【ネタバレ】僕がシェイクスピアを読んでいた頃 Ⅰ【シェイクスピア等】
とにかく、ファンタジーの超大作が書きたかったのです😁 いえいま、「描きたかった」と誤変換してしまいそうになりましたが、それも強ち誤変換とはいえないようなところがありまして😊 青春時代、冴えないキモヲタがまず憧れるのって、小説家よりむしろ漫画家だったでしょう😁
僕たち後期オヂ世代の青春時代は一人のひとが書いた小説としてはおそらく世界最長だろう《グイン・サーガ》(栗本薫先生 : 1979 年 - 。現在、「一人のひとが書いた」、ではなくなってしまっているわけですが😐)なども結構なところまで進んでいたのですが、漫画のほうの『アリオン』(安彦良和先生 : 1979 - 1984 年)、『ベレヌスのロビン』シリーズ(作画グループの諸先生方 : 1982 年 - )などなどのソード・アンド・ソーサリー的世界がその後のコンピュータ RPG の一大ブームへとつながるプレリュードを奏で始めていまして、そして正確には 1,000 年後の未来の物語なのですが、『風の谷のナウシカ』(宮崎駿先生 : 1982 - 1994 年)なども、それまでのリアルロボット志向とはまた違った不思議な世界をチラつかせてくれていました。スカイフィッシュみたいな巨大な蟲たちだとかね😁
そしてっ? いやまだっ? 『聖戦士ダンバイン』(富野由悠季総監督 : 1983 - 1984 年)までとびたくない! 大学のメディア映像学科に講座なんか持ってる超一流の貴族ヲタじゃないけど! もうちょっとだけ粘りたい!
たとえば『最終戦争シリーズ』(山田ミネコ先生 : 1977 年 - )だとか『アンドロメダ・ストーリーズ』(竹宮恵子先生 : 1980 - 1981 年)だとかが思い浮かんできたりしているのですが、両作とも SF 的背景がハッキリでていますし、それにここで『百億の昼と千億の夜』(萩尾望都先生 : 1977 - 1978 年)が挙がってこない点などが、ダメヲタのダメヲタたるゆえんなのでしょう😢 実は同作もその頃友人に強く薦められ読んではいるのですが、その友人より先に『少年チャンピオン』連載時に知っていたにも拘らず、なんだか小難しい漫画だな、といった程度の認識でスルーしていた自分としては、素直にここに読んでいたとは書けない心境なのです😢
うえに迂闊にもソード・アンド・ソーサリーなどと書いてしまいましたが、最近字幕もない『YouTube』映画などの答え合わせをしている過程で、ソード・アンド・サンダル、ソード・アンド・プラネットなどというサブジャンルの定義を知りました😊 ソード・アンド・サンダルは古典古代期のファンタジーといった感じなのでしょうが、ソード・アンド・プラネットというのは E・R・バローズの『火星シリーズ』、『金星シリーズ』といった辺りでしょうか😟 いやいやひょっとして『銀河伝説クルール』(ピーター・イェーツ監督 : 1983 年)などもそんなジャンルに含めることができるのかもしれません😊 とはいえ『アリオン』(安彦良和原作・監督・キャラクターデザイン・作画監督 : 1986 年)をソード・アンド・サンダルとして再定義しようなどという野暮な行いは、やめておくのが当然でしょうね😓
でもあの頃の僕には古典古代も中世もなく、剣で戦えば中世騎士物、拳銃使えば西部劇、機関銃まででてくりゃそりゃもう戦争映画ってな感じでして、当時 VHS 三倍録画でよく観ていた『三銃士』(リチャード・レスター監督 : 1973 年)などは、なんかちょっと困った感じになっていましたねェ😓 『ベルサイユのばら』(長浜忠夫総監督 → 出崎統チーフディレクター : 1979 - 1980 年)などについては、あの頃の僕、一体どんな風に誤解してたんでしょうねェ😓
というわけでそんな僕にとってはこれまた中世騎士物だったかもしれないお気に入りの映画がありまして😊 それはつまり、『スパルタカス』(スタンリー・キューブリック監督 : 1960 年)です😊
もっともこの映画、上記『ベルサイユのばら』どうよういろいろ問題があったようでして、でももともと僕は監督を対象に系統だって映画を観るような真っ当な映画ファンじゃありませんし、「キューブリックはあくまで監督として『雇われた』だけだと言い張り、死ぬまでこの映画を自分の作品とは認めず、『あの映画には失望した』とまで言っていた。[要出典] これは製作者カーク・ダグラスが大物俳優であったことにより、キューブリックの思惑どおりになかなかことが進まなかったことが理由とされている」(「スパルタカス(映画)」『ウィキペディア』2024 年 10 月 26 日閲覧)ということでもべつに構わないんじゃないかな? なんて、ユルく考えてしまっているんですけどね😓
しかしこの映画、『クレオパトラ』(ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督 : 1963 年)、『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー監督 : 1959 年)並みの一大歴史スペクタクル巨編で、高校時代、やはり VHS 三倍録画でなん度も繰り返し観ていたといっても、全編通しで観たのは案外三回ぐらいだったのかもしれません😢
とはいえ最後の決戦を前にしてのスパルタカス、クラッサスの演説などは、無論吹き替え版でではあるのですが、ほとんど空で、マネできるようになっていましたねェ😓 どうせキモいだけなんでしょうが😨
そしてクラッサスにはスパルタカス以外にもたとえば元老院にグラッカスなど、多数の宿敵がいまして、若き日のシーザーもそんな宿敵のうちの一人だったわけですが、映画はなんといっても大作ですし最後の決戦以降にもさまざまなシーンがありまして、クラッサスとシーザーとは、そういった諸シーンのうちの一つのなかで、以下のような会話を交わしています(れいによってまた記憶による引用なんですが😟)。
シーザー :あの男が怖いのですか?
クラッサス:ああ。戦っているときはそうでもなかったが、いまは貴公より怖い。
シーザー :私?
クラッサス:そうだ。シーザー。貴公だ。
ジュリアス・シーザー😊 ようやくシェイクスピアのところまで辿りつけたって感じですね😊
高校時代😊 永遠とも思われた退屈な授業😊 そんなとき胸んなかに『スパルタカス』のあのオープニングテーマが響いてきて、そのテーマを心でなん回か再生したあと、教科書に載っていたシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を一学期に三回ぐらい? だったかな? 読み返す結果になっていたわけです😁
収録箇所はブルータスとアントニーの演説合戦のところだったのですが、どっちかっていうと僕は、ブルータスの演説のほうが好きだったかな😊 アントニーに関してはクレオパトラ関連の映画やドラマをなん本か観てもそれほど雄弁家って感じじゃなかったし、どうして彼にブルータスの演説を覆すようなマネができたのか? 僕は『ジュリアス・シーザー』全編読んだあとでも、その辺のところ、あまり納得できていないんですよ😟 ローマ市民たちは自分たちの支配領域がポリス的共和制で統治できる範囲を遥かに越えてしまっていることを心のなかでは理解していたので、的説明はここではもういいからさっ😟
でもこういうのって文芸同人あるあるなんですよね😊 教科書に載っていた「先生の手紙」にいたく感動したけど、夏目漱石の『こころ』全編読んでみたら、案外大したことなかった、とかね😟
それじゃあね😊