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「普通の人」という言葉への違和感

普通の人は…って言葉に違和感を感じていた。

自分がとても普通だと思って生きてきたから特に何も思ってこなかったのだけど、いろんな人がいろんな『普通の人使い』をしているのを聞いて、結局普通ってなんなんだ!?と思い、自分の普通すら疑わしくなったので書いてみる。

普通の人とは一一

平凡?
常識的?

才能がある人と対比したら″つまらない人″というニュアンスを含み、ちょっと人間的に恐ろしい人と比較したら″安全な人″というイメージにもなり、ポジティブにもネガティブにも捉えられる。

え?じゃあ普通の人って比較対象によるのか?
普通というのは、両極端に対する平均値や中央値とも考えられるので(濃い顔と薄い顔の中間は普通の顔みたいな)、そもそも自分意外が存在しなければ普通という概念も存在しない。

そしていわゆる普通の人なんていないのではないかと思う理由がもうひとつ。

これまでコーチングや対話で色んな方と話してきたが、どんな人にも少なからず「奇才性」があるよなぁと感じてきたからだ。
「自分には特に特徴なんてないんです」という人もそうだ。

奇才性は、世に稀な才能という意味合いもあるけれど、″風変わり″という要素もある。

それって誰しもある。
これは他者という存在がいるから成り立つのかもしれないけど、どんなに親しい人でも自分から見て、「不思議」「予想外」な要素を感じたことはないだろうか。

それなのに私達は、普通じゃないことに不安を覚えたり、普通であることに焦ったりしているのだ。

なんだかここまできておかしいと思わないだろうか。
普通の人かどうかなんて、あまり重要ではない。

以上のことから私は、「普通の人」は実際いなくて、「普通の状態にいる人」は誰もがなりうるし日常的に行ったり来たりしているんだろうなと思う。


前述した奇才性の部分って自分では気づかないかもしれないけど、他人と話したりFBを受けて気づいた″自分の風変わりで不思議かもしれない部分″があるならば、もっと出していって良いと思う。

「え、普通こうしない…?」
「勿体なくない…?」
と思われたらチャンスかもしれない。

常軌を逸脱するとか、
奇を狙ってとかではなく、
「真面目にやってるのに、あれ?」
「気づいたらこんな選択してた」
など、素でダダ漏れちゃってる感じ。


そもそも人は細胞レベルでは私たちの意思に関係なく日々変化し続けているから、どんな場面でもずっと普通の状態で居続けてる人なんていないはず(血液は約4ヶ月、胃の粘膜は3日で入れ替わるらしい!)。




以上、普通の人という言葉への違和感について書いてみました。  
あなたはどう思いますか?

また私の普通の概念がアップデートされるので是非聞いてみたいです👐

お読み頂き、ありがとうございました。

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