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『懸想文売り』壱の文〈護り石二つ〉

概要
 神戸の港近くにある輸入雑貨セレクトショップ舶来屋〈カメリア〉では、毎月五、十、二十、三十(こ、い、ぶ、み)の日に、イケメン店員 七代伊織が〈懸想文売り〉として恋文代筆を請け負っている。しかし、恋文の依頼者は一筋縄ではいかない者たちばかり。しかも、一途に相手の心を求めているとは限らなくて……? 
 恋文を巡って巻き起こるあれやこれやを、伊織がカメリア店主の姪っ子 椿原千歳と共に解決する、舶来屋〈カメリア〉の小さな事件簿。
(懸想文の意図を裏読みしたうえで本編にお入りいただきますと、謎解きがよりお楽しみいただけるかと思います。)


壱の文 表


 拝啓 秋分の候。

 ――って、なんや気色悪いって?
 先に白状しとくわ。実はこの手紙、代筆屋に頼んでん。
 あ、兎の置時計のほうは、ちゃんと俺からのプレゼントやで。
 手紙のほうも、俺の気持ちを伝えて、真剣に書いてもろたんやから。
 え? ややこしい? 普通にLINEにしとけ?
 俺もそう思う。
 せやけど、今回はマジやし。
 LINEのメッセージじゃ、きっちり伝わらん。絶対おちゃらけて、オチつけて、へらへら笑い取って終わってまう。
 その点、手紙やったら口調も若干改まるし、ええやろ。
 ちゅうことで、しっかり俺の思いの丈を、受け取ってくれ。

 
 きっかけは、栄町をぶらついていたときに、偶然、洒落た感じの白い建物を見つけたこと。

〈CAMELIA〉という店名が掲げられた入口は、古代ギリシャ風の柱に挟まれた、幾何学模様の磨ガラス扉で。よく見たら、左右の柱にエジプトの神様っぽい猫が鎮座していて。
 狛犬ならぬ、招き猫や。
 面白半分、扉を開けると、予想以上に奥行きのある店内だった。
 通路を挟んで、西洋風の店舗が並んでいるように見せかけた造り。両側に、様々な商品が陳列されたショーウィンドーと、木の扉が連なっている。
そのウィンドーの一つに、兎の時計がおかれていた。
 まんま『不思議の国のアリス』の世界から跳びだしてきた感じの、白い兎。お前のエコバッグがアリス柄だったことを思いだして、その場で購入を決めた。
 しかし。
「これください」
 と奥にいる店員さんをふり返って、びっくり。
 彼こそが店の目玉商品だろうと確信してしまうような、もんの凄い男前だったので。(いや、代筆してる本人に、自分が男前やとか書かせてすんません。)
 その美貌の店員さんが、老若男女を容易く転がしそうな営業スマイルで、
「オプションで〈懸想文〉もお付けできますよ」
 僕は〈懸想文売り〉もやっておりますので、と宣ったから、さらに驚き。
 
 懸想文――つまり〈恋文〉だ。
 昔の京都には、恋文を木の枝に結びつけて売り歩く、覆面姿の〈懸想文売り〉がいたそうだ。売り子の正体は、金に困った貴族。文売りで糊口を凌いでいるなんて知られたら貴族の沽券に係るので、頭を白布で顔を覆い隠していたらしい。
 流行ったのは江戸時代。
 文を買うのは若い娘。おみくじ的に、良縁を占ったり。
 明治になって、懸想文売りは姿を消した。今では、京都の須賀神社の、祭事の一つとして残るのみ。節分の二日間だけ、烏帽子に水干姿の、顔をぐるぐる巻きにした〈懸想文売り〉が現れて、懸想文のお守りを売り歩く。縁結びだけでなく、美人になれる、箪笥に着物が増える、というご利益もあるとか。

 江戸の頃の懸想文売りは、無筆の庶民向けに、恋文の代筆も請け負っていたそうだ。
 ほんで、男前の店員さんも、同様に恋文の代筆をしてくれる、と。

「いかがですか」
 なんて愛らしくにっこりされたら、必要がなくても、ぐらっとなるで、ほんま!
 というツッコミは、横においといて。
 一歩を踏みだすのに、ええ機会かもしれへん、とは思った。
 この手紙は、男前さんによる代筆の、紛れもない懸想文や。

 
 最近、お前、しおれてるよな。

 俺を見上げて、時々泣きそうになってんの、知ってんで。
 無理矢理笑ってても、心の中では膝を抱えてて、ダンゴ虫みたいに丸まってることも。
 訳がわからん。なんや必死であがいてるんは感じてるけど、聞いても、理由は教えてくれへんのやろ?

 だから俺は、兎の置時計を贈る。

 この間、「物事の打開には、リビングに兎のなにかをおくといい」ってテレビでやっとったから。少しでもお前が前を向けるように、俺からのエールや。
 懐中時計の針と一緒に、お前の時間が動きだすことを願っている。
 

 お前が止まると、俺も止まってまう。
 お前は、俺が一生肩を並べて歩きたいと思う、たった一人の女やから。
 
 この懸想文で、息を吹き返してくれたらええんやけど。
 元気になったら、婚約指輪も受け取ってくれると嬉しいわ。
 
 ほなな。


 敬具



壱 舶来屋〈カメリア〉の客寄せパンダ


 高校から帰ると自宅への階段を上らず、まずは一階にある店舗に向かう。それが、椿原千歳の日課である。
 椿ビルヂングは、鰻の寝床のような、二階建ての白いビルだ。奥に細長いが、間口は狭い。
 しかし、妙な存在感を放っている。
 ビルの上部に〈CAMELIA〉の店名が浮き彫りされた正面入口は、アールデコふう直線模様が美しい、折り畳み式の鉄扉。
 優雅なその門扉を護るように、両側に屹立しているのが、半円柱のレリーフだ。柱頭に渦巻の装飾があるこの二本の柱は、叔父曰く「古代ギリシャのコリント式」らしいが、千歳は見上げるたびに、動物園で見た羊――ドーセットホーンの立派な巻き角を思いだす。
 柱の中程には、招き猫よろしく、エジプトの神様の猫バステトまで鎮座していて。
 羊(ギリシャ)なんだか猫(エジプト)なんだか。
 はっきりいって、混沌。
 それが椿ビルヂング。

 鉄門の向こうの、幾何学模様の磨ガラス扉を押し開けると、迎えてくれるのはブラケットライトの温かな丸い光と、洒落た木枠のショーウィンドーの列――通常の屋外ウィンドーよりも若干小ぶりの〈小ウィンドー〉たちである。
 奥まで続く高い吹き抜けの三角天井に、通路を挟んで複数の店舗があるような錯覚に陥るが、一つのお店だ。小物店〈舶来屋 カメリア〉の店内は、パリのパサージュを、大正ロマンふうに模しているのである。
 チェス盤ふうの白黒タイルの通路には、すずろにショーウィンドーを覗く、数人の客の姿。女性たちの間を縫うようにして、千歳は店の奥へと向かった。
 あ、フライデーさん。
 途中で、常連客の女性を見つけた。
 毎週金曜日に姿を見せるので、フライデーさんである。
 キラキラネイルの右手にミニチュア剣のペーパーナイフ、左手にプチプラ革装本型レターオープナーを載せ、首をかしげている。
 悩んでいるな、と見ていると、ボブの髪をさらっと翻し、フライデーさんが動いた。コツコツコツとヒールを鳴らして、アクセサリーコーナーに近付いていく。
「ね、七代さん」
 呼びかけに、ショーケースのガラスを拭いていた店員が顔を上げた。
彼は、ちらりと視線を向けただけ。それなのに、ガラスの向こう側にいるパンダの赤ちゃんがふり返ったときみたいに、お客さんにきゅんきゅんトキメキをふりまいて。
 彼こそが〈舶来屋 カメリア〉のアイドル店員、七代伊織である。

 まだ小学四年生だったある日、千歳が学校から帰ると、母の弟の椿原仁――ジン叔父さんが嬉しそうにいった。
「うちの看板娘を見つけたで」
〈カメリア〉に、アルバイト店員を雇ったらしい。
 しかし、休日にはお店で愛嬌をふりまいている千歳にしてみれば、面白くない。
「看板、娘……?」
 私も女の子なんですけど? と対抗心を燃やしかけたが、
「ちゅうても、男やけどな」
 叔父の言葉にずっこけた。
「娘じゃないじゃん」
「せやけど、ごっつ美人さんなんやで。うちに客を呼んでくれそうな逸材や」
 客寄せパンダやな、と叔父が笑う。
「中国から来るの?」
「ちゃうちゃう」
 姪っ子の冗談に、シャレで返す。チャウチャウ犬も中国原産だ。
「ふーん」
 小学生の千歳は、美人さんより、もふもふのほうが好き。だから、そのときは気のない返事をしたのだが。

「ほい、この男前が今日からここで働く、七代伊織くん。ピカピカの高校二年生や」
 よろしく、と頭を下げた青年に、千歳はあんぐり。
 バイトに来たのは、美少女より愛らしい青年だった。
「なんなんこの可愛いお兄ちゃん! ほとんど漫画やん!」
 驚きのあまり、普段は使わない関西弁が口から飛びでたほどだ。
 つぶらな瞳に、蟻んこの滑り台かと思うような真っすぐ通った鼻筋、サクランボみたいに赤くてぷるるんとした唇。これ以上ないくらいに愛らしいその目口鼻の配置は、黄金の比率から少しもはみ出していない感じ。
「色しろーい! 睫毛ながーい! かっわいーい!」
 コパンダみたい! そう結論付けると、青年の顔が一瞬引きつったが、
「せやろ、せやろ、可愛いやろ」
 と叔父は得意げ。
「七代くんは、ごっつええ男になるでぇ」
 いまでも老若男女をコロコロ転がせそうやけどな! と青年の背中をバシバシ叩く。
「まさしく客寄せパンダだね!」
「せや、パンダパンダ!」

 それから。
「世界には欲しいもんが溢れとる」と宣って、叔父は気軽に商品探しの旅に出るようになった。
 時には、一カ月以上、家を空けることもあったりして。
 でも、千歳はへっちゃら。
 伊織がいてくれたから。
〈カメリア〉の店舗兼自宅――叔父と姪の二人暮らしの椿ビルには、空き部屋がたくさんあって、伊織がいくら泊まっても大丈夫だったし。
 そのうち、外泊許可を取るのが面倒になったらしく、伊織は暮らしていた児童養護施設を出て、うちに越してきた。
「わーい! お兄ちゃん!」
「晴れて、伊織がうちの子に……!」
 諸手を挙げ、あるいは涙ながらに喜ぶ二人に、
「なってねぇ」
 と伊織は不機嫌顔だったが。
 結局、高校卒業後に、伊織は〈カメリア〉の正式な店員になった。

 成人しても、伊織の相貌は崩れることなく、動物園のアイドル的な愛らしさは健在で。
 その辺を歩けば、コパンダを見つけたみたいに、皆がみんなふり返る。
 いまも、お客さんからの熱視線の集中砲火を浴びている。 
 しかし、伊織が視線を向けたのは、千歳一人だ。
「ちと」
 と小さく唇を動かし、目元を緩ませる。
 それから伊織は思いだしたふうに、フライデーさんに営業スマイルを向けた。
「お決まりですか?」
 フライデーさんも、にっこり笑って両手を突きだす。
「男の人だったら、どっちが貰って嬉しいですか? 剣と本と」
「正反対の品ですね」
 二つのレターオープナーを見下ろし、伊織は淡々とした口調で応じた。
「武闘派か、インテリか。受け取る側によって、好ましさは異なると思いますが」
「手紙を開封するなら、どっちが心躍るか、っていう話です」
「それは、本好きならば本でしょうし。武に憧れがある人間ならば――」
 そうじゃなくて、と焦れたように、フライデーさんがいう。
「恋文を開けるなら、どちらがドキドキするかっていう話で」
「面倒くせぇ……」
 伊織が俯き、ぼそりと呟いた。
「恋文と刃物の組み合わせなんて、剣呑だろうが。フラれたら相手をぶっ刺すつもりかよ」
「出たっ! ぞんざい節!」
 ひそひそと、しかし嬉しそうな声が後ろから聞こえた。
 基本的には愛想のよい伊織だが、時折こんなふうに無作法になる。
 接客態度としては零点。しかし、伊織はちゃんと人を選んでいて、口の悪さが出るのは常連客に対してだけ。
 パンダのように可愛い男が放つ、ぞんざいな物言い。
 この落差が、お姉さまたちには堪えられないらしく。
「コパンダちゃんの素……」
「ギャップ萌え……」
「私も早く、パンちゃんにぞんざいにされたい……!」
 仔熊猫の洗礼を受けるべく、せっせと店に通い詰めている女が、いるとかいないとか。

 今日も〈カメリア〉の客寄せパンダは絶好調。


弐 月長石の指輪


 店内には、他にも相手をしてほしそうなお客さんがちらほら。別の常連客の姿も見える。
 あれっ、マンデーさん。週末なのに珍しい。
 二、三度アンティークジュエリーを買ってくれた、週明けによく来るお客さん。
 ショーウィンドーを覗いている彼女に軽く会釈しつつ、千歳は足早にバックヤードに向かった。
 鞄を下ろして、椅子の背にあるデニムのエプロンを手に取る。通っている高校は私服通学が認められていて、最初からトレーナーにジーパン姿なので、一々着替える手間はなし。エプロンを着けただけで、すぐさま店員に早替わり。
 バックヤードを後にして、すたすたとアクセサリー売り場へ向かい、
「いらっしゃいませ」
 ショーケースを覗き込んでいる男性の、スーツの背に声をかけた。
 お客さんは悩んでいる真っ最中。
 ぶっとい眉毛の間にしわが寄っている。
「……店員さん?」
 ふり返った男性は、こんな若い子が店員? とでもいいたげなお顔だった。
 成程、二十七、八の男性からしてみれば、十七歳の千歳は頼りなく見えるかもしれないが。
 少なくとも、おっちゃんより、お店の商品のことは解っとんで!
 エプロンの胸を張って、千歳はにっこり。
「なにかお探しですか?」
 角刈り頭の男性は、小指で頬をほりほり引っ搔いた。

「ここに、ムーンストーンっちゅう石の指輪があるって聞いてきたんやけど」
「ムーンストーン……」
 千歳はショーケースに目を落とす。少し前まで男性が覗き込んでいたガラスの真下に、白いムーンストーンの指輪が飾られているのだが。
 ひょっとして、どんな石かご存じない……?
 察したけれど、「お客様が先程まで見ていたのが、正しくそれです」なんて余計なことは口にしない。「少々お待ちください」とショーケースを開け、
「こちらがムーンストーンになります」
 と金の指輪を布張りのトレイに載せて、男性の前に滑らせた。
「これが……」
「――贈り物ですか?」
 するりと伊織が近付いてきて、男性にたずねた。
「そう。プレゼント」
 同年代の男の店員に安堵したのか、男性が頬を緩ませ、うなずく。弧を描く口元が、弓張り月を思わせた。ムーンストーンを求める、ムーンさんだ。
 千歳が洒落にもならない呼び名を客につけている最中も、伊織は真面目に営業中。
「こちらの商品はアンティークになりますが――」
「ああ、それは構いませんわ」
 むしろそっちのほうがええ、とムーンさんは相好を崩した。
「お守りなんやから、古いほうが効力ありそうやんか」
「お相手が、ご旅行にでも行かれるのですか?」
 伊織の問いに、ムーンさんがちょっと目を瞠る。
「驚いたな。なんでわかったん?」
月長石ムーンストーンは、〈旅人の石〉とも呼ばれますので」
「そうなんですわ。渡したい相手が、今度、仕事で船に乗るんです」
 へえ~、船旅かぁ。
 相変わらず、伊織は宝石に纏わるあれやこれやに詳しいねぇと、千歳が感心しながら横顔を眺めていると、つとその顔がこちらに向いて、
「ほら、月といえば、寄る辺ない夜の海を照らしてくれる存在だろ? その名前を冠したムーンストーンは、ヨーロッパで航海のお守りとされたんだ」
「……大して長旅でもないねんけどな」
 お守りくらい持っとっても罰は当たらんやろ、と微妙に照れるムーンさん。
「罰が当たるなんて、滅相もない!」
 むしろ気の利いた贈り物です! と千歳が前のめりにいえば、
「ほんなら、これにしよかな」と改めて指輪を見下ろした。
「この指輪は十三号ですが、サイズはよろしいですか? 号数の調整をご希望の場合は、アンティーク専門の業者に依頼しますので、別途五千円のお直し料かかりますが」
 お相手の指輪のサイズは――と伊織が続けかけたところへ、
「サイズは、これ」
 ムーンさんが一枚のメモを出す。
 真ん中に一つ、一円玉サイズの丸が書かれているだけの、謎のメモだ。
「これ、彼女が中指に嵌めてた指輪の丸なんや。薬指やと、これより一つ下のサイズなんやて」
「外周ではなく、内側の円ですね?」
「せや」
「この円だと、十二号くらいかな」
 伊織がメモをショーケースの上において、十二号の指輪を円の上に重ねる。
「おお、ぴったり」
「ということは十一号か。やはり、サイズのお直しが必要ですね」
「どれくらいで出来上がる?」
「二週間ほどお時間をいただいておりますので、再来週の金曜日にはお渡しできるかと」
「再来週の金曜日……大丈夫やな」
 携帯でカレンダーを確認しつつ、ムーンさんが呟く。
「ほな、お願いします」
「では、預かり証をお作りしますので、あちらでご記入をお願いいたします」
 千歳は足取り軽く、ムーンさんをカウンターに案内した。
 会計をしていると、こちらを見ているマンデーさんと目が合った。
 そういえば、マンデーさんもこのムーンストーンの指輪を狙っていた一人だっけ。
 だがサイズが合わず、号数調整の追加料金に怯んで、お悩み中だったのだ。
 残念ですが、ムーンストーンの指輪、売れちゃいました!
 微苦笑を向けると、マンデーさんはくるりとまわれ右。
 落胆したのか、マンデーさんはジュエリーコーナーに近付かず、そのまま帰ってしまった。


参 アクアマリンの指輪と懸想文売り


 ムーンストーンの指輪が、お直し業者へと旅立った翌日。
 下校して自宅に帰ってきた千歳が、開け放たれた扉の外からビルの中を覗き込めば、お店は閑散としていた。
 中央通路には誰もいない。
 ただ、奥のほうで男の話し声がする。
 業者さんかな、と聞き耳を立てたが、
「――アンティークじゃない、アクアマリンのリングはないかな?」
 お客さんのようだ。
「ございますよ」
 時期的にそう多くはありませんが、と伊織が返すのが聞こえた。なにしろ、いまは九月である。三月の誕生石がたくさんあろうはずもない。
 それでも抽斗の中に、アクアマリンの在庫が三つ四つあったらしい。
「どれも素敵だけれど……」
 お客さんが迷っている気配がした。
「あっ、指輪のサイズは十一号で」
「まさに、いま手にしておられるものが、十一号ですが」
「そうか。だったらこれにしようかな」
 千歳は足音を消して、通路を奥へと歩いた。
 ただいま、と目顔で伊織に挨拶しながら前を通り過ぎようとして、つと足を止める。
 あ、今日は〈恋文の日〉だっけ。
 伊織の普段の仕事着は、タートルネックのシャツ、あるいはセーターの上に、エプロン替わりのベスト、下は細身のスラックス。しかし今日に限っては、スタンドカラーの白シャツの上に淡い浅黄色の着物、下は濃紺の袴という、昔の書生さんふうスタイルだ。
 伊織が和装をするのは、月に四日。恋文に因んで、五、十、二十、三十日(こ、い、ぶ、み)の日だけ。
 その恰好で、最奥の扉の内側に陣取っておっ始めるのが――

「よろしければ、オプションで、指輪に懸想文をお付けできますが、いかがですか?」

 伊織が螺鈿細工の文庫箱を取りだし、さりげなく勧めた。
 箱の中には、雅な筆致で綴られた『万葉集』の恋歌の短冊。
書いたのは、伊織本人だ。どこで習ったのかは知らないが、容姿に負けず劣らずの、端麗な文字を書く男なのである。
 その達筆スキルを活かし、白鷺文字で美しき恋歌をしたため、「恋文」と称して商品と一緒に売りつける。
 二年前から伊織が始めた小商い。

〈懸想文売り〉

 彼のもう一つの顔だ。
 尾形亀之助の〈商に就いての答〉という詩からこの商売を思いついたといっているけれど、本当かなあ。

「その恋文もいいんですが……」
 螺鈿の箱を見下ろしながら、男性客が言い淀むと、
「代筆のほうをご希望ですか?」
 伊織がそっとたずねた。既製の短冊文を売りつける以外に、恋文の代筆まで請け負っているのだ、この男は。
 代筆された恋文なんて、貰ったほうは嬉しくもなんともない。むしろ、やる気あんのかと相手に詰め寄りたくなると、千歳的には思うのだけれど。
 意外にも、恋文の代筆には需要があるようで。
「はい。お願いします」
 男性もあっさりうなずいた。最初から代筆が目当てだったかと疑うほど。
「では、内容についてご相談させていただきますので、こちらにどうぞ」
 伊織がいそいそと、男性を奥へと案内する。
「手紙には、アクアマリンについての神話というか、石が持つ物語的なものを入れたいんだが――」
 歩きだしながら、男性が急いたふうにいった。
「――アクアマリンって、元々海の精の宝物なんだって?」
「ギリシャ神話ですね」
「月の女神、ダイアナの石とされていたこともある」
「古代ローマですね」
「中世ヨーロッパでは、蝋燭の灯りでも美しく煌めくことから、〈夜の女王〉と呼ばれて――」
「夜の闇でも輝くことから、〈迷ったときに、新たな光をもたらす〉といわれているんですよね!」
 本当に、恋文の相談?
 蘊蓄の応酬を始めた二人に呆れつつ、その場を離れた千歳である。


肆 兎の置時計


 アクアマリンの指輪が売れてからは、石が纏う水の気配に引き寄せられたかと思うくらい、ずっと雨だった。
 教室の壁も床もじめじめとして、授業中は膝小僧がひんやり。
 こんな天気を、〈秋湿り〉というらしい。
 ほんとに、湿っぽい。
 ごしごしとジーンズの太腿をさすりながら、千歳は焦れていた。
 雨が降ると、がたっと客足が鈍る。
 風が吹けば桶屋が儲かるそうだけど、雨が降って儲かる商売なんてあるのかな?
 などとじりじりしながら、結露して曇ったガラス窓の向こうを睨んでしまうくらい。
 雨だと日が暮れるのも早く、千歳が部活に顔を出して帰ってきたときには、辺りはすでに薄闇に包まれていた。
 ビルの輪郭が曖昧になって、暗がりからなにかが飛びだしてきそうな感覚に、ちょっぴり不安になる。
 けれど、千歳はこの誰は彼時が嫌いではない。暗い外から見ると、〈カメリア〉の中央シャンデリアがきらきら輝いて、とっても綺麗だからだ。
 期待を込めて扉の中を覗き込んだ。
 しかし、煌めく光の下には、今日も客の姿はなかった。
 なんだ。またゼロ――
 夕方になって小雨になったから、ちょっとはお客さんが入っているかと思ったのに。
 がっかりしながら傘を畳み、とぼとぼ通路を進むと、奥で万年筆片手に書き物をしている、書生姿の伊織が見えた。
 ああ、今日は五日――懸想文商いの日だっけ。
 道理で客がいないわけだと、納得する。なぜだか分からないが、伊織が小商いを始めると、冷やかしの客がいなくなるのだ。真に商品と懸想文を求める客だけになり、店内は独特の静けさに包まれる。
 今日の〈カメリア〉は、雨模様と相まって、いつも以上に不思議な静謐に満ちていた。
 穏やかな店内って、嫌いじゃないけれど。
 でも、もうちょっと活気があっても――
 口を尖らせ、店内を見まわしかけて、はっとした。死角に、男性客が佇んでいたのだ。
 よく見ると、ムーンさんである。
 そういえば、ムーンストーンの指輪の受取日だったっけ。
 店に来たばかり?
 それとも、受け取った後?
 判断がつきかねた。棚の商品を見つめているムーンさんの顔付きが、なんだか怖い。
 睨んでいるのは、白い兎の置時計だ。
 置時計、といっても、時計がメインの、三角四角のどっしりした形のものではない。主役は、『不思議の国のアリス』の物語から飛びだしてきたような白兎。トランプ模様の服を纏った白い兎が、赤い瞳を煌めかせつつ、懐中時計をぐっと前に突きだしている。
 何度見ても、とっても可愛い。
 けれど、ムーンさんは、敵でも見るような目で睨み据えている。
 かと思えば、いきなり背を丸めて、
 はあああああっ。
 と大きくため息をついた。
 彼女と喧嘩でもしたのかな……?
 千歳はこそこそとムーンさんの猫背の後ろを通り、バックヤードに入って、エプロンを着けた。
 店表に戻ると、伊織がムーンさんの隣に立っていた。
「指輪のお受け取りですね」と近寄っていったのだろう。営業スマイルを浮かべている。
 だが、ムーンさんは眉尻を下げて伊織を見返しているだけで、置時計の前から動く気配がない。
「いやその……指輪を贈る前に、ちょっと悩んどってな」
 太い眉尻を下げつつ、ほりほりと小指で頬を掻いている。
「実は、元気がないっちゅうか。妙にしおれてるっちゅうか」
 誰が、の主語はなかったが、元気がないのは指輪を渡す相手に違いない。
「俺を見上げて、時々泣きそうになってねん」
 笑い顔も引き攣っとって、というムーンさんの頬もヒクヒク。
「なんや必死であがいとんのは、感じんねんけど……」
「理由は? 聞いてみられたのですか?」
「頑固もんやからな。聞いてもたぶん、教えてはくれへん」
 せやからウサギや。
いいつつ、ムーンさんが兎の置時計を見据えた。
「物事の打開にはリビングに兎のなにかをおくとええって、この間テレビでやっとったから。あいつが少しでも前を向けるように、俺からのエールちゅうことで、渡そうか思て」
「指輪の贈り物があるのに?」
「あれは、餞別を兼ねたお守りやから」
「そのまま、婚約指輪にしてしまっては?」
「こっ……!」
 一声叫んで、みるみるうちにムーンさんが真っ赤になる。
「初心ですねえ」
 伊織が笑った。
「旅人の石の指輪を餞別に、だなんて、なかなかの手練れだと思っていたのですが」
「ちゃうちゃう!」
 ムーンさんが顔の前でぶんぶん手をふる。
「旅人の石の話は同僚から聞いたんや。ここのお店にムーンストーンの指輪があった、っちゅう情報つきでな!」
 ムーンさんの職場は下山手にあって、坂を下りてきたらちょうどこの辺りに着くらしい。
「仕向けられていますねぇ」
 伊織が苦笑した。「贈り物を人任せにすると、恋しい人を盗られてしまいますよ」と忠告めいたことを口にする。
 しかし、後に続けたのは、正反対のセールストークだった。
「……人任せついでに、オプションで恋文はいかがですか?」
 始まった始まった。懸想文売りの小商いが。
 いつものように、短冊を入れた文庫箱が出てくるかと思いきや、
「お気持ちを聞かせていただけましたら、私が、恋文を作成いたしますよ」
 初っ端から代筆を提案する。
「いかがですか。文で、思いの丈をぶつけてみては」
「お、思いの丈……」
 ムーンさんは、いよいよ真っ赤である。
 けれど、一転、決意したふうに兎の置時計を見やると、ぐっと奥歯を噛んで、表情を引き締めた。
「文、か。ええ機会かもしれへんな」

それから、閉店時間の六時半まで、二人は熱心に話し込んでいた。
「恋文は、できるだけ早くお渡しください。あ、渡す際には、必ず婚約指輪もお持ちになって。渡すのは、時計、恋文、指輪の順で」
 滔々と続く指示に、うんうんと素直にうなずくムーンさんが、妙に印象に残った。

 閉店後。
「彼の文、読んでみるか?」
 軽い調子で下書きを渡され、千歳は少々驚いた。
「いいの? 人の恋文を読んじゃって」
「代筆させている時点で、第三者に見られることは了承済みだろ」
 そうかなあ、とは首を捻ったものの、好奇心には抗えない。
 結局、文面に目を落とした。

 ――そして、文を読む――  (☛壱の文へ)

「これ、だいぶ嘘じゃない?」
 文を読み終え、千歳は首をかしげた。
 手紙には、偶然椿ビルを見つけて立ち寄ったふうに書かれているが、ムーンさんは同僚に教えてもらって、このお店に来たといっていた。しかも、兎の置時計を買うより半月も前である。
「いいんだよ。これで」
 しれっと伊織が返し、後は仕上げを御覧じろ、とにんまりする。
 千歳が〈仕上げ〉を見たのは、翌々日の日曜日のことだった。



壱の文 裏


ごめんな。
先に謝っとく。
 
実は、加藤さんが君に話しているのを聞いてしまった。
「Gくんが、指輪を買うところを見た」って。
 
宝石は月長石――ムーンストーン。
なかなか意味深長な石だよな。
加藤さんもそう思ったようで、興奮気味にいっていた。

「ムーンストーンなんて意味深! Gくん、美月に告白するつもりとちゃうか」

 美月!
 ムーンストーンの指輪で愛を乞うには、ドンピシャな相手だ。
 君のほうがGの奴と親しいように見えていたけれど、違ったのか?

これは、立ち聞き中の、僕の驚愕の内心。

君も驚いていたよな。
いつもなら、
「あのGが、ムーンストーンでロマンチックに愛の告白?」
ありえへん! と大笑いしそうなのに。
強張った顔で、加藤さんの言葉を聞くばかりで。

蒼ざめた横顔を見て、察したな。
君は、Gが好き。

けれど、奴が買ったのは、
〈月に恋している〉
と中世の宝石本に書かれている、月長石。
決定的だ。
奴の気持ちは別の女に向いている。

卑怯だとは思うけれど、君の傷心につけ込ませてくれ。
ストレートにいう。
僕は、君が好きだ。

泣きたいのなら、気が済むまで胸を貸す。
Gへの想いも、全部丸ごと僕が引き受けるから。
僕と付き合ってもらえないだろうか。
結婚を前提に。

気持ちと一緒に、僕からの贈り物も受け取ってほしい。

三月の誕生石のアクアマリン。
古代ローマで〈月の女神の石〉とされた藍玉で、
〈迷ったときに新たな希望の光をもたらす〉
ともいわれている、守り石。

願いを込めて、指輪を贈る。

どうか、僕が、君の新しい希望の光になれますように。

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