見出し画像

「価値観の違い」は当たり前だけど、心の底はめっちゃ怖いよね、という話。

みなさまこんばんは。
ライフコーチの「たおちゃん」こと、うえたお えり子です。

「価値観の違い」を発端にした気づきを書いてみました。

炎上投稿を見て感じたこと

いつもは気持ちが下がるので、炎上系のポストは見ないようにしてるのですが、たまたま何やらライブのチケット代金のやり取りでもめているXの投稿が流れてきて、ふっと見てしまいました。

正直、私も完全に片側の主張しか理解ができなかったけれど、少ないながらも、もう片方の主張にもちゃんと支持者がいるのを見て、あぁやっぱり全く相いれない価値観をもっている人っているよね…と改めて感じました。

それだけで終わればよかったのですが。

ちょっとその後にまた自分とは全く相いれない考えの発信をちらと見てしまいましてね。

価値観違う人がいるってことは、対人支援者として嫌でもわかっちゃいるはずなのに、なんかね、続けてそんなものを見てしまったからか、ずっとそのモヤモヤが続いていたんです。

モヤモヤの中身

そこで、自分の中のモヤモヤの中身、ちょっと紐解いてみました。

モヤモヤを感じていると、
すごく重くて、グレーな塊が身体の中にどんどん入ってきて、
身体が小さくて冷たくなっていきました。

これってどんな感情?と思ったら。

「怖れ」でした。

自分が言われているわけではないけど、価値観があまりにも違う人の投稿を見かけると「自分も否定される!!」と思って、しゅんと身体が小さく、胃がきゅっと縮まって、背中がひんやり冷たくなる。

これ、この体感。
私が、何度も経験してきたやつだ。

学校で私の言い分も聞かずに、一方的に先生に怒られたとき。
何気ない発言を、バイト先で仲間数人から否定されたとき。
営業時代にお客さんから理不尽なクレームが入ったとき。
厳しい上司から、自分が納得しない論理で責められているとき。

全て、この冷たくて胃がキュッとなる感覚がありました。

「このひとには、話が全く通じない…」
→「私は役に立たない」
→「この場にいても意味がない」
→「この場にいる価値がない」
→「価値がなかったら去らなければならい」

「価値観の違い」は、
私にとっては「存在が消されてしまう怖さ」につながってた。

そうか…。
そりゃ怖いよね。

怖さを感じてた自分をまず、抱きしめてあげよう。
怖かった、怖かった。
はぐ。

視点を変える難しさと、今日の結論。

それにしても、本当に価値観ってしみこんでるから、視点を変えるのは難しい。

特に自分の主張が正しいということを争っているときって、「自分が正しい」という目玉で物事を見続けてるから、視点を変える時に必要な、「一旦振り払ってフラットに戻す」がめっちゃ難しい。

でもさ、たおちゃんよ。(あえて、自分に呼びかけて、メタ認知促進)

改めてさ、もともともっているそれぞれのひとの特性に掛け合わせて、価値観って人が育った環境分あるわけで、同じ人なんているわけないよね。

自分と全く同じ考えの人いたら、逆に”自分らしさ”が出せずに、怖いよね。

これもXで見かけた投稿だった気がするけど、いい夫婦やパートナーというのは、「価値観が同じ人」ではなくて、「お互い価値観が違うことを理解した上で話し合える人」と言っているのを見かけて、本当にいいこと言うなぁ、と感動。いい仕事仲間、もきっとこれだよね。

うちは夫が全然考え方が違うタイプなので、ちょっと前までしょっちゅうケンカしてたけど(今もするけど)、今となってはほんとに自分の考えを常にフラットに見る上では良い人選んだな、と思っています。お互いに冷静になれば、ちゃんと話せるから。

世界の大きな争いを止める力はないけれど、
自分の身の回りの小さな平和を守るための、日々自分をメタ認知しながら修正しようとする努力は、平和な世の中を創る知恵につながっているんだろうな、と思う、土曜日の夜でした。

おしまい。


いいなと思ったら応援しよう!