オリーブの仲間達

「命のパン」 みことばを食べましょう。 土曜日は安息日です。 毎日みことばをお届けしています。 土曜日の午後にグループ聖書研究をしています。 参加されたい方、ご連絡ください。 SDA大岡山教会 http://oookayama.cliff.jp/wp/

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最近の記事

2023.2/12 コリントの信徒への手紙Ⅱ4:7

宝を土の器に納めている…一見矛盾したような表現が書かれています。 土の器とは粗末な土の焼き物で壊れやすいものです。 土の器に宝を入れているのは、何とも不恰好です。宝にはそれに相応しい容器が必要ですが、神様は敢えて土の器にご自分の宝を入れる事をなさいました。 何故でしょう… もし、容器がキラキラ輝くダイヤ付きの器であれば、その輝きは器にあるのか、それとも宝にあるのか、あまり区別がつきません。 むしろ容器が質素なもの、目立たないものであればある程、輝きが器からではなく、

    • 2023.1/10 フィリピの信徒への手紙4:11

      これは獄中にいるパウロの言葉です。この手紙が獄中で書かれたにも関わらず、沢山の喜びという言葉が使われています。 パウロは逆境に次から次へと見舞われた人でした。 しかし、彼が人生の敗北者にならなかったのは、常にキリストに心を向け、主と交わり、いつも主に拠り頼んでいたからでした。 この御言葉は、貧しさの中でいかに耐久出来るかという禁欲的な言葉ではなく、貧しければ貧しいところにある喜びを知り、富んでいればその富を管理するところにある喜びを知るという事です。 パウロはどの

      • 2023.2/9 エレミヤ書29:11

        神様が私達の為に最善の計画を立てておられるという確信を与える御言葉です。 この約束は、自分の目で見れば幸いどころか災いとしか感じる事が出来ないような状況の中で与えられた約束です。 コロナによって私達の生活は瞬く間に変化を余儀なくされました。誰がこのような事を予測出来たでしょうか…この世に生きている限り、私達も様々な苦しみ、試練を経験します。 しかし、今日の御言葉は、私達の人生がバラ色になるという約束ではなく、むしろ私達が困難の中にあっても得る事の出来る幸いを約束してい

        • 2023.2/8 ローマの信徒への手紙5:3-4

          一般的には、苦難を否定的なイメージとして捉え、そこから逃れる道だけを教えますが、聖書はむしろ苦難をも喜びなさいと教えています。 何故でしょう… それは、苦難において私達は、自分の限界を思い知らされ、その中で神様に拠り頼む機会となり、神様に祈るように導かれ、神様との交わりを一段と深める時となるからです。 その中で神様の慰めと愛を体験し、順風な時には解らなかった事が解り、気付かなかった事を気付くようになり、新しい感謝と喜びを感じる時となるのです。 苦しみは出来れば避けて通りた

          2023.2/7 箴言3:5-6

          ここに主に信頼する事と自分の分別に頼らない事がセットで書かれています。 この世の中では、殆どの人が自分の力で生きています…その中で頑張れない人は置き去りにされてしまい、結局は安心して歩む事が出来ません。 私達は信仰を持ちながらも、ある部分は神様の導きを求め、又ある分野では、特に自分の得意分野になると自分の力に頼ろうとしてしまう傾向があります。 私達はこのような神無しの分野、例外を作らない事です。 自分の限界を知って、謙虚な思いで全ゆる生活の分野において、主に拠り頼んで

          2023.2/7 箴言3:5-6

          2023.2/6 ヨハネの手紙Ⅰ 4:18

          今の時代は、この先自分がどうなるのかという恐れ、死に対する恐れ、将来への恐れなど様々な恐れに満ちている時代、不安定な時代だと言えます。 だからこそ今知らなければいけないのが、恐れを締め出す全き愛です。この愛は条件付きでなく、無条件の神の愛です。 神は愛である…とありますが、神が愛なる方というより愛そのものであるという事です。 愛と恐れは相容れないもの、水と油の関係のようなものです。 丁度母親に信頼し切って抱かれて、スヤスヤ眠っている赤ちゃんのように、私達も神様の愛の中

          2023.2/6 ヨハネの手紙Ⅰ 4:18

          2023.2/5 民数記13:30

          神様は約束の地が、いかに素晴らしい所であるかを確認させる為にイスラエルの民の代表者達にカナンの地を偵察に行かせたのでした。 この御言葉はカナンの地を偵察に行って帰ってきた時のカレブの言葉です。 しかし、多くのイスラエルの偵察隊は、カナンの住民が強大である事に恐れを抱き、怖じ気づきました。恐れは問題を実際より大きく見えさせます。 恐れは、彼らがこれまで神様の多くの御業を見てきたにも関わらず、神様に信頼せず、「カナンの地を与える」という神の約束を信じない事から生じたものでした

          2023.2/5 民数記13:30

          2023.2/3 ヘブライ人への手紙12:6

          懲らしめは、神様から流れる深い愛の現れであり、愛からくる神様の取り扱い方法でもあるのです。 鞭打たれる事は痛みを伴います。しかし、私達にとって痛みは、体の防御装置でもあり、痛みは私達が健康的な生活を維持していくには必要であり、又成長する上で極めて重要なものとなります。 人は苦しむ事で初めて人間らしくなれるのではないでしょうか… 痛みを知らない人は、他人の弱さ、痛みを十分に思いやる事が出来ません。 痛みは常に人間を成長させるとは限りませんが、痛む事なしには人間は成長しな

          2023.2/3 ヘブライ人への手紙12:6

          2023.2/2 マタイによる福音書4:19-20

          イエスは漁師である彼らにとって一番信頼出来る方法で彼らの心を掴んでいかれました。人間をとる漁師…まさにこれは彼らにとって理解し易い言葉でした。 これまでは魚を捕って死なせる働きをしていたのですが、これからは人を生かす働きに招き入れられたのでした。 イエスが用いられたのは無学な人達でした。彼らは謙遜で教えを素直に受け入れる人達でした。 ペトロは多くの失敗があり、時に漁師に戻ったりと信仰に浮き沈みがありましたが、そんな彼にイエスはご自分から近づき、声をかけられました。 信

          2023.2/2 マタイによる福音書4:19-20

          2023.2/1 フィリピの信徒への手紙2:3-4

          一致を保つには、一重に自己中心とは反対の謙りが必要です。 謙りとは、自分を卑下する事ではなく、又自分を否定的に捉え、駄目だと決めつけてしまう自己憐憫でもありません。 神様と隣人の喜ぶ事を積極的にしていく中で、自分という存在を忘れてしまう事、又自分の過ちに敏感で他人の失敗に寛大になる…これが謙りの結ぶ実です。 同胞を愛する愛を兄弟愛と言いますが、この言葉にとても温かさを感じます。 この兄弟愛がなくなると、教会に来るのが義務的となり、礼拝に来ているだけという形式的なものになっ

          2023.2/1 フィリピの信徒への手紙2:3-4

          2023.1/31 フィリピの信徒への手紙1:29

          私達がイエスを信じる事が出来たのは神からの賜物ですが、それだけでなく、キリストの為に苦しむ事も神の恵みであると言うのです。 それは、苦難の中でより一層神様に近づき、その交わりを深め、神様を知る機会となるからです。 苦難は忍耐と希望を生み出します。苦難の中で神様はより一層近づき、ご自分を現して下さり、沢山の慰め励ましを下さいます。 星野富弘さんは、空中回転した際に、誤って頭から転落し、四肢完全麻痺の身となり、病院の天井だけを見つめる日々が続きました。 しかし、その中でキリス

          2023.1/31 フィリピの信徒への手紙1:29

          2023.1/30 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2:13

          テサロニケの人々がパウロの語る言葉を神の言葉として受け入れるようにして下さったのは神様ですので、神に感謝しているのです。テサロニケの人々に福音を伝える為に神がパウロ達を用いられたのでした。 神の言葉として受け入れる…という事は、単に良い話だったというレベルに留まるのではなく、御言葉を心に留めて、自分の思いや考えを横に置き、神の言葉の通り生きようとする事です。 種蒔きの譬えにあるように御言葉を聞く姿勢がとても大切です。どのように聞くかによって結果が違ってきます。 神様

          2023.1/30 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2:13

          2023.1/29 箴言27:21

          銀も金も、るつぼや炉で熱によって不純物が取り除かれ精錬されます。 私達の心は人の称賛によって試されます。心が高ぶる事も人の称賛によって起こります。 私達は人から称賛を受ける時に、その称賛を自分の手柄のように受け止めるならば、私達は危険な状態に置かれている事になります。 称賛が悪いのではなく、元々自分が持っているものは何もなく、主が与えて下さったものである事をしっかり心に留めているのであれば、自分を高めて下さった神様に栄光を帰す事が出来ます。 人から受ける称賛は、この空

          2023.1/29 箴言27:21

          2023.1/27 詩編19:8-9

          詩編19編のテーマは御言葉です。1~6節が自然の中で語られる神の言葉、8~11節は、律法の中で語られる神の言葉について歌ってます。 律法、定め、命令、戒め…は神の言葉であり、この神の言葉がちりばめられているのが聖書です。 自然を通して神の言葉を聞く事には制限があります。神の存在を語る事は出来ても、神の救いの計画を語る事は出来ません。 神の言葉である聖書のみが唯一、生きる目的を示し、死から命に至らせる救いの計画を示す事が出来るのです。 人の教えは時代と共に移り変わります

          2023.1/27 詩編19:8-9

          2023.1/26 イザヤ書42:16

          盲人の方はいつも通られる道はよく知っておられますが、通った事のない道を通る時にはとてもご苦労されるようです。 私達は日々多くの選択をしなければならない事があり、先の事も予想する事が出来ず、その度に悩む事があります。まさに私達は一寸先も見えない霊的盲人です。 霊的盲目な私達が知らない道、でこぼこな道を歩むなら必ず躓き、そこで落胆し、落ち込んだりします。 しかし、私達の全てをご存知の神様はどんな時にも私達と共におられ、全ての事を働かせて益として下さり、闇を光に変え、あらゆる出

          2023.1/26 イザヤ書42:16

          2023.1/25 ルカによる福音書5:5-6

           漁師達は、漁をしたけれども魚一匹も捕れず、空っぽの網のそばで失望と落胆の中にありました。自分の得意とする所で何も出来ず、自分の限界を知ったのです… この時、イエスは『沖に漕ぎ出して網を下ろし、漁をしなさい』と声をかけられました。 ペトロはこの時、望みはありませんでしたが、自分の限界を認めながらもイエスの御言葉に従いました。 プロの漁師が大工であるイエスの指示に従ったのです。ペトロは自分のこれまでの経験を横に置いて、イエスの言われる言葉に従ったのです。 この時、網が破れ

          2023.1/25 ルカによる福音書5:5-6