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午前12時のカモマイルティー

夜が深まると、キッチンの静けさがひときわ際立つ。冷蔵庫の低い唸り声や、時折聞こえる遠くの車の音。家全体がまるで深呼吸をしている様な気がする。静かなキッチンで、私はカモマイルティーを淹れる。ティーバッグを取り出し、マグカップにそっと落とすと、乾いた花の香りがほのかに鼻をくすぐる。それは、日中の疲れをふっと軽くするような、控えめだけれど確かな香り。

やかんから湯を注ぐと、ティーバッグがふわりと浮き上がり、ゆっくりと黄金色の液体が広がり始める。その様子を眺めるのが好きだ。意味があるかは分からないけれど、膨らんだティーバッグの上に、ていねいに湯を注いでみる。

カップを手に取り、リビングの一角にある一番座り心地のいい椅子へ腰を下ろす。座面に体が沈み込み、背もたれがそっと背中を支えてくれる。その瞬間、肩から力が抜け、まるで自分が深い湖の底に沈んでいくような感覚になる。部屋の照明はランプだけ。柔らかな光がぼんやりと部屋全体に広がり、角のない世界を作り出している。

カモマイルティーを一口、口に含む。まだ熱い液体が喉を通り、体の芯までじんわりと温まる。優しいぬくもりは、正体の分からない不安な気持ちも包み込んでくれる様な気がした。

今日もいろいろあった。うまくいったこと、少し引っかかったこと。でも、こうして夜の静けさに包まれていると、昼間の記憶は、夜の静けさに溶け込み、名前のない感覚だけが漂う。

また一口、カモマイルティーを飲む。体にしみ込んでいくように、呼吸が自然と深くなる。部屋の中には、今、私だけの時間が流れている。その静けさが心地よくて、少しだけ切ない。この時間がずっと続けばいいと思いながらも、いつか終わることを知っているからこそ、愛おしい。

時計を見れば、午前0時を少し回ったところ。世界はすでに新しい一日に足を踏み入れている。でも、私の中ではまだ今日が続いている気がする。午前0時を少し過ぎたこの時間、夜と朝の境界線がゆらりと揺れている。私はその曖昧さの中に身を委ねる。

最後の一口を飲み干し、カップをそっと置く。消えかけた湯気が空気に溶け込み、部屋には静寂だけが残った。静けさは、影のように壁に張り付き、ただ息づいている。

新しい一日が始まったはずなのに、夜の深まりがその事実をそっと隠している。静かな夜は、カモマイルの香りと共に、ただ深くなっていく。

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