尊敬の向こう側

朝の教室は、いつもよりざわついていた。窓から差し込む光に照らされて、机に突っ伏していた三浦詩乃は、隣の席の友人に肩を叩かれる。


「詩乃、見た? 今日の神谷先生、マジでカッコよくない?」


「……何?」まだ夢の中にいるような声で返すと、友人の春香は机をバンと叩いた。


「体育館の朝礼で! スピーチのとき、めっちゃいいこと言ってたじゃん! あんな先生、尊敬しかないよね!」


「ああ、そんなのあったね」詩乃はぼんやりと頭を上げた。


確かに神谷先生は魅力的だ。話す言葉には説得力があり、教室でも生徒の目を引きつける力がある。詩乃も神谷の授業を楽しみにしているし、「尊敬している」という気持ちは自然と湧いてくる。だけど、それだけじゃない。神谷の話す言葉には、人を引き寄せるような温かさがあった。


「でもさ、村瀬先生ってどう思う?」詩乃がふと話題を変えると、春香は少し顔をしかめた。


「えー、あの人怖いじゃん。言うこと厳しいし、ちょっと近寄りがたい感じ。私、ああいうの苦手だな」


詩乃は黙ったまま窓の外に目を向けた。村瀬先生は、どこか孤独そうな雰囲気をまとった教師だった。話すときの冷たい声、短く簡潔な言葉。だが、その背後には確かな知識と経験があり、生徒たちのために動いている姿があるのも、詩乃は知っていた。


「春香、尊敬してるって、どういうことだと思う?」


「え?」突然の質問に、春香は目を丸くした。「そりゃあ、その人のことすごいなって思うこと、じゃないの?」


「そうだよね。じゃあ、好きってなんだろう?」


春香は少し考え込む。「好きは……一緒にいたいとか、その人を応援したいとか、そういうことかな」


詩乃は窓の外を眺めながら、神谷と村瀬の顔を頭に思い浮かべた。彼女にとって、神谷先生は「好きだし尊敬している」存在だった。一緒にいると楽しいし、その考え方や行動にも共感できる。一方で、村瀬先生には「尊敬」はしていても、「好き」だと感じることはなかった。


放課後、職員室の前を通りかかると、神谷の声が聞こえてきた。


「村瀬先生、本当に助かりました。あの件、僕一人じゃ手に負えなかったと思います」


「別に。生徒のためにやっただけだ」


村瀬の低い声に、詩乃は足を止める。神谷がいつもの明るい調子で言葉を続けた。


「でも、そういうところが村瀬先生らしいですよね。僕も見習わないとって思います」


「……そうか」


短い返事だったが、その声にはほんのわずかに柔らかさが混じっていた。


詩乃は胸の奥に、小さな波紋が広がるのを感じた。好きではないと思っていた村瀬の姿が、少しだけ違って見えた気がした。

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