10.杏奈、お世話される
10.杏奈、お世話される
杏奈がタオルを手にぼんやりしていると、ノックの音がして、揃いの紺色の短いブーロを着た若い女性二人が入ってきた。茶髪の女性は腕に大ぶりの 木桶を、赤毛のほうは、タオルと畳んだ衣類を抱えている。
二人は杏奈の前に立つと、恭しくお辞儀をした。
「侍女としてお世話を申し付かりました、ミクとエミでございます」
茶髪のほうがミク、赤毛のほうがエミらしいが、
お世話……?
きびきびと木桶を床におろすミクを見ながら、杏奈は目をぱちぱちしたが、
「まずはお顔をお拭きください」
濡れタオルを渡され、促されるまま顔を拭った。
「本来なら、お湯殿にご案内するところですが、いまのところは、とりあえずお体をお拭きします」
えっ、と杏奈がタオルから顔を上げると、いつの間にかエミが横に立っていて、勝手に寝間着のボタンを外していた。ぷつぷつぷつと目にも留まらぬ早業で、腰の辺りまで外していく。寝間着を肩から滑らせると、左右の腕からするりと袖を引き抜いて、すとんと杏奈の足元に落としてしまった。
あれよあれよと裸にむかれ、杏奈ができたのは、音なき悲鳴を上げながら腕で胸を隠すことくらい。
「はい、そのまま立っていてくださいね」
警戒した梟のごとく、切り株のように身を縮めていると、ミクが濡れタオルで背中を拭き始めた。
そのまま、二人掛かりで腕足お腹、胸お尻。
ぐいぐい拭われ、残り湯で軽く髪を洗われて。その後、頭を拭われ、乾かされ。
「さっぱりなさいましたか?」
たずねられた杏奈は、ぐったり。
さっき宮殿長がいった「さっぱりする」とはこういう意味だったのだろうかと、疑問符ばかりが頭に浮かぶ。
着替えはこちらを、とエミが抱えていた衣類一式を、杏奈は隙を突いてひったくった。
「あっ、ちょっ……」
と慌てるエミを尻目に、急いで部屋の隅へ逃げ込んで、再び「お世話」の手が伸びてこないうちに、大慌てで下着から身に着ける。
しかし、上衣に手を伸ばしたところで、ぎくりと手を止めた。
淡いレモンイエローのブーロは、驚くほどに柔らかな手触り。
広げてみれば、ボタンは美しい銀細工。衿元と袖口には、白いレースリボンの美しい縁取りが。
明らかに高級品だ。
なのに、恐る恐る袖を通したそれは、誂えたようにぴったりで。
「まあ、よくお似合いです」
ミクが誉めそやし、杏奈をドレッサーの前に座らせる。
だが、鏡に映る杏奈の顔は真っ白だった。
おかしい。
オカシイ。
おかしすぎる。
ここは、昨日連れてこられた四乃宮。監獄のはず。
この扱いは、囚人に対するものではない。
「お腹が空かれましたでしょう。すぐに食事を用意いたしますね」
杏奈の顔色の悪さを空腹のせいと捉えたのか、ミクがせかせかと髪を梳く。
そのとき、
「アンナ!」
勢いよく扉が開いて、宮殿長が現れた。
助かった……。
杏奈は青白い顔のままふり返る。飛び込んできた宮殿長の顔も、負けず劣らず蒼ざめていた。
「お前たち、勝手になにをやっている!」
宮殿長の剣幕に、ミクが櫛を落とした。
「わ、若様――」
「お前たちは……三乃宮の者だな」
慌てて低頭したミクエミを睨みながら、ずんずん宮殿長が歩いてくる。
「一体、なんの真似だ」
「わ、私たちは、副宮殿長のご指示で、こちら様のお世話を……」
「その副宮殿長に、私は昨日『一切手出し無用』という指示を出した。今後、なにか命じられたら、動く前に私に確認してほしい」
宮殿長はぴしゃりと返し、厳しい声音で釘を刺す。
「も、申し訳ございません」
肩を縮めてミクエミが謝る。
「いや、あなた達が悪いわけではないのだが――」
宮殿長は嘆息を漏らし、態度を和らげた。
「すまないが、今日のところは帰ってくれ。副宮殿長に聞かれたら、私に追い払われたといっていいから」
「あの、食事の用意はいかがいたしましょう。軽めの昼食を準備いたしておりましたが」
「では、食事だけ。二人分頼めるか」
「かしこまりました」
ミクエミは頭を下げると、逃げるように部屋から出ていった。