熊野古道とエベレスト街道
熊野古道を多くの外国旅行客が歩いているの見てふと私も昔(30年ぐらい前になるのだが…)同じくいち外国人としてエベレスト街道を歩いていたのを思い出した。
きっと熊野古道を歩いていた海外の人たちと同じような気持ちで。
異文化に触れてワクワクしながら。
ネパールは私にとって心洗われた感動の場所。会社を辞めて住みたいとさえ当時は思っていた。
このところすっかり猫に魅了されてしまい、旅に出る気がめっぽう減り、どちらかというとインドア派に傾いていたため忘れていた。🐱🐱
当時はまだ山ガールという名前がまだない頃の山ガール。
JR20000キロ踏破の旅をしていた時に、北陸本線の車窓から見た
冬の立山連峰があまりにも素敵で山を登りたいと思い、日本の山をいろいろ歩いた末、たまたま海外旅行のパンフレットを見たらアンナプルナ峰ヒマラヤトレッキングを見つけてツアーに参加。
すっかりヒマラヤのとりこになり、エベレスト街道はやはり山好きの主人との新婚旅行で20日間かけて行った。
エベレスト街道は世界中からトレッキングを楽しんでいる人たちで行き交っていた。道中いろいろな出来事があり、話すときりがないほど。
私たちはルクラの飛行場からトレッキングをスタートしたが、何組かのドイツ人カップルは高度順応するためにもっと下から時間をかけてルクラまでやってきたと言う。すごい!私はルクラ(2840M)からスタートしたのでまだ適応できずクラクラだった。何とかナムチェバザール(3440M)へたどり着いた。
ガイドも兼ねてシェルパさんを雇い、私の荷物を持ってもらったが、他の海外からの人たちはほとんど自力で旅をしていた。
-50度でも耐えられるシェラフを持参したので外で寝て試すというドイツ人。気さくに話しかけてくるオーストラリア人。カナダ人のカップルは私たちと同じく新婚旅行。仕事を辞め、家を売り払ってアジアを6カ月旅しているとのこと。羨ましい限り。ネパールに住み着いているという仙人のような恰好をしたイギリス人。
シャンボチェ(3500ⅿ)を過ぎたあたりで会ったアメリカからのツアー客がいた。今日シャンボチェ空港に着いたばかりだと。ご年配の女性が話しかけてきた。
「日本の富士山に登りたくて日本に行った。素晴らしかった。あとはエベレストを見たら自分の夢がかなえられる」と。
その隣に座っていた若い男性は全米マッチョマン選手権で2位だと。今日はあまり歩いていないので体がなまってしょうがないと、筋トレ開始。その場で腕立て伏せをしてる。
次の日、そのツアー客に茶屋で会うたびにひとり、ふたりと体調が悪くなっていた。あの全米2位のマッチョマンもついには頭が痛い!とうなり声をあげていた。最後に会った茶屋ではおばさんが元気のない声で
「もう皆高山病なのでベースキャンプまで行かずに引き返すことになったわ。がんばってね」と挨拶してきた。
私達は当初エベレストベースキャンプを計画していたが、出会う人皆が口をそろえて「ゴーキョピークのほうが眺めが素晴らしい。360°ヒマラヤの8000Mの山々のパノラマビューが見れるよ!」と強く推されたのでBCはあきらめてゴーキョピークにした。そして無事ピーク(5357M)登頂に成功した。それはそれは眺めは素晴らしかった。💛
帰りはさすがに下りだったのでナムチェまではすぐに感じた。
そこで一緒に食事をしたアメリカ人から
「今、日本は大変なことが起きているよ。オウムって? ショウコウって知っている?」と彼は飛行機の中でTIMEを読んだ記事のことを私たちに話してくれたが、その時は???ピンとこなかった。
帰国した時、彼の言ったことが理解できた。街中の警官の多さ。ゴミ箱封鎖。ヘリコプターがあちこちで旋回している。私達は何が何だかわからず浦島太郎状態だったのだ。
ナムチェで1組だけ日本人の家族が宿にいたのでお話をした。東京大学の教授で、毎年GWの時期にヒマラヤの高山植物の研究で子供達と訪れているとのこと。毎年同じシェルパに手伝ってもらって、子供達も採集に協力しているらしい。
今思えば、牧野万太郎みたいな人に会っていたんだなぁ
エベレスト街道はもう行く機会がないかと思うが、熊野古道はまた行ってみたくなった。またいろいろな国の人と会えるかなぁ?今度は高野山ルートにしようか?吉野から行こうか?秋ぐらいに行ってみようかなぁ?
追記:木曜日に4年ぶりに開催の台東区入谷の朝顔市に行ってきました!
朝顔ゲットしました!