虚ろなる生存権
「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する…」
その一文が、何の前触れもなく脳裏に浮かんだのは、真夜中の会社のビルで一人、デスクに座っていたときだった。
時計は午前二時を指していた。朝に家を出てから、食事も休憩もまともに取っていない。背中は痛み、視界はかすんでいたが、作業は山積みで、まだ終わりが見えなかった。ふと、「頑張るってなんだろう」と思う。
仕事を頑張っているのだ。毎日、全力で生きている。それなのに、どうしてこんなにも体が悲鳴を上げているのか。「生存権」なんていう高尚な概念は、自分には関係のない遠い話だと思っていた。
「最近、ちゃんと寝てる?顔色悪いよ」
通勤途中、同僚にそう声をかけられる。だが、笑って流すしかない。仕事を手抜きして生きることなど、自分にはできないと思っていた。だから、眠れなくても食事がコンビニのおにぎりだけでも、毎日必死でデスクに向かうことが「一生懸命生きる」ということだと思っていたのだ。
「それが生きるってことなんだよ」
そう自分に言い聞かせ、見栄えなく頑張ってきた。けれども、気づけば心も体も疲れ果て、笑うことさえもできなくなっていた。手元のカップに入ったコーヒーの香りが、何も感じさせない。
健康とは「頑張り」の先にあるものだと思っていた。頑張っていれば、いつか報われる、幸せな生活を手に入れられる、そんな希望を信じていた。でも、いつの間にかその信念は自分を蝕む鎖になっていた。
「頑張れば頑張るほど、不健康になっていく」
そう気づいたのは、定時すら過ぎ、無理に頼み込んで入れてもらった深夜の救急で、医者に低い声で告げられたときだった。結果は過労による体調不良。胃の調子は悪く、血圧も高い。「このままの生活を続ければ、いずれ大変なことになりますよ」と医師が言うと、自分はただうなずいたが、実際は何も変わらなかった。
翌日も変わらず、早朝の電車に乗り、デスクでパソコンを開き、ひたすら画面を見つめた。
「生きることが、不健康であることを強いられるなんて」
頭の中でこだましたその言葉が、妙に自分の心に刺さった。