『懸想文売り』伍の文〈王様のガレット〉
伍の文
拝啓 初春の候 Mさんに貴女を紹介されてから早くも半月ですが、つつがなくお過ごしでしょうか。
僕は元気でやっております。
……って、知ってますよね。昨晩電話したばかりですし。
「正月二日から初売り、しかも外で呼び込みなんて大変ですね」と気遣うお言葉、我が心に染みました。お陰様で気持ちがぽかぽかと温かく、元気に初売りとセール期間を乗り切ることが出来ました。
ところで、来週、Mさんの家で新年会がありますよね。
貴女も出席されると伺いました。僕も参ります。
ええと、それで、ですね。
突然ですが、ガレット・デ・ロワって知っておられますか。
キリスト教の〈公現節〉(救いの御子が生まれたことが公にされたお祝いの日)で食べられる、平たい円形の焼き菓子です。
公現節は一月六日ですが、ガレット・デ・ロワは一月中ならば食べてもいいらしい。
バースデーケーキみたいに等分に切り分けて、皆で食べるんですが、ホールケーキの中には〈フェーブ〉と呼ばれる小さな陶器のお人形が一つだけ入っていて、フェーブを引き当てた人は王様になれる。そして、お相手の王妃様を指名することができる。フランスでは家族や友人たちの新年の集まりで、ガレットを切り分け、フェーブを巡って大はしゃぎ、なんてこともあるらしい。
ずっと日本での認知度は低かったですが、最近では、フランス系のパン屋や洋菓子店でよく見かけるようになりましたよね。
来週の新年会では、デザートにフェーブ入りのガレット・デ・ロワが出されるそうです。
もしも。
新年会で僕がフェーブを引き当てたなら、僕の妃になってもらえませんでしょうか。
返事は、僕が王になった際にいただけたらと思います。
では、新年会でお会いましょう。
敬具
壱. アンティークのチェスセット
冬休み明け。
始業式の後、午前中で開放された千歳は、璃子と一緒にマクド(関東風にいえばマック?)でハンバーガーを食べて帰ってきた。
二階にある自宅への外階段を上らずに、まずはカメリアの店舗に顔を出す。
「久しぶりにパンちゃん(伊織のこと)の顔が見たい」といってついて来た璃子も、勝手知ったる様子でパッサージュに足を踏み入れた。だが、中央シャンデリアの真下でぴたりと立ち止まった。
「あっ! 新顔や!」
叫びながら、左側の小ウィンドーにがばりと張りつく。
「舶来品やな?」
店名で〈舶来屋〉と謳っているとおり、カメリアで扱っている商品は七割方海を渡って来たもので、当然ながら、璃子も知っている。しかし彼女は陶然と呟く。
「ええなあ、これ……」
視線の先にあるのは、イタリア製のチェスセット。
チェスセットはカメリアで常時扱っている商品の一つだ。場所を取るくせに、あんまり売れない。けれど、あるだけで舶来の雰囲気が出る。だからいつもお店においてある。点は稼がない選手だが、ムードメーカーとして必要なのでスタメン入り、といった感じの商品だ。
クリスマスに、半年居座っていたドイツ製のチェスセットが売れたので、正月明けにこれを出した。フィレンツェにある玩具店の倉庫から、叔父が発掘してきたアンティークのセットである。
「こんなん欲しかってん……」
うっとりと見つめる璃子。
「こんなふうに、一個ずつの駒が、お人形さんになっとうやつ……」
チェスの駒といえば、白黒のキング、クイーン、ビショップ、ナイト、ルークとポーン。
よくある駒のタイプは、王冠や馬の頭など、象徴的なのもので単純化された木製、プラスチック製のものが多いが、いま璃子が目を輝かせているのは真鍮製。彼女がいうように、一つひとつの造作が細かく、ミニチュアドールっぽい雰囲気だ。
中世ヨーロッパふう装束のキング、クイーン、ビショップ――王、女王、司教。
ナイトはマントを翻し、馬上で剣を構える甲冑の騎士で、ポーンもちゃんと甲冑を身に着けた歩兵だ。
塔を表わすルークの駒に至っては、堅牢な石造りの模様がきちんと刻まれている。細かい仕事だ。
「ほんまにええなぁ、これ……」
お年玉で買えへんかな、と璃子が値札を見て、うっと呻いた。
「た、高い……」
そりゃあね、舶来品ですから。
だが、璃子は諦めきれないらしく、小ウィンドーの前から離れようとない。ついには、
「なあ、ちょっとだけ駒動かしたらあかん?」
といい始めた。
「駒?」
動かしてどうするの? と千歳。
「いやさ、久しぶりの対面対局が、時間切れで中途半端になってしもて。次の手を写真に撮って、送ったったら面白いかなぁ、思て」
久方ぶりの対面での……対局ね。
璃子は、誰と、の部分をいわなかったが、千歳相手では意味をなさず。
「マッサン、お正月にこっちに来てたんだ?」
千歳の言葉に、璃子がひゅっと視線を泳がせた。
しかし、すぐに観念したらしい。視線を戻して、うん、と小さく首肯する。
「マッサンの祖父ちゃん祖母ちゃんは、難波におるから。マッサン的には大阪が田舎なんよ」
熊の線路侵入で電車が止まるとこに住んでるくせに、こっちが田舎やなんて厚かましいやろ!
照れ隠しのように、璃子が大袈裟に笑い飛ばす。
腐すみたいなこといったって、マッサンとはチェスのこと以外にも色々お喋りしてて楽しいねぇ、としか千歳は思いませんがね。
お二人さん、付き合ったりはしないのかな?
触れると璃子の機嫌が悪くなるので、あえて口にはしないけれども。
千歳はチェスセットを見下ろし、返事をした。
「指紋が残らないように気を付けてね?」
「やった!」
笑顔で璃子がコートのポケットから手袋を引っ張りだす。現場検証を始める刑事のごとく素早く両手にはめると、指をわきわきさせながら小ウィンドーの内側にまわり込む。盤上におかれた〈お手をふれないでください〉のカードを脇に避けると、さっそく真鍮駒に手を伸ばした。
次の手のマス目にポツンと一つ駒をおくだけだと思っていたら、複数の駒を動かしていく。対局途中の形を再現しようとしているらしいが。
璃子はなにも見ずに、ひょいひょいと軽やかに駒を並べていく。
「対戦途中の駒がどこにあるのか、全部覚えてるの?」
「うん。なんなら、最初の局面から、全部再現したろか?」
「いや、再現されても解らないから」
千歳は苦笑しつつ、璃子の記憶力に舌を巻いた。
璃子が学年上位の成績であることは知っていたけれど、ひょっとしてチェスのおかげなのだろうか。
千歳もチェスを始めたら、成績が上がる……?
弐. モッくん
璃子が駒を並べ終わり、盤の様子を画像に収めていると、
「おっと、こりゃこりゃ」
男性の声がして、誰かが横から小ウィンドーを覗き込んだ。
反射的に千歳は一歩後ろに下がったが、肉のついた丸い背中を見てすぐに気付いた。
あ、モッくん。
顔馴染みさんである。
お名前は木部聡さん。商店街から一本筋を入った狭い通りで、〈輸入食料品 モクベ〉というお店を営んでいる男性だ。
捻りのない店名にもかかわらず、〈モクベ〉の小さな店内には、異国の珍しい食材がぎっしり。店主自ら世界中をまわってメーカーを口説き落とし、直輸入した品々である。カメリアも時々お世話になっている。
その〈輸入食料品 モクベ〉の定休日は木曜日。
木部さんが、納品以外でカメリアに顔を出すのも木曜日。
木曜日の木部さんなので、呼び名は「モッくん」。まんまである。
三十路の男性だが、丸い体と丸顔糸目で、自称いじられキャラの彼には、君付けがよく似合う。
「いらっしゃいませ」
千歳はとりあえず声を掛けたが、モッくんは答えず、小ウィンドーの中を覗き込んだまま。
肉に埋もれた目を細めて、真剣に見つめているのは盤上の駒だ。
モッくんはチェスが大好物。
お休みの木曜日に、新しいチェスセットを眺めにカメリアにわざわざやって来るくらいには、チェスを愛している。
いや、ただの愛好家ではなく、フランスのワイナリーのオーナーと対戦して勝利し、地元でしか出回らないワインを分けてもらう権利を得たそうだから、棋力もそれなりなのだろうけれど。
チェスセット飾ろうとしていたら、「黒駒を奥、白駒を手前に並べるのが通なんやで」と教えてくれたのも、モッくんだし。
モッくんは、盤上を見つめたまま、じっと腕組み。
かと思えばするりと腕を解き、璃子に聞いた。
「お嬢ちゃんが白で、いま駒を動かしたとこやな?」
「そうですが」
なにか? と璃子が鋭い目つきでモッくんを見返す。
「うーん、このままやと、白が負けんで」
「ええっ!」
璃子が目を瞠って盤を見下ろし、食い入るように見つめる。
そしていきなり、ぎゃあ! と叫んだ。
「ほんまや! 不味い!」
どないしょう、あいつに送ってもた! と頭を抱える璃子に、モッくんは大笑い。
「わはははは」
すると、いつの間にか傍に来ていたショートヘアの若い女性が、苦い顔でモッくんの脇腹を小突いた。
「ちょっと! 若い子を笑うってどうなの。チェスの未来を潰す気?」
「あはは、ゆかりん、ごめんごめん」
「あっ、いらっしゃいませ」
ゆかりんと呼ばれた女性は、常連とまではいかないが、よくこの店を覗いてくれる人だ。
お知り合いだったんですね、と二人を見ると、大学の後輩でチェス仲間なんだ、とモッくんが答える。
「私は、初心者の域から脱してないけどね」
この対局だって、どうして白が劣勢なのか分からないわよ、とゆかりんが盤を見下ろし苦笑い。
「そこは、ほれ、次にあのナイトをやな――」
モッくんが嬉々として解説を始めようとしたそのとき、ひょいと脇から美人顔が覗いた。
「おんや珍しい。駒が動かされてる」
顔を出したのは、リリーさん。奥で駄弁リングの最中に、笑い声を聞きつけ、見にきたものらしい。
モッくんがひやかすようにいった。
「彼氏と対戦中だそうでね」
「彼氏やなんてゆうてませんよ!」
璃子はすぐさま否定したが、リリーさんはふうんと目を細めて、
「面白い。こういう懸想文もありかもな……」
盤上が、ラブレターに!
紙に綴られたものだけが恋文ではないという発想に、千歳はちょっと目から鱗だったが、
「けっ……」
璃子は絶句。かかかっ、と音が聞こえそうなくらいの勢いで、顔を真っ赤にした。
リコ、可愛い!
激写よ、激写!
急いでポケットからスマホを出す千歳。
是非とも恥じらう乙女を画像に収め、マッサンに送りたい。
タイトルは『恋文を送ったその後』で。
躍起になっている千歳が、リリーさんの呟きを実感するのは、もう少し後のことである。
参. 市松格子さん
カメリアのレジ脇には、十二月中旬から一月末まで、手書きのポスターが登場する。
三年前に、リリーさんに頼んで描いてもらったものだ。痛まないように百均の額に入れ、毎年時期になると倉庫から出してきて恭しく飾っている。
ポスターの右半分には、上からパラパラと順番に落とされたみたいな、パイ風の平たい焼き菓子と空豆と王冠のイラスト。
左半分にはでかでかと、
〈ガレット・デ・ロワの予約承ります 一月末まで〉
十二月に登場するシュトレンが、イエス・キリストの誕生を待ちわびるクリスマスパンだとすると、一月のガレット・デ・ロワは、キリストの誕生をお祝いする新年のケーキ。
キリスト教関連のお菓子は、神戸では昔々から売られていたが、最近では、日本全国のパン屋や洋菓子店で見かけるようになった。カメリアでも、年末年始に外せない舶来菓子になっている。
ガレット・デ・ロワは、キリスト教の〈公現節〉に食べるのが正式らしいが、一月中ならば食べてもいいそうだ。けれど、日持ちがしないので、カメリアでは引き取り日の二日前までの予約制にして、その都度洋菓子屋さんに焼いてもらっている。
そろそろ、ガレット・デ・ロワの季節も終わりだなあ。
千歳がしみじみとレジの外からポスターを眺めていると、スーツにトレンチコート姿の、小柄な男性が近付いてきた。
「あのう、すみません、あのお菓子なんですが……」
指さしているのは、手書きのポスター。
「あ、はい、ガレット・デ・ロワですね」
「明後日の木曜日に欲しいのだけれど、まだ予約できますか」
「はい。ご用意できますよ。前払いでの承りになりますが、よろしいですか」
「はい、大丈夫です」
「ではこちらで、お名前とご連絡先のご記入をお願いします」
男性をカウンターにいざない、受付用紙とペンを差しだす。男性が腕を伸ばした拍子に、トレンチコートの前が開いて、裏地が見えた。目がちかちかするような、白黒の格子だ。
おっと、市松格子。
市松といえば、流行りの漫画の主人公が着ていた羽織で、注目された模様である。
見えない羽織の裏に凝るのが粋だった昔々を真似して、コートの裏地にこっそり取り入れてみたのかな。
でもなんだか、イマイチというか……。
イマイチのイチマツでは回文にもならないとこっそり考えつつ、千歳は用紙を受け取った。
「受け取りのお時間はいかがなさいますか。朝一番ですと、十時半からのお受け取りになりますが」
「じゃあ、五時で」
「十七時ですね。かしこまりました。お店の閉店時間は六時半ですので、それまでにご来店ください」
三千三百円になります、とレジを打つ。
はい、といってイマイチさんがコートの内ポケットに手を入れる。
ポケットから出てきたのも、格子編みの革財布だった。
肆. 王様のガレット
一月往ぬる、の言葉通り、あれよあれよと日々が過ぎ、一月最後の金曜日。
帰宅した千歳がビルの二階に上がる前にカメリアへ行くと、伊織は奥のコーナーで接客中だった。
懸想文売りのお客さんかな、と覗き込めば、いつもはアイコンタクトだけの伊織が、珍しく声に出して挨拶した。
「あ、おかえり」
つられて、お客様がふり返る。
お客さんじゃなかった。モッくんだ。千歳を認めて、「毎度ぉ」と丸い笑顔を見せる。
「こんにちはぁ。新製品ですか」
「そうなんや。千歳ちゃんも見てや」
「はぁい」
先に鞄をおいて来ます、とひらひら手をふってバックヤードに入る。
エプロンを着けて表に戻ったところで、パッサージュの入口のほうで声がした。
「すみませーん」
「はーい」
自分が応対する、と伊織に聞こえるように、通る声で返事をする。
行ってみると、声の主はゆかりんだった。
「あ、いらっしゃいませ」
モッくんと待ち合わせかと思ったが、それにしてはゆかりんの顔付きが変である。どこか思い詰めたような表情だ。
どうかしたんですかと聞こうとしたそのとき、ゆかりんがハンドバックから白い封筒を取りだした。
「ここって確か手紙の代筆をやってましたよね?」
「え? あ、はい」
うなずくと、ゆかりんが封筒から便箋を引き抜き、差しだす。
「これって、こちらで代筆なさったものでしょうか」
千歳は受け取って、四つ折りの紙を開いた。
便箋は二枚。一枚目に〈拝啓〉の挨拶と〈敬具〉の結び。
文章は一枚で終わっているのに、白紙の二枚目を重ねた丁寧な手紙だ。
〈拝啓〉の文字を見ただけで、千歳には判った。
「……この字は、当店の代筆者のものですね」
ため息が出るほど美しい、伊織の手跡である。
とすれば、これは恋文だ。他人に読まれたくはないだろうと、千歳は急いで便箋を折り畳む。
「このお手紙が、なにか……?」
手紙を返しつつ千歳がたずねると、ゆかりんは歯切れ悪く答えた。
「ここのお店って、手紙の代筆をお願いするには、商品を買わないといけないのでしょう? だから、これを書いた人間も、ここでなにか買ったのだと思って……」
「その方が、ここで購入された物がなにか、お知りになりたいとか?」
恋文の相手は、買った品を彼女にプレゼントしなかったの?
訝りながら千歳が聞けば、
「買った物の予想はついているの」
ゆかりんが、品物を探すふうにきょろきょろする。
その顔が、ガレット・デ・ロワのポスターの所でぴたりと止まった。
「あれよ、あれ」
予約制なのね、と呟きながら、つかつかとレジ脇に向かって歩いていく。
しかし、
「これよ、これ」
と彼女が指さしたのは、ポスターではなく、下に貼られたポップ文字だった。
〈お買い上げの方に、陶器製フェーブをお一つプレゼント!〉
フランスの伝統的なガレット・デ・ロワは、〈当たり〉入りで焼かれていて、切り分けた際に当たった人は、その年の福女、福男になれるらしい。
その〈アタリ〉の名前が、〈フェーブ〉。
フランス語の〈空豆〉という単語だ。昔のガレットには、言葉通りに空豆が入っていたが、陶磁器が流行った十九世紀に役者が交代して、いまではフェーブといえば小さな陶器のお人形のことを指す。コレクターがいて、専門店まである。カメリアがプレゼントしているのも、ミニチュアの陶器である。
「フェーブはガレットのおまけで、商品ではないんですが」
千歳の説明に、ゆかりんは端から承知といいたげにうなずいて、
「で、このフェーブには、どんな種類があるのかしら?」
「ええと、今年はですね」
テディベアとカップケーキのシリーズ、ジャズとチェスシリーズ――と、 千歳がレジの下からフェーブの箱を出し、順に並べていくと、
「あった! これよこれ!」
ゆかりんが、チェスシリーズの中のキングの駒をつまみ上げた。
矯めつ眇めつしてから、改めて千歳を見る。
「ここのガレットって、予約制なのよね? 私の知り合いが、先々週の木曜日にここでガレットを買ったみたいなんだけど、本当に買ったかどうか確かめられないかしら」
「買われたかどうか、ですか……?」
それって、顧客情報漏洩にならない、かな……?
逡巡しながら、千歳はカウンターの内側に入り、ガレットの受付ファイルを出した。
ちょいちょい、と無言でゆかりんを手招きする。ゆかりんがカウンターの反対側に張りついたところで、ファイルを開いた。
「ええと、ですね。ご予約云々に関しては、お客様情報ですので、お教えすることは出来ないんですよね」
ええと、前の前の木曜日。
その日のガレットの予約は五件。しかし、千歳の勘では――
ぺらりとめくると、目当てのものが見つかった。市松格子の財布で支払った人のページである。
カウンターの反対側から、市松氏のちまっとした文字を凝視ししつつ、ゆかりんが聞いた。
「……ねえ、ここのガレットって、最初からフェーブは」
「入っていませんよ」
日本では、ガレットによる福女福男選びは一般的ではない。市販のガレットで、フェーブ入りは少ないだろう。
カメリアで陶器製のフェーブを付けるのは、本場の雰囲気を出すため。あくまで「気分」である。
「チッ、奴は、手品もできるのか……」
千歳の答えに、ゆかりんが顔を背けて、忌々しそうに呟く。
え、どうしたの?
ゆかりんの豹変に、千歳が目をぱちくりさせていると、背後でモッくんの呑気な声がした。
「あれ、ゆかりん。どないしたん」
ゆかりんが、ふり向かないまま、ぐるると唸る。
「どないしたもこないしたもあるかぁ」
あっ、モッくん、ピンチですよピンチ。
「これよこれ!」
ゆかりんはくるりと踵を返すと、モッくんに詰め寄り、便箋で彼の額をびしびし叩いた。
「ちょ、ちょお待てや。なんやこれ」
のけ反るモッくん。しかしゆかりんの手は止まらない。びしびしびし!
「ちょ、ちょっとちょっと!」
やめんかい! と叫んで、モッくんがゆかりんの体を抱え込む。
ようやく彼女の動きが止まった。正確には、ぴしりと固まった。
はあ、とモッくんが息を吐く。
「なんやねん、ほんま……」
そのままゆかりんを拘束している腕を緩めたのが運の尽き。
「おまえの所為だろうがぁ!」
ゆかりんは真正面かつ至近距離から、モッくんに渾身の平手の突きを、どーんとお見舞いした。
「ぐえっ」
白目をむいて、後ろに倒れ込むモッくん。
「おお、見事なつっぱり」
感嘆する伊織。
二人の男をきっと睨んで、ゆかりんは肩を怒らせお店から出ていった。
モッくんは、尻餅をついたまま押しつけられた便箋を胸に抱き、涙目で呟いた。
「なんなんや、一体……」
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