18.湯殿のリリ(1)
「なんでこれが囚人用の部屋なのよ……」
宮殿ツアーを終え、独房に入って一人きりになると、杏奈は大きく息を吐いた。
宮殿長の隣部屋を断り、四乃宮の四階にある女囚用の独房にしてもらったものの、案内されたのは、寝室の横にリビングダイニングがある、二間続きの広々とした部屋。
窓に鉄格子がはまっていなければ、高級宿と勘違いしそうなほどである。
ソファに腰掛けてみたものの、なんというかそわそわと落ち着かない。
杏奈は立ち上がって窓に寄りつき、格子越しに庭を見遣った。
「探検でもしてみようかな……」
夕食までは予定がない。
つまりは暇である。
「ロハンは『自由だ』っていっていたけれど……。本当に出歩いても大丈夫なのかしら」
疑いつつドアノブに手を掛けたが、あっさりノブはまわって、独房の外へ出られた。
回廊に出て、石畳の敷かれた庭園の通路を歩いていくと、梟の風太が木に止まっていて、じっと地面を見下ろしていた。
視線の先で、不自然な感じに草が動いている。よく見れば、草ではなく、草を身体に載せた小動物だ。
「……日中にハリネズミなんて珍しい」
ちょこちょこと動く茶色の物体は可愛らしいが、風太は獲物を狙う目付きでロックオン。
慌てて杏奈は梟を止めた。
「あの子は駄目よ、風太。チクリとやられるだけじゃなく、食べたら当たる」
あれはハリネズミの中でも変わり種。針の上に雑草の生えた苔台を背負った、珍しい生態のハリネズミだ。
昔の図鑑には載っていないので、変異種だろう。花車のような外見でちょっと和むが、騙されてはいけない。苔台に生えた草には要注意。十中八九、毒草毒花の類である。
つまり、針が見えないからと背に噛みつこうものなら、襲ったほうが毒にやられる。丸呑みなど論外だ。
目の前のハリネズミの背にも、小花に埋もれて毒茸らしきものが。
「見た目は可愛らしいのに……」
残念がっていると、ばさりと羽音がして風太が飛び去った。ここでのおやつを諦め、どこか別の場所に調達しにいくのだろう。
「にしても、あの子、どこから来たのかしら」
まさかここに巣があるとか?
ちょこちょこと歩いていく毒針ネズミを追いかけ、杏奈は通路を逸れて草の中に分け入ろうとした。
そのときだ。
「――あっ、庭を荒らしたら、クニエさんに叱られます!」
焦ったような女の声に引き留められた。
顔を上げると回廊にお仕着せの赤毛の娘――エミがいた。
杏奈がそろりと足を引っ込めると、エミは庭園のほうに近付いてきて彼女を呼んだ。
「いまお暇ですか? お暇なら、今朝お連れできなかった、湯殿の場所をお教えしたいのですが」
「湯殿……」
杏奈は道を引き返し、回廊に戻ってエミにたずねた。
「大きなお風呂があるんですか?」
「はい。女性用の共同浴場です。四乃宮の女性職員も使用していているので、四階の方の利用時間は、昼食後から三時までと決められています。夕方からは、職員用となります」
源泉かけ流しなのですよ、とエミが自慢げに続ける。聞き慣れない言葉だったが、杏奈は意味を知っていた。
「温泉ですか?」
「そうなんです!」
聞けば、湯殿専属の管理人までいて、三時過ぎに一旦湯を抜いて毎日掃除がされているという。
「今日は時間を過ぎていますので、場所のご案内だけになりますが、明日からでしたら、決められた時間内であれば、いつでも入りに行って大丈夫ですので」
今朝方、副宮殿長から派遣されてきたエミたちを、ロハンが威嚇しながら追い払ったことをすっかり忘れ、温泉の二文字に惹かれてついふらふらと、エミに付いていってしまった杏奈である。