2023.2/12 コリントの信徒への手紙Ⅱ4:7
宝を土の器に納めている…一見矛盾したような表現が書かれています。
土の器とは粗末な土の焼き物で壊れやすいものです。
土の器に宝を入れているのは、何とも不恰好です。宝にはそれに相応しい容器が必要ですが、神様は敢えて土の器にご自分の宝を入れる事をなさいました。
何故でしょう…
もし、容器がキラキラ輝くダイヤ付きの器であれば、その輝きは器にあるのか、それとも宝にあるのか、あまり区別がつきません。
むしろ容器が質素なもの、目立たないものであればある程、輝きが器からではなく、宝から出ているものである事がわかります。
そこで神様は敢えて弱い私達の中で輝く事を選ばれたのです。
時として私達は、自分の器を磨くという間違った事をしてしまいます…なんとか強くなろうとしますが、私達は、弱さのまま、ありのままの姿で神様に全てを明け渡せばよいのです。
この弱さの中でこそ、キリストの力が完全に働くのです。
ですから、私達は弱い時にこそ強いと言えるのです。
その器が空っぽであればある程、神様の恵みは器から溢れる程に与えられ、恵みは満ちていくのです。
その為にも弱く脆い私をそのまま神様に明け渡していきたいと思います。
その中で力強く働いて下さる神様のみ業を一つでも多く体験していきたいと願っています。
古屋良子📖
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