映画感想(吸血鬼、西部劇、悪魔)

7月になりました。また一ヶ月たってしまったんですね。

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no+e 通知(2024/06/29 閲覧)

毎度毎度記念受験的参加になってしまい恐縮なんですが、まぁ、ネタ自体はいろいろあるんですよ(ひとにも面白い話かどうかはともかくとして……)。

たとえばこの一ヶ月間に観た映画──。
『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)、『エル・ドラド』(1966)、『デビルスピーク』(1980)……。
本当の映画好きからすれば一ヶ月間に三本なんて全然観てないほうだと思うんですが、私としてはもうズッと、また観たいなーと思い続けてきた映画でしたんで、遂に観たぞ! といった感慨があります。

吸血鬼映画に関してはさらに強烈にまた観たいなーと思い続けてきた映画、『ドラキュラ ’72』(1972)を観て以来、『ドラキュラ 血の味』(1970)、そして同じハマー・プロ製作のホラー映画『フランケンシュタイン 死美人の復讐』(1967)などと立て続けに観て、そこであえてちょっと横滑りしてゾンビ映画などもと思い立ち、『死霊のえじき』(1985)冒頭を観て、これはやっぱ本腰入れて観たいなー(といってもその回で三回目になりますが……)などと思いフルチゾンビのほうにしようということで観たのが『荒野の処刑』(1975)──。これはゾンビ映画どころかホラー映画ですらなく西部劇でしたが……。でもさすがフルチ作品! なんかちょっとしんみり、、、、きちゃうようなカニバリズムのシーンなんかがありまして、やっぱフルチ監督って偉大だなーと思い『ビヨンド』(1981)観て、一番ゴアかったシーンではそれらシーンの犠牲者二人の夫婦愛(いやもっと暮らしに密着した一緒に生きてきた感のようなもんだと感得しましたが……)にグッときてしまいゴアシーンとしては愉しむことができず……。もっとも私は男性のゴアシーンはもともとあまり愉しむことができないたちなんですが、同夫婦のおばさんのほうはホントあの辺りからが実にいいんだよなーといった感じで、『サスペリア PART 2』(1975)で惨殺されちゃったおばさん二人ですとか、まさに青春の1ページなんですよね{と、また横滑りしてダリオ・アルジェント監督作品の話に……。美少女を怖がらせることが大好きな監督だといわれてますが、ぎりぎり食べられるくらいの腐りかけのバナナみたいなおばさんの扱いについても、まさに名匠ですよね? まぁ私も『殺しのドレス』(1980)、『ローズマリー』(1981)などに登場した綺麗系おばさんたちもそりゃそれなりに好きなんですが……。そういえば『デビルスピーク』再見時にはババのママなんかが意外といいなって感じました。端役でしたが……}。

ンッ? ここでふと気づくと先月、先々月の話になってしまってました。

それにしても、自分でワープロ打ってて全然説明になってないなって気づいたんですが、「なんかちょっとしんみり、、、、きちゃうようなカニバリズムのシーン」って、一体どんなシーンなんでしょうね? あるいは、「ぎりぎり食べられるくらいの腐りかけのバナナみたいなおばさん」二人って……。
それら諸点については、どうか皆さんの眼で確認してみてください! そのために今回、わざわざ邦題を調べ、そちらのほうで表記を統一してみたんですから……。
ただ『サスペリア PART 2』犠牲者の最初のおばさんのほうは、普通の趣味のひとにも充分イケるひとなのかもしれませんが……。私が同作を全編視聴することになる遥か以前、『独占! 女の 60 分』(1975 - 1992)という土曜昼にやってたちょっとHなバラエティ番組では、「どうしてこんな綺麗なひとが殺されなきゃならないのッ」なんて紹介されてましたからね❤ そして『ローズマリー』のほうの綺麗系おばさんについては、彼女はひょっとすると普通の趣味のひとたちにとっては、べつに綺麗系おばさんじゃないのかもしれません{なんか失礼な補足になってしまいましたが……。それにしてもあの映画、ホント『ローズマリー』なんて邦題だったんでしょうか? 最初『木曜洋画劇場』(1968 - 2009)で観たんですが……。『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)じゃありません。だってミア・ファローなら普通に綺麗系おばさんですよね? 『The Prowler』ってのが原題なんですが……}。

実をいうと私、自分の趣味に関し、そんなヘンじゃないんじゃないかって思っちゃってるとこがありまして……。ホントは皆さん、おばさん好きでしょ? 女性のゴアシーン好きでしょ? なんて……。

フルチ監督の西部劇を観たつながりで『明日へ向かって撃て!』(1969)だとか『ビリー・ザ・キッド / 21 才の生涯』(1973)だとかをまた観たいなって感じ、でも実際観たのは大御所ジョン・ウェイン主演の王道西部劇(? でもただただタフなミスター U.S.A.の話じゃなく、老いの問題なんかも充分取りあげられてるんですよね。そもそも西部劇ってもの自体が失われた夢の伝説なわけですし……)、『エル・ドラド』でした。と、これにはさらに個人的理由があり、現在執筆中のドラキュラ・コンクエスト後(キム・ニューマンのものと違いドラキュラ伯爵でなくドラキュラ公が征服者だという世界線でいきたいんですが……)という設定の異世界ファンタジーに“牛飼娘”を登場させる予定なんですが、上記映画にはジョーイ・マクドナルドという“牛飼娘”の嚆矢こうしのようなキャラクターが登場してまして……。ただ今回観た感じではサドルのうえのヒップが意外と不安定かな? とも感じたんですが、その辺がまた味といえば味であるとも感じました{いやべつにエロい意味(だけ)じゃなく……。ホント皆さん、自分の眼で是非確認してみてください!}。

また『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』、『デビルスピーク』を観ることになった発端は、『ドラキュラ ’72』を観たことでして……{そしてそのまた発端が『スター・ウォーズ』シリーズのうち未視聴だったものを拾って観てて、ターキン総督やドゥークー伯爵を観てるうちに、ということになるわけですが……。いや最近観たのは『ローグ・ワン』(2016)登場のターキン総督のほうだけだったでしょうか……。それにしても、なんだか物凄い時代になってきましたね……。ちなみに何かと叩かれ捲ってる『エピソード 8 / 最後のジェダイ』(2017)もおばさん映画として観る限り名作、傑作、快作ですよね? ラーマ・ダーシー中佐といいアミリン・ホルド中将といい……。まぁあのホルド・マニューバというのはともかくとして……}。
『ドラキュラ ’72』登場の伯爵の使徒 = アルカードによるブラック・マスのシーンを観ていて、エステバン、クーパースミスによる同ようのシーンをまた観たいなと強く感じました。そして少々、ブラック・マス、ブラック・サバスの語義の違いなどについても思いを馳せたりしました。やはりブラック・サバスのほうがキリスト教化以前の異教的意味合いが強いのでは?
吸血鬼映画もまだまだ観続けるつもりなんですが、しかしその締めとして観るならば、と考え、当初はコッポラ監督の『ドラキュラ』(1992)を予定してました。『ドラキュラ ’72』冒頭の馬車のうえでのドラキュラ、ヴァン・ヘルシングの対決のシーンはホントに大迫力のシーンなんですが、コッポラ監督の『ドラキュラ』、そしてさらにストーカーによる原作でも、馬車のうえでの対決は物語のラストにきます。コッポラ監督はそのシーンをフォード監督の西部劇のようにしたいと、同映画公開時に刊行された同ノベライズの解説風文書のなかで、いってました(訳者解説からの孫引き、ということになってしまうかもしれませんが……。原著者は確かフレッド・セイバーヘーゲンでした。いや実は、ジェームズ・V・ハートというひととの共作でした。「フレッド・セイバーヘーゲン」『ウィキペディア』2024/06/29 閲覧)。
そんなこんなで問題の『ドラキュラ』でミナ・ハーカーを演じてたウィノナ・ライダーの『クルーシブル』(1996)なども観たのですが、ラスト、原作のママっぽい演劇調になってしまったのがちょっと残念でしたね。
ところで『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』は吸血鬼映画の締めとして観るには、それなりにカッコがつく映画だなと思いました。まず新大陸アメリカから始まる点が原作のクインシー・P・モリスとのカラミでいいです。イギリス中心のアンチ・ドラキュラ連合軍にとって、アメリカ生まれのクインシーもカソリック圏からやってきたヴァン・ヘルシングも、ホントいうと潜在的脅威なんですよね。それで最終決戦の結果どんな風になるかは、これもコッポラ監督の『ドラキュラ』なり原作の『ドラキュラ』(1897──関係ないですがこの年は、ナチ宣伝相、そして最後は首相のゲッベルス生誕の年でもあります)なりで、皆さん確認してみてください。さらに『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のラスト近く、アメリカに帰還した主人公ルイは映画館で約 200 年振りに日の出を観ることになるわけですが……。ハリウッド──。MTV──。20 世紀ってホント、映像の世紀でしたよね? 21 世紀の吸血鬼は一体どんな風になるんでしょうか?

失礼しました。皆さんもぜひ皆さん自身のヴァンパイア・ナイトのラインナップなど作ってみてください。

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