R4.11/20(日) フィリピの信徒への手紙1:21
この御言葉はフィリピ書のテーマとも言うべき言葉です。
「生きるとはキリストであり」とありますが、これはキリストと共に歩み、キリストと共に生きるという事です。
パウロの人生の全ての目的はキリストを大胆に語る事、更にキリストに似た者となる事でした。
私達に大事な事はキリストが私達の心の中で主となるという事です。
Doingではなく、Beingが先です。つまり、自分が何かをやり遂げるのではなく、キリストが自分の心の中で、生活の中で、人生の中で生きて下さる事です。
金太郎飴のように、どこを切ってもキリストが出てくるそのような人間になっていくという事です。
良い行いはその結果として出て来るものです。
「死ぬ事は利益なのです」
これは現実逃避ではありません。
パウロは鞭打たれ、足枷につながれ牢に入れられ様々な労苦を味わっていました。
パウロにとって死とは、そのような労苦から解放され休む事の出来る時であり、又自分とキリストを隔てていたものを取り除いてくれる恵みの出来事でもありました。
パウロは死を望んだのではなく、死の先にある義の冠を受けるとの揺るがない確信を持っていたのでした。
パウロにとって、神様が共にいてくださるなら、生きるも死ぬもどちらも喜びとなるのでした。
今日の御言葉はキリストと共にある者が告白する事の出来る信仰の言葉であり、喜びの言葉なのです。
古屋良子📖