優しさの矛盾

春樹は、いつも人を助けることを善だと信じていた。だが、彼はどこかで「優しくあるために自分を犠牲にする必要はない」という言葉を聞き、それ以来その考えが心に引っかかっていた。自己犠牲を伴わずに人を助けることができるのなら、それに越したことはない。でも本当にそんなことが可能なのだろうか?


ある日、春樹の同僚である佐々木が、ひどく憔悴しているのを見かけた。佐々木は仕事と家庭の板挟みに悩み、限界寸前だった。春樹は手を貸したいと思いながらも、自分の仕事も手一杯だった。「無理をする必要はない、できる範囲でいい」と頭ではわかっているのに、目の前の佐々木の姿に放っておけない気持ちが募る。


翌日、春樹は自分の残業を犠牲にして佐々木の仕事を手伝った。しかしその結果、春樹は自分の納期が間に合わず、上司に叱責されることとなった。「なぜこんなことをしたのか」と上司に問われても、彼はただ「誰かが困っていたから」としか答えられない。


「これでよかったのか?」


心の奥で問いかけながらも、春樹は佐々木が少しでも楽になったと知って、ほっとする自分がいた。そして同時に、その安堵感に違和感を覚える。佐々木が感謝の言葉を述べたとき、春樹は「この自己犠牲が本当に正しいのか」と葛藤を抱えながらも、微笑んで「気にしないで」と返すのが精一杯だった。


それからも春樹は迷いながら、小さな自己犠牲を重ねていく。誰かを助けるたびに、心のどこかで「これでいいのか」と囁く声が響くが、その声を聞き流しながら、自分なりに「善く生きる」道を模索していた。


やがて春樹は、ある考えに至る。「自己犠牲かどうかなんて関係ない。相手が少しでも救われるなら、それでいいんじゃないか」。その境地に達したとき、彼は初めて自分の優しさと向き合えた気がした。

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