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34.自身の才能の無さを憎むにはまだ早い。【FX専業トレーダーへの道】


「俺にもっと才能があれば…」


少なくとも私にこのようなことを思う資格はない。


何故なら、自身の才能を確認できるほどの努力を積み上げたことが、今まで一度も無いからである。


この考え方は、一見、ありきたりでありふれたもののように感じる。


しかし、ここにはある一つの大きなエッセンスが隠されている。


それは、「才能とは、自身の努力によって開花させるものである」というものだ。


言い換えると、才能があるという状態は、必ずしも天才のことを指すわけではないということでもある。


つまり、


「天才とは、生まれながらにして既に発揮しているもの」


それに対して、


「才能とは、後天的な努力によって開花させるもの」


であり、この点こそが「天才であること」と「才能があること」の一線を厳格に画しているものであると私は考えている。


つまり、天才は努力では培えないが、才能は努力によって培うことができるということである。


よって、ここから結論を言おう。


私たちは皆すべからく何らかの隠れた才能を持っている。


誰でも、例外なく、である。


しかし、先にも述べたように、その才能を開花させるためには、一定の努力、アクションが必要になる。


それに、自分自身がどういった才能を持っているのかは分からない。


ただ一つ言えることは、自分が心の底から好きなこと、自分が心の底からやってみたいこと、自分が心の底から達成したいことに対して、自身の才能は開花しやすい傾向にある。


何故なら、そういった強力な動機付けは、自身の才能が開花するまで努力をしつづける原動力となるからである。


このような動機付けを持っている人は、自分の夢や目標が達成するまで、決して努力を止めることはない。


だからこそ、決して短期的な結果にも惑わされない。


そのような瑣末で取るに足りない結果など屁とも思っていない。


そういったものに一喜一憂することがいかにナンセンスなのかを理解しているからだ。


特に、先ほどあげた動機の中でも一番強力なのは、「心の底からそれが好きだ」という感情である。


このタイプの人間は、勝ち負けに執着しない。


その物事に取り組むこと自体を目的の一つにしているからである。


よって、私たちが何らかの分野で成功を収めたいのならば、まずは短期的な欲求にそっと蓋をして、このタイプを目指すことこそが肝要であると言えるだろう。


閑話休題。


確かに、私たち人類の中でもごく稀に、生まれながらにして天賦の才を持っている人間はこの世に存在している。


だが、こういった人間が誕生する確率は極めて低い。


よって、基本的に私たちが「天才だ」と称賛している多くの偉人は、確率的に考えれば本当の天才ではないことの方が多い。


むしろ、私たち自身が私たちの言うところの「天才」の領域にたどり着くことができないのは、私たち自身が、稼いでいる額や学力、知名度といった外見的特徴のみで相手が天才かどうかを普段から安易に判別しているからではないだろうか?


ウォーレンバフェットの総資産を見て、「うわぁすげえやっぱ天才だわ」


大谷翔平のプレーを見て、「うわぁすげえやっぱ天才だわ」


そうやって、自分より結果を出している人間に「天才」というレッテルを貼り付けることによって、結果を出せない、あるいは努力が続かない現状の自分に対して「俺には才能が無いから仕方ない」と言って自己の正当化を図っていただけなのではないだろうか?


しかし、ここでもう一度言いたい。


私たちは皆すべからく何らかの隠れた才能を持っている。


誰でも、例外なく、である。


ここで更にもう一言。


自身の才能を開花させることができるのは、この世でただ一つ、自身の絶え間ない努力だけである。


人の才能を安易に羨むのではなく、まず自分自身の才能を開花するための十分な努力を尽くしてみよう。


自身の才能を恨むのはそれからでも遅くはない。


しかし、才能はいつどのタイミングで、どういった形で開花するのかは誰にもわからないし、開花する可能性自体も高いのかもしれないし低いのかもしれない。


だが、才能が開花する可能性とは、努力をしつづけることによって初めて一ミリでも上がるのである。


私たちは、いつか才能が開花することを信じて突き進んでいくしかない。


これこそが、ひどく冷酷でいて希望に満ち満ちた現実なのである。




いかがだったでしょうか。


まあ確かに結果が出ない時期は辛いです。


そういった時に才能のせいにしてしまうケースは、割とあるのかもしれません。


でも不思議と、私はこれまで一回も自分の才能のせいにしたことがないんですよね。


だからこそ、今も思うような結果が出ない時期が続いていますが、それでもちびちび頑張れています。


それに、自分の才能が無いせいにしてしまう弊害の最たるものって、自分に降りかかる問題に対して、何でもかんでも自分の才能が無いせいにできてしまうことにあると思うんですよね。


「筋トレが続かないことは才能が無いせい、FXで良い結果が出ないことも才能が無いせい、他人とうまくコミュニケーションが取れないことも才能が無いせい、フォロワーが増えないことも才能が無いせい。うわー俺才能無さすぎてマジで最悪だわ、生まれ変わりてえ。」


このような発想をしてしまう人は、逆にこのようにも考えます。


「あいつが億万長者になったことは才能のおかげ、あいつが大会で優勝したのも才能のおかげ、あいつが会社で昇進したのも才能のおかげ、あいつがあんな素敵な人と付き合えたのも才能のおかげ、うわー俺もあいつみたいに才能あったらなぁ、才能あるやつってマジで羨ましいわ。」


ここから何が言いたいのかというと、結果を出している人間に対して安易に「あいつは天才だ」とか「あいつは才能があるから」と評価する行動そのものが、自分自身に「才能が無い」というネガティブな暗示を無意識にかける行為になっているということです。


つまり、この行為は本来の自分自身が持っているであろう「才能の芽」を自ら摘むことに他ならないというわけなんです。


これ、ほんとに周りでやっちゃってる人多いんですよね。いや、別にこの考え自体を否定しているわけでは全然ないんですが。


ただ、私たちが何かを成し遂げたいと感じているのならば、この考えは確実に捨てなければなりません。


何故なら、凡人が成功するには、才能の芽を開花させること、つまり「自分のポテンシャルを100%出すこと」が必須条件だからです。


もし今後、自分より優れている人間や、自分の尊敬する偉人を見て「あいつは天才だ」とか思いそうになったら逆にこう考えましょう。


「いつかあいつみたいになってやる」って。


では今回はこの辺で。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


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