21.クドは予言の花
「備えなされ、といわれてもねぇ……」
ぶつぶつ文句をいいつつ杏奈は四階に戻り、とりあえず回廊をうろついた。
リリの独房を覗いてみたが、戻ってきている気配はない。
本当に、さっきは〈囁き〉が原因で、リリは男と揉めていたのだろうか?
答えが出ぬまま庭園に入り、小径を歩けば、すぐ横の草むらがガサゴソ音を立てて動いた。はっと警戒したが、なんのことはない、この間見かけたハリネズミである。今日も毒キノコを背負って、とことこと歩いている。
しかし背負っているのは、先日とは別の真っ赤な茸。
毒々しい赤を目で追っていると、ハリネズミは地面の穴に入っていった。あそこに巣があるのかもしれない。
「本当に、こんな場所に、どうやって入り込んだのかしら……」
四階まで壁をよじ登って来たとは思えない。恐らく、食料品の箱の中にでも紛れ込んで入ってしまい、そのまま宮殿に居ついてしまったのだろう。
確かに、ここなら他の動物に狙われる心配はない。(風太は餌にしようとしていたが)逆に、昆虫はいるので食べ物にも困らない。ハリネズミにとっては棲みよい場所なのだろう。
ぼんやり巣穴を眺めていると、ふとその近くに面白い草が生えていることに気付いた。
毒消しの材料になる草――シケだ。
その横に、同じく毒消しを作るのに必要な、クドの花を見つけて、杏奈はぎくりとした。
クドは珍しくはない。どこにでも生えている雑草だ。けれど……。
杏奈は小さな白い花をじっと見つめた。
毒消しの作り方を習ったとき、一緒に教えられた言い伝えがある。
クドは予言の花。
必要とされるときしか、花を付けない。
クドが咲いたら、誰かが毒にやられる。
そのクドが、たわわに花を付けている。
備えよ、といわれたのは、このこと?
いや、そんなことは後まわしよ。
とにかくすぐに、毒消しを作らなきゃ。
精製に必要な草がないかと、ダメ元で杏奈は辺りをきょろきょろと見まわす。「探す」という目的ができただけで、広々と見えていた庭が、なんと狭く思えることか。
ていうか、山の中を探しても見つからないこともざらなのに、箱庭にあるはずが――
「……あった」
目を凝らせば、種々の花に紛れて、毒消しに必要な草がそこここに。
「まさか、ここは……」
囚人の癒しの花園ではなく、庭のような顔をした薬草園?
ぶるりと震えつつ、杏奈はしゃがみ込む。
「こっちは葉っぱで、これは茎。こっちの花は確か根っこが……」
煎じ方を思いだしつつ、薬草に手を伸ばしかけたが、
「いやその前に、煎じる道具よ」
呟いて、すっくと立ち上がった。
歩きだしながら、心の中で必要な物品を指折り数える。
箸とスプーン、フォーク、ナイフ。包丁、鍋、すり鉢、すりこ木、お玉……。ほとんど調理道具だ。
「うーん、調理場を借りたほうが手っ取り早そう。持病の薬でも煎じる、とでも言い訳するか」
レシピはオババの特別製だから、毒消しを作っているとは分からないだろう。
思いつつ、調理場を使わせてほしいと執務室に頼みにいったのだが。
「調理?」
「花粉症を抑える薬を作りたいのです」
クドの花が咲いていたからと続けると、ロハンはピクリと反応し、鋭く杏奈を見返した。
どうやら彼も、クドの花の言い伝えを知っているらしい。
どうして他所の国の民間伝承まで知っているかなあ。
呆れ交じりに、杏奈はため息。
「博識すぎませんか、宮殿長」
「君にいわれたくない」
ロハンも嘆息しながらペンを取り、台所の使用許可証をその場で書いて渡してくれた。
「料理長が渋ったら戻って来て。私がもう一度一緒に行くから」
「ありがとうございます」
一時間後、無事に調理場の隅を借りることができた杏奈は、十種類以上の草を手にして、持病の薬の精製に取り掛かったのだった。