始まり、月2回テストが行われる。全ての科目で合格すれば、スタイリスト科目に進むことができる。
最初に行われたシャンプーのテストで、加藤さんは同期10名のうち9番目という成績だった。その後も、同期たちストレートで合格していく一方で、毎回1度は落ちてしまう。まったく思うように進めない自分がもどかしかった。同期たちとの距離が開いていく中、専門学校で入学直後に感じたセンスの差を、再び痛感した。

「専門学校時代に頑張った分、もしかしたら頑張らなくてもいけるんじゃないかって思ったんですけど、やっぱり下手くそでした。またへこみましたね。なんて向いてない仕事を選んでしまったんだろうって、切実に思いました。でも、その事実はどこかでわかってたんですよね。自分が勝手に期待してしまっただけで、センスが無いことも、人一倍頑張らないとだめなことも、知ってたんです」

「勝つまで積み上げれば勝てる」という初心に帰った加藤さんは、再び奮起。昼夜問わず練習に打ち込む日々が始まった。
加藤さんが入社した当時、美容業界が抱える問題は今よりも深刻だった。
先輩美容師との上下関係によるストレス、拘束時間に見合わない給与。休日も満足に取れなかった。辞めていく美容師が後を絶たない過酷な環境の中でも、「誰よりも早くアシスタントを脱却する」という思いを胸に、ひたすら練習を続けた。

指名を繋ぐための営業にも力を入れた。カットモデルになってくれた友人・知人から、さらに人を紹介してもらい、スタイリストデビューを応援してくれる人脈を広げていった。

その努力は、4年目にして実る。
デビュー条件となる基準値の2倍の売り上げを叩きだした。通常5年以上かかると言われていた店舗で、同期や先輩を追い越し、最速でアシスタントを卒業したのだった。

何度困難に直面しても、それをバネに成長してきた加藤さん。そのメンタリティの根底には、挫折を前向きに捉えられる価値観があった。

「下から追い抜かされるんじゃないかとヒヤヒヤしながら守る戦い方は、あんまり面白くない。下剋上みたいな戦い方の方が、面白いって思うんです。それに、現状維持って不可能なんですよね。ライバルが伸びれば、相対的に自分の価値は下がる。下がりたくないなら、上がっていくしかない。これまでの美容師人生って、ずっとそんな感じだった気がします」

アシスタント時代。日々の研鑽の合間に、仲間たちと飲み明かすこともあった。


実力至上主義を生き残るために

数多くの挫折を経験して美容師になった加藤さん。しかし、本番は美容師になってからなのだという。「売れる美容師」になるためには、今まで以上に厳しい研鑽が求められるからだ。

美容師としての評価基準は、「どれだけ売り上げを出せるか」に尽きる。
スタイリストになれても、売り上げが伸び悩み、辞めていく人は多い。美容師の離職率は1年で50%、3年で80%と非常に高い。

売り上げを生み出す力は、髪を切る技術だけではない。会話力や人間的な魅力、周囲と連携するコミュニケーション能力など、無数のスキルで構成されている。それらを兼ね備える人には多くのファンが付き、一人前の美容師として生き残っていく。

地域によって、評価される売り上げの数字にはかなりの幅がある。三重県では月に100万円を超えれば一流と言われるが、都心部では何百万プレイヤーも珍しくない。日本のトッププレイヤーに至っては月に数千万、年間で億を稼ぐ美容師もいる。

加藤さんが目標にした人物は、中学生の時ソフトモヒカンを実現してくれた美容師。当時駆け出しだった彼女は、加藤さんが美容師になる頃には、売り上げが月300万を超える売れっ子になっていた。人生に大きな影響をもたらした人物であると同時に、良き師匠として尊敬しているという。

「師匠とは、今でも時々食事したりします。美容師になってから、師匠の実力の高さが改めてわかりました。身近なところに凄い人がいたから、売り上げが出せなくても場所のせいにできないなって思いました」

とにかく早く一人前の美容師になりたいと思っていた加藤さんは、常に無駄を省き、合理的な姿勢で仕事と向き合ってきた。モチベーションの温度差を感じる相手には、露骨に態度を変えた。

「お店では、自分にプラスになることを教えてくれる先輩としか仲良くしませんでした。そういう先輩って、僕と同じように合理主義で、例外なく周りから嫌われてるんですけど、腕前は確かなんですよ。逆に、雑談してくるような先輩には超そっけなくて、返事すらしないこともありました。そんな先輩から見たら、本当に可愛くない後輩だったと思います」

周囲から疎まれることも厭わない一方で、売れている美容師のことはよく観察して、やり方を学んだ。
早くから売り上げを伸ばす人には、とにかく話がうまい人が多い。会話がはずめば顧客に顔を覚えてもらいやすく、ファンが付きやすい。接客の中で、いかに魅力を感じてもらえるかがファンを増やす鍵だった。

加藤さんも、最初はその接客技術を見習って真似てみたが、上手くいかなかった。もともと話すことが得意ではなかった加藤さんにとって、喋りで距離感を縮める方法は向いていなかった。無理に楽しませようとした会話は、話している自分でもわかるほど面白くなかった。向いていないことを無理やり伸ばそうとしても、いずれ続かなくなる事は明白だった。
逆に寡黙になってみたり、時には恋愛的な駆け引きを入れてみたりと、様々なパターンを試したが、自分に合った接客技術はなかなか見つからなかった
失敗と反省を繰り返しながら、「自分の強み」を模索し続けた。

試行錯誤の末に、加藤さんが導き出した結論は「提案力」だった。
きっかけは、ある先輩美容師との出会い。四日市のサロンで働き始めたころ、その先輩美容師は新規顧客のリピート率が圧倒的に高かった。接客技術を間近で見た時、指名率の高さに納得したという。

「その先輩は、お客様のことを本当によく見ていて、要望を聞くだけじゃなく、必ずプラスアルファの提案をしていました。僕がこれまでやってきた接客は、結局どれも自分本位なものだったと気づいたんです」

髪形を決めるためには、適切なカウンセリングが必須。その人がなりたいイメージを汲み取り、完成形のすり合わせを行う。
しかし、丁寧に話を聞くだけでは不十分。プロとして頭一つ抜けるには、要望に沿ったうえで、「こんな髪形もできますよ」と提案できることが極めて重要なのだという。

多くの美容師が施術で失敗する原因の一つは、オーダーを全て顧客に任せてしまうことにある。顧客の「何となくこんな感じになりたい」というイメージは、その人の髪の質や量といった「素材」や、ライフスタイルに合っていないことも多い。
そして、顧客が「何となく」で決めた注文通りに髪を切るというのは、素人が書いた設計図でプロが家を建てるようなもの。自分の力量を超えた難しい技術が求められることもある。無理やり実現しようとすれば、当然失敗する可能性は高い。
成功と失敗の分かれ目は、設計段階でどれだけ正しい提案ができるかどうかにかかっている。

提案力に必要なのは、まずは素材を見極めること。要望を的確に汲み取ったうえで、素材の良さを活かし、なおかつライフスタイルに合ったベストな髪形を考えること。これらすべてができて「提案できる美容師」になれる。

「『こっちの方が良いですよ』って、自信をもって言いきれるかどうか。これは、プロとして大きな差ですね。提案できる美容師さんになれれば、ただ無難に作業するだけの美容師さんとの差別化を図ることができる。それが上手くいけば、必ず次の来店に繋がる。その熱量を感じ取って『コイツならいやってくれるんじゃないか』と期待して来てくださるのは、凄く嬉しいですね」

こうして加藤さんは「提案できる美容師」として支持を得ていった。今では、加藤さんへのオーダーの殆どが「おまかせ」なのだという。

カット技術を説明する加藤さん。美容師一人ひとりの指の長さ・太さの違いで、髪の毛の持ち方や角度を微調整する必要があるという。


家族の喪失と価値観の転換 生き方を変える決意

名実ともに売れる美容師になった加藤さんは、順調に成果を伸ばし、働くことがどんどん楽しくなっていった。

しかし、仕事が充実していく一方で、労働環境の厳しさは変わっていなかった。
朝8時から開店準備が始まり、9時に営業がスタートする。指名客が途切れない日は、休憩も昼食も取れない。営業終了時間は早くて19時。後輩の練習や指導に付き合って、22時を回ることもザラにあった。
1日の大半を店で過ごし、家にいるのは寝てから起きるまでの時間だけ。昔から長時間労働が常態化している美容業界では、「それが普通」という感覚だった。

家庭をもってからも、その生活は続いていた。家族と過ごす時間が極端に短いことや、家のタスクをすべて妻に任せてしまっていることが、ずっと気がかりだった。
向き合うべき課題であると思いつつも、なかなか行動に移せずにいた時、予期せぬ出来事が起こった。

妻が3人目の子どもを妊娠して半年経った頃、流産してしまったのだ。あまりに突然の出来事に、茫然自失となった。
その直後、妻は身体へのダメージや精神的なショックで動けなくなった。妻が療養している間、加藤さんがふたりの子どもを世話することになった。早朝に起きてお弁当を作り、送迎して、お風呂に入れて寝かせる。想像を遥かに超える子育ての大変さに、体力も精神も擦り減っていった。
その生活を1か月ほど続けて、加藤さんは初めて「親になる」ということの意味を理解した。そして、「こんなに大変なことを、今までずっと妻に丸投げしていたのか」と、愕然とした。

動けるようになった妻と共に、亡くなった子どもの火葬に立ち会った時、加藤さんはかつてない悲しみと後悔に慟哭した。次々に湧き上がる悔恨の思いに駆られ、嗚咽しながら自分を責めた。

「なんでもっと早く努力しなかったんだろう。もっと早くに行動していたら、もしかしたらおなかの子は無事に生まれてきたかもしれない。家のことから目をそらして、仕事に逃げ続けてきたことを、後悔してもしきれませんでした」

気持ちが落ち着いたころ、加藤さんの心に1つの決意が生まれた。

「美容師が時間を大切にしながら働ける場所を作ろう」

子どもを失った体験を経て、加藤さんはひとりの父親として大切なことを理解した。
それは、「親になるための時間」が必要であること。子どもと一緒に過ごし、育児の重みを身をもって経験することで、初めて「父親になれる」ということ。
加藤さんは「父親になる」までに、5年もかかってしまった。その事実を変えることはできない。だから、せめてこの先、自分と一緒に働く仲間たちには、同じ経験をしてほしくない。家庭をもって、子どもが生まれた時、親になるための時間をちゃんと作れるようにしたいと思った。

その思いを実現するには、会社員の美容師を辞めて、仕事と時間を両立できる環境をゼロから作る必要がある。
安定を捨てて新たな領域に踏み出すことに、迷いはなかった。
「美容師の長時間労働は悪だ。それを変える努力をしないのは罪だ」という信念が、加藤さんを奮い立たせた。

「そう思い至るまでに時間がかかってしまったけど、あの子に背中を押してもらえた気がしました。『いつまで迷ってるんだ。早く踏み出せよ、頑張ればできるよ』って。この先も今までと同じように働き続けていたら、あの子が半年間でも来てくれた意味がなくなってしまうと思ったんです。仕事以外の時間をもっと大切にするために、今自分にできることは何でもしようと思いました」

喪失の経験は、加藤さんの時間に対する価値観を大きく変えたという。


これから目指す場所

大きな目標を胸に、2023年7月をもって会社を辞めた加藤さん。フリーランスの美容師として、新たな道を邁進している。
現在は、サロンオーナーから場所だけを借りて営業する形で働いている。美容院との雇用関係はなく、予約や売り上げは加藤さんに直接入る。これまで信頼を築いてきた顧客からのリピートは途切れることなく、既に予約がなかなか取れない状態だ。

自分の裁量で決められる幅がぐっと広がった半面、会社員時代にはなかった難しさもある。独立したばかりの頃は、予約の加減がわからず、仕事量が増えすぎたり減り過ぎたりと、生活が安定しないこともあった。しかしそれも、慣れるにつれて上手く調整できるようになり、収入も増えた。なにより、仕事の自由度が上がったことで、以前と比べて家族と過ごせる時間が格段に増えた。

また、個人事業主の美容師として働き方を学びながら、自分の美容院を開く準備も進めている。勤務時間や出勤日数などの労働条件を整え、産休や育休も必ず取得できるようにしたいと考えている。

叶えたい夢に向かって、着実に一歩一歩進んでいる加藤さん。
最後に、これからに向けて、今の率直な思いを語った。

「美容師という仕事は、日々お客様と共に成長し続けられる、素晴らしい仕事だと思ってます。だから、家族ができた時、安心して美容師であり続けられるような場所を作りたいんです。そのために、まずは目標とする働き方を、自分自身が体現する。そして、同じ思いをもってくれた人たちと一緒に働ける場所を作っていきたいと思ってます」

美容師の新しい生き方を叶える場所を、この両手で作ろうとしている。

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