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目標はシンプルに、作戦と情報収集はできるだけ具体的かつ定期的に。

こんにちは、はらのです。
最近、「台湾 植物」という言葉だけを頼りにインターネットの海をあてもなくさまよい続ける日々なのですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

自分の中にある漠然とした不安や欲望を解消できていないと、よくこういう動きをします。そして欲望を満たせないままネットの海に溺れるという。
誰か上手な泳ぎ方を教えてくれ、、!


若干ネットの海に溺れながらも、ようやく「石蓮花(セキレンカ)」という気になる植物を見つけました。

なんだこの漢字の並び。可愛いな。
しかもこれ、食べられるらしい。
 
可愛いのに食べられるなんて、ますます可愛いな(理解不能)

石蓮花は中国名で、葉の並び具合がハスの花に似ているところから名づけられたのでしょうか。住職が台湾に行った際にホテルの朝食バイキング会場に並べられていたのです。初めてのことで、「エッ、これ食べるの?」と疑いましたが、物は試しに思い切って噛んでみると、サクッとした食感と青りんごのようにほのかな酸味がするじゃあありませんか。

「食べられる多肉植物「石蓮花」」(立正寺 2020)

この石蓮花、日本では「グラパラリーフ」と呼ばれているみたい。
グラパラリーフは、メキシコ原産の多肉植物である「Graptopetalum paraguayense(=植物の名前)」を食用に品種改良したもののようです。

ちなみに石蓮花やグラパラリーフの原種であるGraptopetalum paraguayenseは、日本では「朧月」と呼ばれ、園芸品種としても親しまれています。
 
このあたりから多肉植物やサボテンが気になり始めた私。
そもそも、サボテンってなに??

「サボテン」とは、サボテン科に含まれる植物のみを指す呼び方です。例えば、「アロエ」はサボテンだと思われがちですが、ススキノキ科の植物なので、サボテンではありません。

「サボテンはすごい! 過酷な環境を生き抜く驚きのしくみ」(堀部 2022)

 
引用によると、サボテンはサボテン科Cactaceaeに属する植物を指す呼び方らしい。
 
「じゃあGraptopetalum属はサボテン科なのね〜」なんてことを考えながら軽い気持ちで検索をかけると、「Graptopetalum(グラプトペタルム)属はベンケイソウ科」ですとgoogleさんが教えてくれました。
 
うん、ベンケイソウ科?
じゃあ、サボテンじゃないな??
 
先ほど示した「Graptopetalum paraguayense」という名前は「学名」と呼ばれるもので、生物学の世界での、生物の通り名のようなもの。
ちなみにヒトの学名は「Homo sapiens」です。

学名には「Homo(属名) sapiens(種小名)」という風に名前の付け方にルールがあり、学名を見ると属名がわかる仕組みになっています。
 
植物を含めた全ての生き物は、「植物界→……→サボテン科→ヒモサボテン属」といったように、大きなグループから小さなグループへと細かく分類されていきます。
イメージ的には、植物好きの大学生が「大学→R大学→理学部→生物学科→植物研」と細かく分類されることで、どこの子かわかるのと同じ感じ。
 
つまり属名がわかると、その属がどの科に分類されるか知っていれば、その生物がどこの子かわかる、というわけです。
 
そこで私は逆算して、「Graptopetalum属はサボテン科のグループ」だと考えたわけです。
しかしgoogleさんから「石蓮花はベンケイソウ科だよ」と言われて、「あれ?」と思ったわけです。
あ、さっきの引用記事も、タイトルが「サボテン」じゃなくて「多肉植物」だ。
 
じゃあ、多肉植物ってなに??
 

一方、「多肉植物」とは、葉や茎、根などに水分をたくさん含み、ふっくらと多肉質になっている植物の総称です。(......) じつは多肉植物という言葉には植物分類学上の定義がなく、どの植物を多肉植物と呼ぶのかはっきりと定まっていません。多肉植物と呼ばれる植物は、トウダイグサ科やパイナップル科、マメ科、ススキノキ科などを含む約80科もあり、その数は約1万~1万2500種あるといわれています。

「サボテンはすごい! 過酷な環境を生き抜く驚きのしくみ」(堀部 2022)

つまり多肉植物は「多肉質な植物の総称」で、ふっくらしてる植物はざっくり多肉植物と括られているってことか〜

でも多肉植物はざっくりとまとめた言葉なので、必ずしも「多肉植物=サボテン」となるとは限らないよ、という話みたい。なるほど。
 
ちなみに、いろんな品種があるので一つの学名には定まりませんが、ドラゴンフルーツは正真正銘サボテン科の仲間です。
沖縄では、道端で乱雑に植えられているドラゴンフルーツをよく見かけます。

もし沖縄でドラゴンフルーツを見かけたら、「あ!サボテンだ!」と心置きなく叫んでやってください!

あ!サボテンだ!!

 みなさんは「サボテン」と聞くと、どんなものを思い出しますか?
ドラゴンフルーツを思い出す猛者は少数派だと思いますが、私はこれを思い出しました。
 

にこっ

そう、おそらく今あなたが見ている画面の右上に居座る、私のアイコンになっているこいつ。
この子は高さ10cmくらいの小さな鉢植えで、地元の園芸屋さんで見かけて、なんか可愛かったので購入しました。
 
この子はちまっと凝縮された姿ですが、多くの方は「サボテン」と言われると、この子をもう少し細長くした、はにわのような形のサボテンを思い出すのではないかな~と思います。
いや、こんな植物の話しかしない文章を読んでくれる方たちの中なら、ドラゴンフルーツの方が多数派か、、、?
いつも読んでくれてありがとう!(なんの感謝?)
 
ちなみにスヌーピーが登場する『PEANUTS』という作品の中にも、砂漠でひとり静かに暮らすスヌーピーの兄スパイクの友だちとしてサボテンが登場します。
このサボテンも、はにわのような形。

スヌーピー様、
ここ砂漠では生活は
大変だがすばらしい。

ものすごく暑いときもある。
だが夜はとても冷えこむ。

ときには雨になり、
突然、洪水に襲われる。

雪が降ることさえある。

でも散歩すれば美しい
眺めにはこと欠かない。

そしてうちへ帰れば…

おれにはいつだって
帽子をかける場所がある。

「完全版 ピーナッツ全集17:スヌーピー1983~1984」(チャールズ・M・シュルツ 2019)

スパイクがひょいと帽子を投げた先にあるのが、スパイクよりも少し背の高いサボテン、というわけです。
スパイクの友人であるサボテンには、私のアイコンのように顔もついていなければ、喋ることもありません。

物語の中ではスパイクがひとり、サボテンに向かって喋りかけているだけ。
 
動きもしゃべりもしないはずのサボテン。
なのにどこか、愛らしい。
 
『PEANUTS』の世界では、そんな愛嬌のある姿でサボテンが描かれています。

私の写真フォルダにいた(おそらく)サボテン。スパイクの友人は、これに手が生えたような姿をしています。

スパイクの友人であるサボテンのモデルは、ベンケイチュウCarnegiea giganteaと呼ばれるサボテンです。別名サワロサボテン。
私のアイコンのサボテンのモデルも、恐らくベンケイチュウ。
 
私のアイコンやスパイクの友人であるサボテンは、ベンケイチュウと呼ばれる植物を擬人化した姿です。
私のアイコンのサボテンには人間の顔が描かれ、スパイクのサボテンには、スパイクの話し相手としての人間の姿が描かれています。

ぎ-じん【擬人】人間でないものを、人間であるように見立てること。

「旺文社 国語辞典 第十版」(旺文社 2010)


 これまでの私の文章を読んでくれている人はわかると思うのですが、私は植物を「擬人化」させることが好きです。

生物学的な植物の生き方をヒントに、その植物の考えていそうなことや植物の世界を想像して、自分の言葉で表現することが好き。
スパイクの友だちとしてのサボテンの姿が近いかな?
また、アイコンのように、本来のサボテンから完全に離れ、別のものとして擬人化された姿も意外と好きです。
 
でもそれと同じくらい、植物を「擬人化」させたものの中に苦手なジャンルがある、ということに最近気がつきました。
 

どういう擬人化が苦手なのかというと、それは文字通り、植物が人間の姿となって植物の気持ちを語っているもの。
このような植物の擬人化の多くは、女の子の姿をしているイメージがあるのですが、それに対して、
 
別に女の子は植物じゃなくたって可愛いし、植物だって女の子じゃなくたって可愛いだろ!!許さん!!!
 
みたいな気持ちになります。
なんか変に混ざっているものって、どっちにも失礼な場合がある気がするんですよね~
 
擬人化した女の子から「これは植物の言葉です」みたいに言われても、「いや、それはあなたの言葉であって植物の言葉ではないよな? 植物の声聞いたことあるんか?」って思うし、明らかに形や意味の異なるものをイコールで結ぶことに、どうしても抵抗があります。

それに擬人化された女の子の可愛さは、植物をヒントにあなたが作りだしたものなのだから、自信をもって「これが私の性癖ど真ん中な女の子です!」って言えばいいのに、みたいな気持ちになります。
......いや、それは恥ずかしすぎるし、変態すぎるな。
 
この話は、人の姿をした植物の擬人化を見ると自分はそう考えてしまうというだけで、ヒト型の擬人化をする人がすべてそういう気持ちでやっていると思っているわけではないし、否定する気持ちがあるわけでもありません。
 
ただ自分の中に、
「植物の擬人化に対して強いこだわりがある」からこそ、
負の感情が生まれてしまうときがある、という話です。

この擬人化も嫌いじゃない

 突然ですが、みなさんは目玉焼きに何をかけますか?醤油?ソース?
塩やケチャップをかけるよ、なんて人もいれば、その日の気分でかけるものを変える人もいるかもしれません。
 
この「目玉焼きの食べ方」といった些細なものから、「植物でのヒト型の擬人化は苦手」といったものまで、「自分の中にある譲れないもの」を人々は「こだわり」と呼ぶのだと思います。

こだわ・る
①わずかのことに心がとらわれ、進展できないでいる。拘泥する。「形式にー必要はない」
②(いい意味で)細かい差異も軽視せず、徹底的に追及する。「ワインの産地にー」

「旺文社 国語辞典 第十版」(旺文社 2010)


こだわりというものは、自分で意識的に選択しているものであれば、ある程度自覚することができます。
例えば、「朝は目玉焼きしか食べないって決めてる」みたいなこだわりは容易に自覚できます。

しかしこだわりというものは案外、これまで育ってきた環境や出会ってきた人やものの中で無意識に形成されていくもので、自覚することが難しい場合も。
 
つまり、本人でさえも無自覚なこだわりがあるということ。
 
例えば、目玉焼きに何をかけるかは家庭環境の影響が大きく、家族以外の誰かと目玉焼きを食べる機会がないと、違いがあることにすら気づけないことが多いです。
また、どうしようもなく好きな擬人化があるからこそ、そこから外れた擬人化が苦手だなんてことには、自分一人では容易に気づけません。
事実、私が「植物でのヒト型の擬人化が苦手」だと気づかせてくれたのは、同じ研究室の後輩くんでした。
 
この後輩くんを始め、私はいろんな人とのやりとりを通して、「自分の気持ちやこだわり」に気づくことが多いです。
 
例えば、自分では「まだ頑張れる」と思っていても、気の置けない友人とご飯を食べて、毒を吐き出してからようやく、「あ、自分は疲れていたのか」と気づいて肩の力が抜けたり。
先日も5年ぶりに再開した友人の言葉で、自分を無意識のうちに縛っていたこだわりのようなものに気づけました。ありがとう。惚れ直した!
 
このように、恐らく人間という生き物は、目玉焼きの食べ方に然り擬人化に然り、日々の生活の中で無意識のうちに様々なこだわりや感情を積み上げてしまうのだと思います。
いや、人間を主語にするのはエゴか。
少なくとも私という人間はそう、ということにしておきましょう。

この「こだわり」というものは、自分の「これまで生きてきた軌跡」です。
そしてそれと同時に、「これからの生きる指針」ともなっていくもの。
 
だからこそ、こだわりはとても大切なものであり、それと同時に、とても厄介なものだと私は考えています。

なんか今回の話重くね??  最近食べたおいしいごはん(食べかけ)の写真のっけとこ


 なぜ、こだわりが厄介なのでしょう?
 
例えば、「自分だけのこだわりがある」ことに気づけていないと、無意識のうちに相手に自分のこだわりを押し付け、相手を苦しめる場合があります。
「俺は目玉焼きは醤油以外ゆるさねえ」みたいなことを声高らかに叫んでいる人がいたら、半熟おたふくソース派の私は縮み上がりながら醤油をかけるかもしれません。
......まあ、私は気にせずソースをかけますが。

でも好きな相手の前では、本当はソースがよかったのに、うっかり相手に合わせて醤油をかけてしまう、なんてことはよくあります(そして新発見をして喜んじゃうのが私)。
合わせたくて合わせているときはまったく問題ないんですけどね!
互いに心地よくわがままを言える関係を築くのは、意外と難しい。
 
こだわりを押し付けてくる人は無視するか、友人なら「うざっ」の一言で片づけられるので問題ないのですが、一番厄介なのは、無自覚なこだわりを無自覚に押し付けてくる自分自身。
 
自覚していないこだわりがあると、自分が「自分のこだわり」に無意識のうちにとらわれ、自分を苦しめている場合があります。
 
例えば私は、自分の好きなものが「好きすぎる」ことで、その好きなものに求める理想が無意識のうちに高くなり、振り回され、苦しめられてしまいがちです。
自分の中で「これはこうであって欲しい」みたいな期待を膨らませすぎて、勝手に期待を裏切られて暴走しちゃう。
目の前のものが自分の期待した姿ではなくても、そのままの姿で良いところがいっぱいあるんだから、評価を入れすぎるのは良くないな〜と、落ち着いてからよく反省しています。

面倒なときは「なんでお前らは好きになってくれないんだ!!!」と、人に押し付ける気持ちにまで発展して暴走するときがあるので我ながらだるい。
自分の気持ちを押し付けるのはダメですが、「好きになってアピール」は大事だったりするから、そこの塩梅が難しい。
理想を追い求めることを楽しみ、人に押し付けていなければ問題ないんですけどね~
 
そういえば前回もそんな話だった気がする。

自分の「好き」に苦しめられているときは大概、ひとりで内にこもって思考が暴走している時な気がします。
暴走中は、想像力を働かせなくていい場所に想像力を全力投球しがち。
そして一度暴走しだすと、どれだけ注意していても、なかなかひとりでは抜け出せません。
 
まじでよくない、引きこもり。
 
でも、「よくない」とわかっていても、いつのまにか引きこもっているものだし、そこからの脱出方法もよくわからないから暴走するんだよなーあ。
......私は闘牛なのかな??
 
自分が闘牛である自覚はあるので(ジャージー牛がいいのに!)、暴走しないよう、思考が偏らないようにしようと常に意識はしています。
しかし、やはり自分ひとりの考えには限界があるようで、いつのまにか似たような思考回路に陥って暴走しがち。
 
収束する思考回路が「F=ma」くらい洗練された、普遍的で美しい思考回路ならいいんですけどね~
私の思考は定期で暴走するから恐らく違うのでしょう。
摩擦係数とか考慮しないでいい世界なら成立しているかもしれないのに、、ちくしょう現実世界め、、、!
 
困ったときは周りの人に泣きつくと決めているけれど、結局、根が引きこもりなので、初手はつい「引きこもる」を無意識のうちに選択してしまいがち。
だからたとえひとりでも、縛られなくていいものには縛られず、できるだけ自由に思考できたらいいのに、なんて考えてしまいます。
 
でも、「何にも縛られずにいる」とは一体どういうことなのでしょう。
何にも縛られなかったら、根っからのめんどくさがり&引きこもりな私は、布団の上で一生だらだらと眠り続けてしまう気がします。
それはそれでありだな、、、!
 
でもそれは、自分が心の中で「本当に求めているもの」とは少し違うような気がします。
たとえなにかに縛られたとしても、大切なものは手放さないでいたい。
 
どうやったら大切なものを手放さないまま、自由に思考できる?
 

そんなことを考えていた時に出会ったのが、先ほど登場したスパイクの友人であるベンケイチュウの、現実世界での観察記録に関する記事でした。



私が気になったのは、ベンケイチュウの開花に関する記録。

ベンケイチュウの頭頂部を2か月に渡って定期的に撮影した結果、つぼみの位置が季節に合わせて少しずつ変化していることがわかったらしい。

 スワンがとらえたのは、サボテンの頭頂部に環状に並ぶ、固く閉じた白と黄色の花のつぼみだ。ベンケイチュウの花は、繊細な内部組織が強烈な太陽光に長時間さらされるのを防ぐため、たいていは夜間に1回だけ咲く。一連の写真を順番に見ていくと、新たな事実がわかった。まるで、つぼみが移動しているように見えたのだ。4月中旬から6月中旬にかけて、花の咲く位置が、東側から、日陰になる時間が長い北側へとゆっくりと移り変わっていた。
「この仕組みによってベンケイチュウは、気温の低い早春にはぬくもりと陽光を取り込み、季節が進んで厳しい暑さになると、その影響を最小限に抑えているのです」とスワンは言う。

「たくましいサボテンの生命力:酷暑を生き抜くサボテンの能力から私たちは何を学べるか」(ナショナル ジオグラフィック 2024)

この一節を読んで、
「この植物、めっちゃ強かだなあ~」と思いました。
こいつ、誰にも気づかれることなく、めっちゃ静かに戦略を張りめぐらせとる。
 
「花を咲かせる」という目標のために抜かりなく情報収集して、そのときの環境条件に合わせて少しずつ作戦を変えてる。
 
これを強かと言わずして、何を強かと言うのでしょう。
職人かよ。最高じゃん。
 
この生き方には、学べるところがあるなあ。

僕らだって、考えていないようで考えているんですよ?


ベンケイチュウから学べると感じたのは、こんなところ。
 
①目標を「花を咲かせる」とシンプルにとらえ、細かい部分は排除して行動
→「花を咲かせる」ために行うべきことはたくさんあるけれど、まずは「花を咲かせる」ことにのみ注力している。この目標はすべての花を咲かせる植物に共通することだけれど、その潔さは見習いたいところ。
 
②目標達成のためにベンケイチュウが変化させるのは「つぼみの位置」だけ
→「花を咲かせる」目標のためにベンケイチュウがやることは、「つぼみの位置を変える」ことだけ。複雑なことしようとすると失敗することを知っているのか、はたまた面倒なだけなのか。
 
(目標達成のために複雑なことをしようとしても、扱いきれなくて失敗することが多いです。だから目標のための行動内容は具体的かつシンプルに、難しいことに挑戦するにしても、そこまでの行程を細かく区切り、段階的に実行していくことが大事だと思いました。)
 
③シンプルな行動に「頻度」の概念を加え、細かな環境変化に対応
→たとえ同じ目標をもち続けていても、自分自身や周りの環境は少しずつ変化するもの。その細かな変化に対応するための策として、目標や行動内容を大きく変化させるのではなく、定期的に環境の変化に関する情報収集を行うことで微調整しているのが良いなと思いました。
 
ベンケイチュウの生き方では、基本方針や行動内容は大きく変えないままに、その行動の「頻度」を工夫することで、時間と空間の変化に対応しているところがすごい。

つまり環境に関する情報収集の鬼、っちゅうことやな。
 

情報収集、引きこもりな私が一番苦手とすることだぜ!!!!!


ベンケイチュウは他の植物と同様、「基本的には動かない」というスタンスを維持しています(引きこもりの大先輩)。
植物の「基本動かない」性質はそのままに、周りの環境に関する情報を定期的に収集し、「つぼみの位置を変える」ことで微調整しながら、「花を咲かせる」目標を達成し続けている。
 
このようなベンケイチュウの生き方から、大切なものを手放さないまま自由に思考するためには、①自分が一番大事にしたいものをひとつに決めて、②決めたことを実行する場所と実行する自分に関する情報を細かく集め、③定期的に作戦と情報をアップデートし続けていくことが大事なのかなと考えました。
 
これまで何度も述べた通り、基本的に私はめんどくさがりで引きこもりがちな性格です(闘牛)。
ゆえに自分の中にある情報の収集は得意でも、自分の外にある情報の収集はとても苦手。

ちなみに違う引きこもりとして、自分の外にある情報収集が得意で、自分の中にある情報収集が苦手だったり、収集に無関心な人もいたりするから、世の中って不思議だな〜と思います。
それぞれの特性ってあるんだなあと、こういう時によく感じる。
しかも明確に二分できるわけじゃなくて、グラデーションがあることで個性が生まれていたりするから、さらに不思議。

少し話がそれましたが、まあ、どちらにせよ、私の根っからの引きこもりはたぶんもう治りません。いったん諦めてくれ。

だとすれば、多少は引きこもりながらも情報収集できる策を考えるしかないんですよね~
 
恐らく私に合っている情報収集の方法は、
「定期的に情報収集する機会をつくり、情報収集のハードルを下げる」
という作戦。
 
こもりにこもった努力の賜物なのか、私は自分や誰かの気持ちや状況を整理して言語化することが得意です。割といろんな人から褒められます(うれしい)。
自分が認識できている気持ちや性格、状況であれば上手に客観視できるので、そこから自分に合った情報収集のタイミングとリズムを探り、習慣化するのがよさそう。
定期的に情報収集していれば、情報を読み解くのに必要な前提知識の量が減るので、情報収集のハードルも下がるはず。
そしてきちんと適切な情報収集が行えていれば、暴走の数は減るはず、、、!
 
でもまだ具体的な案が見つかっていないので、もうしばらくは暴走すると思います、、、(ごめんなよろしく友人たち)
 
暴走して誰かに迷惑をかけたと思うのなら、その分、誰かの暴走にも付き合えばよし、ということで!
 
もうお前は定期で引きこもりに悩まされろ。
自分の引きこもりを自覚したうえで、意識的に外に出るようにしてくれ。
 
でも、本当にダメそうなときは時間を決めて全力で引きこもってください。
そして徐々に引きこもる時間を短く、引きこもった自分でしかできないことを、できるだけいろんな状況でできるようにしてください。以上!
 
というわけで私は国内からの引きこもりを脱却すべく、来月台湾に行ってきます!
いつかアメリカのサワロサボテンも見に行けたらいいなあ。
 
あ、でもたぶんこの後は布団から一歩も出ないので、どうぞよろしく!!!

弟のスヌーピー様、
ここ砂漠での生活は
ワクワクするよ。

昨夜、太陽が沈み、
けさ、太陽が昇った。

いつも何かが
起こっている。

「完全版 ピーナッツ全集22:スヌーピー1993~1994」(チャールズ・M・シュルツ 2020)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それではまた!


参考・引用文献
チャールズ・M・シュルツ,2019.完全版 ピーナッツ全集17:スヌーピー1983~1984.谷川俊太郎(訳),河出書房新社,東京,344pp.
チャールズ・M・シュルツ,2020.完全版 ピーナッツ全集22:スヌーピー1993~1994.谷川俊太郎(訳),河出書房新社,東京,324pp.
松村明・山口明穂・和田利政(編),2010.旺文社 国語辞典[第十版].旺文社,東京,1631pp.
堀部貴紀,2022.サボテンはすごい! 過酷な環境を生き抜く驚きのしくみ,べレ出版,東京,215pp.
ナショナル ジオグラフィック(編),2024.たくましいサボテンの生命力 酷暑を生き抜くサボテンの能力から私たちは何を学べるか.98-111”ナショナル ジオグラフィック日本版 2024年11月号: AI - 人工知能が切り開く 科学の未来”.日経ナショナル ジオグラフィック,東京.
 
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/101800564/,たくましいサボテンの生命力 酷暑を生き抜くサボテンの能力から私たちは何を学べるか:ナショナル ジオグラフィック日本版サイト,2024年11月25日アクセス.
https://www.risshoji.com/%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E5%A4%9A%E8%82%89%E6%A4%8D%E7%89%A9%E3%80%8C%E7%9F%B3%E8%93%AE%E8%8A%B1%E3%80%8D/,食べる多肉植物「石蓮花」:立正寺,2024年11月25日アクセス.
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/Graparaleaf.htm,グラパラリーフ(グラプトペタルム・パラグアエンセ):旬の野菜百科,2024年11月25日アクセス.
https://www.youtube.com/watch?v=L2Qwsbtrsv0,#323【超丈夫。最強多肉】おおらかな美しさ。お買い得で親しみやすい。おすすめ。朧月の育て方、魅力。:YouTube,2024年11月25日アクセス.

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