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高純度北欧留学記

 先述しておく。私は自他共に認める齢20の屁理屈野郎である。ここに記すのは、私が外国で体験したものの断片であり、回顧に過ぎない。ふわふわした理想も、豊かで甘美な思い出なんぞも、残念ながら一切書くつもりはない。悲しくも、それが現実なのだ。私自身が体験してことを、行けるところまで本音で綴ってみようと思う。これが、この留学で関わってくださった人々へ、全方位に対する私なりの誠意なのだ。

 そして、この記録を完成するにあたっては、私の生態をよく知り、観察し、また私の善悪の指針としてこの留学を共にしてくれた相棒Aの存在が不可欠であったことを、ここに明記させていただきたい。相棒Aが客観的にわたしと留学を振り返り、語ってくれたものが、この留学記のベースとなっている。

それでは、始めていこう。


出国前 | 有頂天

 留学に至るまでの経緯は以下の記事にチョロっと書いているので、よければそれを参考にしていただきたい。ここには、以前の記事では書けなかった渡航に至るまでの補足のみを書き記すことに止める。

 私が渡ったのは、福祉国家としても、冬の自殺件数の多い国としても有名な北欧のとある国だ。クラシック好きなら誰しも知っているであろう、<ペール・ギュント>の『朝』の作曲家の出身国 とだけ、ヒントを出しておく。
 なぜ、留学で人気な英米豪でなく、彼の国に行くに至ったのか?
 理由は単純である。「非英語圏」かつ祖国から遠ければ遠いほど良いと思っていたからだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 偶然にも、隣国のスウェーデン出身の友人がいたということも由来する。
 留学が決まった後、かの友人は「うーん、正直ちょっと心配でもある」と漏らしていた。思うところがあったらしい。何が心配なのか当時の私にはさっぱりわからなかった。兎にも角にも、大冒険を前にして、私は有頂天だった。
細かいことは気にしねえ、とりあえず行くぜ。
 …我ながら短絡的すぎる。


自己紹介とマウントと宇宙人

 貧乏なので、周りがビジネスクラスやファーストクラスで長期フライトを耐えたと宣うなか、私はLCCを乗り継ぎ、約38時間という途方もない時間を狭い機内で過ごした。宿命である。

 「非英語圏であるし、こんな北半球の北の北まで来る日本人なんて少ないだろう」そう、たかを括っていたわけであるが、寮に到着し、アジア人の多さに驚くこととなった。中国人がほとんどであったが、何より想像以上の数の日本人に驚いたのだ。そして、その日本人同士が集うコミュニティーの団結力にも驚かされる。隊のようだ。或る意味で、ザ・ナショナリズム。特にK大やW大、D大といった、日本国内でいわゆる高学歴と言われる人々が固まって行動していた。ちょっと意外だった。
 私は彼らと比べると、地方のしがない大学生である。相棒もしかり。

 「どこから来たの〜?」と、まずは英語で尋ねられることが多かった。相棒が高麗大学のクァジャム(学校・学部学科を象徴するデザインやロゴがプリントされているアウター)を着ていたため、韓国人とみなされたのかもしれない。相棒は高麗大学に春頃留学しており、その記念に買ったものが防寒性に優れてるという理由で着用していたに過ぎないのだが。
 ちなみにだが、相棒は英語より韓国語の方が得意だ。ものすごく喋れる。

話を戻す。相棒が日本人だと判明した途端に残念がる日本人がいた。勝手に期待されること自体にも大変遺憾であるが、それよりも、あまりにもその思考と行動が差別的で笑ってしまった。最も、勘違いした本人自信、そんなことにも気付いていないようで笑えた。

「日本人だよ。〇〇大学出身。よろしく」と述べれば、
各々が一斉に
「私はK大」「あら、私はD大よ」みたいな感じで大学紹介が伝播していく。
皆一様に、「それはそうと、〇〇大学って…どこにあるの?聞いたことないなあ」と語尾に付け加えてくれる。

 相棒はこの時点で、このコミュニティーに嫌気がさしていたそうだ。彼女はものすごく人の感情や、考えていることに敏感であるから、何かしらのセンサーが働いたのだろう。

 だがしかし、そういったものに無頓着で鈍感も過ぎる私は、この一連の流れがいわゆる「高学歴マウント」と理解できずに、

「あらまあ、知らないの!!君たちと同じ、関東とか関西出身も結構多いんだけどなあ。高校時代に起業してたり、帰国子女もたくさんいたり、あとは国内の大学ランキングでも上位の国際性で有名だけれどなあ。大学として申し分ない、良い環境だよ。編入もできるよ!教授も半分くらい外国籍でね……」

 云々と、彼女たちが理解できるまで大学紹介に励んだ。分からないことは、分かってもらうまで伝えてあげることが誠意というものだ。
 かなり純粋に大学紹介(もはやプレゼン)を繰り広げる私を見て、相棒は「強かだなあ」と思ったらしい。集団から解散したあと、はじめて、先ほどの出来事が「高学歴マウント」ということを教えられた。もっと苛烈なものだと踏んでいたので、あんな風にサラッとマウンティングされるとは思わなんだ…。
きっと、話が通じねえ宇宙人と思われたんだ。そうに違いない。

 ちなみに、全ての日本人が嫌味であったわけではない。なかには、純粋に学問を愛し、励む、尊敬すべき先輩などもいて、そういった人たちには幾度と助けられ、また刺激をもらった。帰国後も連絡が続いている友人もいる。
 ただ、どういうわけか、自国と物理的に切り離されると生存本能のようなものが働くからか、攻撃的になったり、陰湿なやり方でこちらを利用しようとする人間がいたのも事実である。しかし、そういう人間は揃って、能力的には全体的に優れているわけではなかった。高学歴ステータスを翳しまくる割には、宿題やディスカッションの進行をこちらに投げてくるし、相棒なんて、どういうわけか、よく陰口を言われていた。

授業と課題と高学歴女子たち

 教育先進国・福祉国というだけあって、課題や試験のレベルは高かった。専攻していたジャンルは人文学・社会学系統であったため、授業内のディスカッションが多かった。特に、ゼミでは毎回グループを組まされ、壮大すぎる分野と寮の読書課題についてのディスカッションやプレゼンテーション準備で苦しんだ記憶がある。
 ゼミのグルーピングは、生徒たちに任される。人種の割合的に一番人数の多いフランス人は、フランス人同士で組んで、それ以外の欧州人もそれぞれ固まっていくのを眺めていたら、気付けば例の高学歴マウンティング女子と同じグループになっていた。他人に基本興味ないので「また会ったね。よろしく」とひとまず挨拶しておく。
 あれだけ自身のレベルの高さを鼻高々にご教示してくださったので、それ相応の期待をしていた。レベルの高い人間と勉強できることは私としても嬉しいことだ。

「来週までに、この部分を抑えておいてください。読んだ内容を理解した上で、私が問題をいくつか出して、グループディスカッションをします」と、TAが次回予告をして解散。「来週もこのメンツで、この席でお勉強ね。OKOK」忘れっぽいので、しっかり頭に叩き込んで教室を後にした。

 そして迎えた翌週のゼミは散々だった。計5つの大問に、ディスカッションを経て出した答えを理由とともに一グループずつ発表していく流れだったのだが、このディスカッションが一向に進まないのだ。
 「〜〜〜で、〜〜〜っていう理論が書かれてたよね。だから私は〜〜〜だと思うけど、どう?」と投げかける。ディスカッションにおいて、自分の論理に破綻がないか、また抜けている部分がないかを確認し議論を発展するためには、グループ全体で話し続けることが必至である。
 …であるのに!
「ちょっとよくわかんなかった。」
「てか、今日の授業の範囲ってここ?」
と、宣うでないか。絶望的だった。議論を展開する以前の問題である。ディスカッションのタイムリミットは、この時点であと3分まで迫っていた。慌てて、「前のゼミの終わりでTAの姉ちゃんが言ってたじゃん。ここ。読書課題の範囲はここからここって」と、分厚い教科書のページをパラパラめくってあげるも、
「わー。ごめんまじで分かんないわ」完全に匙を投げられた。
いい加減にしてくれ…。この一週間君は何をしていたんだ…。というか、さっと読んでさっと理解してくれよ、頭いいんだろう?あのマウンティングはなんだったんだ…。

結論から言うと、
5/5問のディスカッション議題全てを、ワンマンで答えることになった。
学歴は信用ならないことを証明してしまった。

後日譚 byその場に臨場していた相棒
「山羊は、人類皆死んでしまえばいいみたいな目をしてあの高学歴女子さんをつめてたよ。オーラもそうだけど、結構語気も強くて、私も流れ弾くらって、ものすごく死にたくなった。あれはトラウマ。」

……南無阿弥

白菜と高学歴女子

 寮内の留学生交流イベントで、それぞれ自国の料理を持ち寄ってパーティーするというのがあった。参加は必須でない上に、私自身、料理が壊滅的にできないこともあって、イベントなんてバックれてお散歩にでも行こうと思っていた。そんな折に、例の日本人コミュニティの一部から収集がかかった。「鍋も作って参加したいけど、人数が足りない。協力してほしい」旨、懇願されたのだ。たまにはこういうのもありかもしれないし、何より、他国の料理を一斉に味わえる機会なんてそうそうない。

「料理なら相棒がうまいから、相棒も誘っておくよ。」

 鍋の材料をスーパーで調達し、寮のキッチンに集まった。メンバーは四人。料理上手の女将(相棒)と私、それからK大の女子二人だ。ちなみにこの二人とは、初手の自己紹介以来あまり接点はない。
兎にも角にも、取り急ぎ、肉団子が美味い鍋を約20人分を作る。
料理慣れしている相棒がテキパキと指示を出していく。「君は、人参ね」と手渡された人参を俎板に叩きつけるように銀杏切りにしていると、向かいで白菜を任されたK大のBちゃん(仮称)が、「わたし白菜切ったことなーい」と言い出した。なるほど、相当なお嬢様とみた。
「すご。初めて出会ったわ。普段自炊しないん?」と聞けば
「しないよー。」と返ってきた。
 相棒はこの時点で、「私たちに全部投げようとしてるな」と察して、そんな傲慢さに「どうしたものか」と辟易していたそうだ。

 そんなことすら察せない地球初心者のわたしは、
「そっか!まずは白菜洗ってみようや」と促した。
「白菜、洗ったことないんだよねー。」
「え!まじで!すごいね、徹底してるじゃん。」
「ねー。どうしよー」
「どうするも何も、おめでとう!手伝うよ、初めて記念日。はい、一枚ずつめくって洗ってねー。」
 彼女の初めて記念日を完遂させるための親切心だった。切り終わった人参を相棒にパスするついでに、シンクの蛇口を開けて促せば、いやーな顔をされた。

出来上がった鍋を味見する。なかなか良い。タップタプの大きな鍋二つを、どういうわけか相棒と二人でよっこらせよっこらせと運んで会場を目指した。まあ、適度な負荷が腕にかかって筋トレになるから良い(この時私はゴリラに憧れ、筋トレにハマっていた)。取り皿を準備するためにその場を離れ、戻ってきたころには、時すでに遅し。「このジャパニーズ・ナベスープ美味しいね!」と、鍋を取り囲んで宣う留学生たちの中心で「嬉しい。私たちで作ったの」と綺麗なスマイルで自慢している白菜女子(ともう一人)は、ザ・大和撫子な雰囲気ビンビンで可愛らしかった。だが、私たちの努力の結晶は、見事に乗っ取られてて笑ってしまった。ことの顛末を知るイベント実行委員の友人に「お疲れ」と言われ、フォークを手渡された。もうなんだって、いいよ。よきにはからえ、よきにはからえ。欧州各国の郷土料理は、労働(相棒は心労)で疲れた体によく沁みた。

「なあ、恋人とパートナーの違いってなんやと思う?」

 ゼミの一件があった後も懲りずに、「頭いいね!勉強教えてよ」と鋼のメンタルで距離を詰めてこようと(相棒曰く、あれは私をいいように利用しようとしていただけ)する彼女をできるだけうまく躱し、彼女が所属している日本人コミュニティーには極力接触しないように生活するようにした。自分から期待して、結局大きく外れてしまうのが怖かったのもある。
 悪びれもせず「課題?エッセイ?ディスカッション?全部ChatGPTに噛ませればいいんだよ。それか誰か捕まえてやってもらうんだー。」なんて私にはできるわけない。私にとって、それは自尊心だけでなく自己愛も削るような行為であるから。「考える葦」が「ただの葦」になることを、どうして自ら選択できようか。

 大きなコミュニティに所属しないことは、必然的に社交のチャンスを減らしていくことにつながった。人脈がないのだ。これに相棒はかなり堪えていた。彼女の留学の目的は「英語力をあげるために、できるだけたくさんの人間と関わる」であった。いつになっても目的が達成できないような状況に不安がっていた。

 他方の私は、馴れ合いなんて必要ねえ。どうせインスタントな人間関係なんてくそ薄いから必要ねえんだ。と言う闇落ちヴィランのような有様である。
 そもそも、自国でもそこまで友人が多い方でない。性質的にも、狭く深い関係であるからこそリラックスして交友関係を続けることができるタチだ。snsでお綺麗な白人との洒落た写真を投稿してそれきりのインスタントな関係性は、かえってストレスになりかねない。自分を殺したって御免だ。

 そんな私にも、いよいよ友人ができた。
 出会いは、TGIFなパーティーの熱が冷めない金曜の夜のトラムだった。その日知り合ったばかりのベルギー人の青年に「面白い友人がいる」と、紹介されたのがきっかけだ。帰宅のトラムが被ったので、一緒に乗車することになった全身青尽くめの小柄なアジア人女性は、開口一番こう私に尋ねてきた。

「なあ、恋人とパートナーの違いってなんやと思う?」

これが、帰国後も交流が続くことになる友人Iとの出会いだった。
竹を割ったような性格で、かつ、哲学的でしっかり変態なIと仲良くなるのに、そう多くの時間は必要なかった。この「初めまして」もすっ飛ばした問いかけに私はビビッときたのだ。
めちゃくちゃ面白いじゃないか!なんだこの青い人間は!
 パリピだらけの車内で、意気揚々と「パートナー論」を展開していく。それはやがて、「ジェンダー論」にもなったし、「恋愛とLGBTQ+と生物の本能の関係について」にもなった。とにかく、なんの苦もなく話が広がっていく。勝手に進んでいく。勝手にIのことがわかっていく。こんな感覚は初めてだった。寮につき、解散する頃、互いの連絡先を交換した。Iは残念ながら、講義室どころかキャンパスすら遠い美術学部の生徒だった。「青」を研究しているらしい。彼女のsnsはさまざまな青で染まっていた。綺麗だと思った。その学びへの姿勢も、I自身の佇まいも、語気強めな感じも、全部。

「ここにきて出会ったコミュニティが好きになれない。私はここに来て、祖国の人間が嫌いになってしまった。なんだか悲しいよ。」
 Iと仲良くなるにつれて、言いづらかった本音も言えるようになってきた。人に興味がないのは常であるが、嫌いになることはほとんどない。しかし、ここにきて、この国の人間関係の構築の仕方や、コミュニティの在り方に馴染めないこと、馴染めなさすぎて、人間丸ごと嫌いになってきたこと、それ自体、自分という人間がだんだん劣化してきたような心地にさせて寂しい、そう告白した。

すると、Iは、
「そんなん、あいつらがつまらん人間ってだけや。お前さんの感性は死んでないし、むしろ、あの人間たちよりお前さんの方が百倍おもろいで」
と、ニヤリと笑って見せた。

「あいつらに、『恋人とパートナーの違いってなんやと思う?』って聞いてなんて返ってきたか、わかるか? ほんま、つまらん回答やった。つまんなさすぎて忘れたわ。というか、そもそも答えてもくれへんかった気いするわ。ほんま、面白みがない人間で、可哀想やわあ」

 彼女が「初めまして」をすっ飛ばす理由、それは、彼女なりに良質な人間関係を構築するためだったのかもしれない。自分を害したり、自分が害してしまうような人間をうまく避けて、必要な分だけの失敗を受け入れられるように工夫していたのかもしれない。
 一見、常識も突拍子もないやり方のように見えるが、とても合理的で効率の良いやり方だと思った。
 私にはやっぱり、学歴やステータスに関係なく、少し非常識なくらいの人間がちょうど良いかもしれない。たまには、互いに「過激すぎるのでは」と互いの発言を訝しんで、それはどうかなとか、こういう視点はどうかなとか、そういったことを遠慮なしに投げかけ、それをキャッチしてより話が広がっていけるような関係が、どんなキラキラステータスよりも大切でプレシャスなのだ。

高学歴マウンティング女子たちには感謝してもしきれない。相乗効果というべきか、対比効果というべきか、彼女たちなしではこの学びは得られなかったと思う。


『光あるものは、光あるものを友とす』

All that glitters is not gold.
(光るもの全て金あらず)

シェイクスピア『ベニスの商人』

キラキラしない留学生活こそ、私なのかもしれない。
淀んだ生活の中に、パッと煌めく出会いと物語が生まれ、それが私をより私らしくしてくれた。
All that glitters is not gold.
ステータスありきの人生が全ての世界ではない。ステータスを持つことも悪ではないが、人間が人間でしかないからこそ、人間自体の中身がいきる人間でなければならない。どんな素材もそれぞれの特有の輝き方があって、だけれどその輝きの内の「わたし」という個人を磨くことの大切さを知れた。

 閉鎖的なコミュニティはどこにでも存在する。留学中、どんな国・地域出身でも、決まってその国の人間同士で固まることは常であること。それはつまり、ある意味で自国を、自国民を信頼し慈しむ心を持っていることも示しているから、わたしは、一概にそれを「留学(もしくは外国語学習)に専念するには悪である」と断定するには早計だと思う。物事は多面体だ。一面だけを取り上げて非難するのは、自分が凡庸で未熟な人間であることを示している。

 だからこそ、ここでは一切のキラキラ⭐︎留学ライフを書かないことにした。どこまでも凡庸で未熟であるわたしが経験したリアルな生活と、偏屈なわたしの留学後も続く人間関係、それがどのようにして構築されたかを書こうと思った。
 365日全てが100%充実している人間なんぞいないように、うまくいかないことも当然のようにある、ひとりの人間の記録だ。

くれぐれも、留学に期待するな。留学後の自分に期待しろ。
そして留学中は絶望すればいい。落ちるところまで落ちたら自然と上がっていくしかないから。絶望の中にしか見れない景色をとことん味わい尽くせばいい。

SNSは虚言だ。
そんなものより、己の足元を見るべきだ。
特に、頑張っている自分を無視して、他人の非日常を見つづけるのは害毒でしかない。全く勧められない。
どこに居ても、やるべきことをやるしかない。
そこを離れたかったら、どうにかして離れるしかない。
光あるものは光あるものを友とする。
わたしは、わたしが心地よい居場所を探しただけで、気づけばそこにはそういう人たちが集まっていた。
合わない人間は、自然と去っていくし、もしかすると君が去る側かも知れない。
自然なことだ。
留学では、アイデンティティの一部から遠く隔絶されることで、より、この自然の摂理を理解しているかしていないかを試される。
寂しさに屈して、インスタントな人間関係に徹するか、寂しさや絶望を味わい尽くして状況を打破したり、若しくは新たな境地を得られるかは、本当に結局のところ自分次第である。

とりあえず、一度自分を試してみるほかない。
それが、わたしにとって、今回はたまたま留学であった。それだけだ。

いつか、本をつくりたい