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41.二元論は健全な思考を滅ぼす。【FX専業トレーダーへの道】


いきなりだが、結論を言おう。


二元論的思考は諸悪の根源である。


私たちが成長するには、二元論という幻想からいち早く脱却しなければならない。


この結論を聞いた上で、これからの話を是非読み進めていただきたい。




光と闇。善と悪。正解と不正解。


こういった「二元論」における一般的な解釈はこうだ。


「光は闇ではなく、善は悪ではなく、正解は不正解ではない。」


これについて、あなたはどう考えるだろうか?


少なくとも私は、この解釈に対して疑問を抱かずにはいられない。


特に分かりやすいのは善と悪の解釈である。


「善は常に善なのか?悪は常に悪なのか?視点や立場が変わるとその解釈も違ってくるのではないか?それに、善よりの悪、悪よりの善、そういった価値観も存在しているだろ?常にどちらかに偏ってるなんてことはあり得ないだろ??」


私はずっとこのように考えていた。


ここから少しセンシティブな例になるので、不快になってしまったら申し訳ない。


ではまず訊きたい。


黒人差別は悪だろうか?


これについて、あくまでも私は悪だと考えている。


何故なら、肌の色で人間に優劣を付けることに意味を見出せず、むしろそうすることによって黒人の方々を不必要なまでに傷つけてしまうからである。


仮に、黒人差別に一定程度の合理性が認められていたとしても、その必要性が黒人の方々が受けた苦痛と比例しているとは到底思えないのである。


だが、これはあくまで私個人としての見解である。


もし、黒人を差別し続けていた側の人間に同じ事を訊くと、それは善であると考えるかもしれない。


もしくは、黒人差別によって物理的に助けられた人や心の平穏を保っていた人が存在していたのならば、おそらくその人たちは黒人差別を善であると判断するのかもしれない。


もっと別の観点から見ると、そもそも黒人差別について、善か悪かという議論をすること自体がナンセンスだとする意見もあるのかもしれない。


これらの意見は単なる一例に過ぎず、おそらく黒人差別についての意見や見解は世界にもっと多く存在しているだろう。


何が言いたいのかというと、私たちが物事を認識する時、たとえそれらの全てを理解したようでも、実際はほんの断片しか認識できていないということである。


何故なら、私たちが何かを知ろうとする時、自身の視覚的情報に加えて、価値観や先入観、今までの経験という一種のフィルターを先に通してからでないと、その物事を認識することができないからである。


いくら風光明媚な観光名所に訪れたとしても、サングラスをかけていては、見える世界はもれなく薄暗くなる。


つまり、私たちは常に視野狭窄に陥っている状態なのである。


死刑制度も、「どのような事情があっても人を殺めるのは悪いことだから反対」と判断する人もいれば、「極悪人を葬ってくれる善い制度」と評価する人もいる。


そして、このどちらの考え方も決して間違っていない。


70億人も人がいるのならば、およそ70億通りの考え方、または生き方が存在していると考えるべきである。


であるならば、他人の意見は、ほぼ100%の確率で自分とは違っている。


たとえ概ね似通っていても、何処かで必ず差異が生じている。

ここで何より重要なのは、その認識の差異が必ずどこかで生じているということを常に意識し、そして素直に受け入れることだと考えている。


何故なら、その差異を受け入れる体制が整っていなければ、思考停止を引き起こしてしまうからだ。


例えばFX。


FXにおけるトレード手法は星の数ほど存在している。


そしてその中から、私は「エリオット波動の第3波を狙うデイ〜スイングトレード」の手法を選ぶことにした。


何故なら、この手法がメンタル面においても生活面においても、一番私にフィットしていたからである。


逆に言えば、私は数秒〜数分スパンのスキャルピングや、2週間以上のスパンのポジショントレードに対して、少しネガティブなイメージがある。


瞬間的な値動きを狙うスキャルピングは、ある程度チャートに張り付かなければいけない上に、根拠のあるストップロス価格を設定しづらく、手数料による影響を受けやすい。おまけに個人的にはトレード過多でメンタルに多大な影響を及ぼしてしまう。


更に、2週間以上保有するポジショントレードでは、トレードがあまりにゆったりしているあまり、トレードのモチベーションを保つのが難しく、時間を無為に使ってしまっているかのような錯覚に陥ってしまう。そして、時間をめいいっぱいかけるので、その分一回一回のトレードのロットを増やす必要があり、それで仮に負けたら更にメンタルが抉れるので、こちらもまたメンタルによろしくない。


ちなみに、私は自動売買EAに対してもそこまで良いイメージを持っていない。


それは、EAにおける詐欺が横行していることも理由の一つではあるが、一番の理由は、FXにおける面白さや醍醐味が裁量トレードにあると私自身が考えているからである。


これらはあくまで一部に過ぎないが、このように、私は今使っている手法が一番使いやすいと感じている一方で、上記のようなトレードに対してあまり良いイメージを持っていない。


しかし、ここで私がずっと意識していることが一つある。


それは、「絶対に自身の価値観や世界観が全てだと思わないこと」である。


先ほど説明したことは、あくまでも私の中の理論であり、価値観であり、世界観。


そして、それは星の数ほどある考え方の内のたった一つでしかない。


よって私は、スキャルピングも、ポジショントレードも、EAも、全く否定しないし、それもその人自身が決めた正しい選択であると考えている。


だから、仮に相手が自分とは違うこういった手法を用いているからといって、その人自身を否定したり批判することは絶対にしない。というかできない。私にそれを批判する権利すら無いと言った方が正確だろう。


とどのつまり、自分がこれまで必死で信じて守ってきた理屈も、他人からすれば、想像以上に瑣末でちっぽけなものなのである。


思考に優劣はない。


全ての思考は平行線上にあり、それぞれの存在している位置がほんのちょっぴり違うだけである。


それは、りんごとみかんの違いでしかない。


「それぞれ味が全然違うから二つとも別物だ」と論じる人もいれば、「二つとも果実なんだから同じだろ」と論じる人もいる。


要は、モノを認識するフィルター、私たち自身がそれぞれ違うのだから、認識後の解釈が違って当たり前なのである。


この事実を素直に受け入れることで、あらゆる選択肢や可能性を模索し、新しい価値観をもすぐ受け入れられるようになるのである。


逆に、常に「それが良いか悪いか、善か悪か、正解か不正解か」これらを安易に結論付けることばかりに拘ってしまう二元論的思考の持ち主は、基本的に自身の物差しに適ったモノしか取り入れることができないので、新しい考え方や価値観を受け入れることが難しくなる。


更に、「自分が間違っている可能性」を素直に模索できないので、思考力も鍛えられず、結果として思考停止に陥りやすいということである。


「私はこう考えてる。けれど、相手からすればその結論は間違っているのかもしれない。」


このようにして、二元論的思考をやめて「人によって結論は異なる」という当たり前の事実を素直に受け入れることによって、相手に対して寛容になれるだけでなく、いずれは必ず自身の思考や行動全体が良い方向に変わると私は信じている。




いかがだったでしょうか。


あくまで自分自身の内側で結論付けることは必要な作業だと思います。


その結論付けの積み重ねが自身のアイデンティティを形成することにも繋がりますし。


ただ、その結論にいつまでも固執することはナンセンスだと考えています。


自分とは違う考え方を受け入れることが難しくなるので、知識や知見がずっとアップデートされなくなりますし、何より他人の考えや価値観を理解することが出来なくなってしまいます。


私が過去にあげた記事で「自己成長する過程において、他人を批判するのは時間の無駄」みたいな話をしましたが、この内容を更に具体化したつもりなのが今回の話ですね。


一応、下記にリンクを貼っておきますので是非。



…ん?ていうかこれ、そこはかとなく今回の記事と内容が似ている気がするんだが。


……まあまあ細かいことは水に流して差し上げましょう。それだけ私が大事にしてる考え方なんでしょうね。すみません。


とにかく!!


確かに、二元論的思考は簡単ですし便利です。


ですが、思考力は確実に衰えます。


特に、あらゆる可能性や選択肢を模索しなければいけない私たちFXトレーダーにとって、思考力の低下は死活問題です。


私もまだまだなので、これからも二元論的思考をなるたけ捨てて、新しい価値観に対してなるたけ理解を示せるような人間になれるように頑張りたいと思います。


ということで、今日はこの辺で。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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