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留学かぶれって、いいことだ!

「お前、かぶれてるなあ」

かぶれ、

海外かぶれ。
それは、
他の文化に出会い、その人自身に大きな力が加わった結果
つい、”でちゃうもの”
だと私は考えている

正直に言えば、ちょっとやわらかく言おうとはしているけれど。


ともかく、「海外かぶれ」はこの国では嫌味として使われる。
その「かぶれ」がたとえ親しい友人だったとしても、
私たちはなぜか、眉を顰めたくなるようないや〜な感情を心に沸かせ、
そのいや〜な感情を、いや〜な表情と共に
「かぶれたなあ」
と、吐き出してしまう。


私だって、かつての自分がそのひとりだった自覚ははっきりとある。
そうしてしまった、記憶もある。


なぜ、突然このはなしをするのかというと
今ならとっても、よくわかるから。
かぶれちゃう人の気持ちも、かぶれって言ってしまう人の気持ちも。




私は昨夏を1ヶ月ほどロンドンで過ごした。

帰ってきてからも、私の場合は意識的にかぶれるようにしている。


全くもって新しい文化に飛び込むというのには、経験したことのない人にはわからない熱波を帯びた衝撃である。

その衝撃は

肌、眼、鼻、耳を通じて

カラダ全体に

走りわたる。


そしてそこで暮らすというのは、筆から墨が紙に染み込んでいくように、二度と消えない感覚を与えてくれる。
決してその感覚の記憶からは逃れられない。

そして、もしその影響が、その人のこれからの人生に大きく影響を与えたのなら

私はその人に

「もっとかぶれろ!」

と、言ってあげたい。


まねることは
初めは恥ずかしいかもしれない。
でも、そのフリを
ずっと、毎日、何年も続けた先に
本物が待っているのだ。


そして、見守る人たちへ
外国で暮らしたなんて、やっぱり、羨ましいことだし
変わってしまった、と感じて寂しくなるかもしれない。

でも、その人は今、
必死に前に進もうとしているんだ。
恥ずかしさに折れない強さを
足にしっかり力を入れて踏ん張って
がんばっているんだよなあ。



人にはいろんな景色が見えている。
なりたいものだって、その人らしく、異なってくる。

人は、絶えず変化する。
そんな変化を、互いに見守りながら
時に振り返って懐かしみながら、愛おしもうではないか。


そんなふうに、思ってみたらどうだろうか


イギリスかぶれな、青二歳より






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