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前半:キングダム考察58巻 羌瘣が発動&達成した禁術の「寿命半分」のエビデンスはない、寿命が縮んだ真相は別にあり

【考察その5:前半】

その4考察で「2つ目のいいこと」の深堀をやったことで、
この禁術について改めて考察したくなっちゃいました。


そもそも、この禁術のおかげで
「羌瘣の寿命が半分になった」とよく言われ、そのせいで
「羌瘣に死亡フラグ立ってる」などと言われがちなのも後押しし、
特に「寿命半分」の言及には常々、すごく違和感を感じてた私でした。


実際、「悪いこと1つ」で羌象に
「寿命が縮んでしまった」(58巻156ページ)と言われた後、
「大幅に寿命を失ったけど、それで他の人間と同じくらいになった」
(62巻40ページ)とだけ結果が原作には記されていて、
寿命が本当に実際に半分になったと言う記述はどこにもなくないですか?。

そう言うわけであいも変わらず強引すぎな解釈についてはご了承ください。


考察:「寿命半分」の根拠はない


おそらく他の方の考えが引っ張られている原因は、
発動時に幽連が言っていた
「死んですぐなら術者の半分の寿命を使い・・・」(58巻122ページ)
の文言だと思います。

ただ、後に書かれている通り、そもそも禁術は

「蚩尤の奥義とは真逆のもので、誰も使えない」(58巻153ページ)

と羌象が述べており、
実際に成功した例は今までなかったのではないでしょうか。

だったら幽連は、何を根拠にこの発言をしたの?、
という疑問が生まれます。


私が「考察その4」で考察した、想定の禁術達成の条件ではありますが、
このキングダムの話の展開にすごく都合良いとしか思えない達成条件(笑)であり、いかに成功しない術なのかは想像に難くないです。

従って、羌瘣の禁術は
「初めての禁術成功例」である可能性がとても高い
と思っています。

それだからこそ、
成功した術者が結果的にどのような結末を迎えるかは、実は誰にも説明出来ないはずです。

ともあれ、順を追って内容を考察していきます。


まず「第一の門」の前の天地の間の門戸に現れた幽連。

121ページで羌瘣が、現れた幽連に対し「姿は幽連だけど、気配が全く違う」と言っており、幽連の姿を借りた何者か分からない全く別の者が、
禁術の説明と導きを行う真実を告げる使者として
やってきたような描写です。

ただし羌瘣は、幽連ときちんと対面したことがあるのが果たし合いの時、
すなわち幽連が蚩尤となった時だけだと思います。

この後、この幽連は口悪く禁術を進めるための命をもらうことの
説明をしつつ、ともすると、
羌瘣に禁術中止を選ぶアテンドをしているような行動(後述で説明予定)
を取っていきます。

そして、羌瘣が命を全部使っても助けに行くと伝えた後、
126ページで幽連の目がアップになり、何か思い直してから、
「バカめ、そのまま死んでこい」と送り出してます。

幽連も唯一の大切なものを失った悲しさを一応分かっている立場です。
もしかすると羌瘣に同情する気持ちを持ったのかもしれません。

「優しい(哀れむ)気持ち」を持った幽連と羌瘣が対峙するのは
初めて
だとすると、羌瘣が「気配が(自分が知っている幽連とは)
全く違う」
と思ったことも誤りにはなりません。

そう言うわけでこの姿は、
優しさを含んだ気を持つ本物の幽連として考察を進めます。
・・・その方が都合いいんで。。。笑


幽連が説明を始めた、禁術を進めるため
「寿命をいくつかもらう」(121ページ)と言及しました。

「命を使わないと発動しない」(122ページ)こと自体は
信憑性があるでしょう。

すぐに羌象が現れ、
「お前の寿命を減らさなければあの男は救えない」(122ページ)
と同様のことを言ってますが、
羌象の気がどんなものかは羌瘣が言わずもがなよく知っており、
疑いもせずこの羌象は本物だと認めているため、
そんな本物の羌象が羌瘣のために言うことは確実に本当のことでしょう。


その上で、今度は使用する「寿命の量」について、
案内人の幽連が明確に「お前が決めろ」(121ページ)と言っており、
本人が良ければ別にここで1年とか5年とか、
具体的な数字でも別にいいわけです。

あくまでも使用する命の量は
「術者本人が言及する量だけ」が根拠
になります。


問題は、その後からです。

「死んですぐなら 術者の半分の寿命を使い 二つに一つで生き返る」
(58巻122ページ)

と幽連は言いましたが、
この言葉から途端に彼女の言うことの信憑性が怪しくなっていきます。


もっとも、その直後の「術者が寿命半分失う」(123ページ)については
根拠はあると思います。

禁術の「成功例は今までない」ことは言及されたと先ほど述べましたが、
「失敗した例」はあったともなかったとも原作では描かれていません。


ここで幽連が、どれだけ流動的に選んでもいいはずの寿命の量を
「半分の寿命を使い・・・」と、
わざわざ「半分使った」事例を言ってきたと言うことは、
多分達成条件には程遠く成功する見込みなしな、
それこそ間抜けな術者が過去にいて、
その失敗例のエビデンスがあったのでしょう。

実際に半分寿命を使って術を発動したものの、術者が沼に足を取られて
そのまま動けなくなったかで、寿命が半分削れた時点で術から目覚めた。
当然術をかけられた人の記憶を呼び戻す手伝いなんて出来ず、
生き返らすことなんて出来なかった。

・・・以前の禁術発動はそんな感じだったのかもしれません。


幽連は自分が知っているその失敗の一例を、
禁術の発動条件そのものとして話を進めている
可能性が高いです。


さらに、その知ったかぶりな事例を、
具体的に数字を絡めた説明にしてしまっているのがとてもタチ悪いです。

最初に「二つに一つで生き返る」と言い、
生きる可能性があるように言及した直後、まんま対比的に
「二つに一つは失敗しておっ死んで」(123ページ)と言ってるものだから、
「信が生きるか死ぬか」のために禁術を発動した羌瘣は、
「生」か「死」かが二分の一の確率、と捉えてしまうでしょう。


ただ何度も言いますが、今まで成功した事例はなく、もちろん
本当に2回やったら1回は生き返ることを証明するエビデンスはないのです。


「死んですぐなら 術者の半分の寿命を使い 二つに一つで生き返る」

この発言は、

「(以前あった事例のように)死んですぐなら
 (その時と同じように)術者の半分の寿命を使い、
 (術の成功か失敗の)二つに(成功だった場合の)一つで
 生き返る(こともあるかもしれない)」


と言っているにすぎません。


わざわざその後、「二つに一つは失敗しておっ死んで」も、
「失敗して」「おっ死んで」、似たようなことを続けて言葉にしているのは
それぞれ意味が違うからで
「術者が成功or失敗2つのうちの失敗だった」から
「術をかけられた人が死んだ」なだけです。


その後、信を救い出せる可能性も「十に一つくらいだろうな」と、
またまた「十」なんて具体的な数字を出してくれてしまい、
更なる混乱を招きます。

これが、『くらい』『だろうな』と、
ちょっとぼかした表現で断定的に言えていないのは、
正直なところこれも確証がないからでしょう。

「十」の母集団こそ根拠が全くなくて(想像もつきません…)、
間の世界の奥まで命を吸う沼を歩いて追い付かないと
いけないことを考慮し、
先の失敗例と同じだけの命の量を使った場合の比較で、
遥かにハードルが高いと言うことの表現なんだと思います。


こんな、いかにも
「失敗の確率は(紛らわしい表現の)数字に現れてる?とおり、
果てしなく大きいぞ」
「だからお前も失敗するに違いないぞ」
的な、こんな言い聞かせ方。

やっぱり幽連は、暗に羌瘣に「禁術をやめる」よう誘導していますよね。


幽連のこの数字の確率そのものは、羌象はもちろん知らない知識です。
ですが禁術をやめさせることについては同意であり、
幽連のこの発言に対しては肯定も否定もせず、
ただ命を削る行為をやめさせる説得だけをひたすら続けます。


もっとも。
羌瘣にはこの数字を使った説明が、
危ういことへの気づきとして見事に刺さりました。

「10分の1くらいの確率というくらい、生き返らせるのは
難しいことなんだろう」と気づいたまでは2人の思うがままでしたが、
そこからは2人の思惑とは逆の、
「禁術をやめるなんてとんでもない」と言うベクトルに思考が向かいます。


それどころか、さらに、
「命半分どころじゃない、信を助けるにはもっと命を使わなきゃ
 いけないんだ」
と言う気持ちがここで湧き上がり、
結局、羌瘣の選んだ命の量は


・・・「全部」


少しでも確率を上げるため、羌瘣が選べる最大限の命の量を選択します。


そう、結局最後まで、
羌瘣の口からは「半分」なんて一言も言ってないんです。
この時点で「半分寿命を失う」可能性は消えました。


まとめ

この後、じゃ具体的に実際はどのくらい減ったのか、とか、
どうやって寿命が削れたのか、とかまでも言及する予定でしたが、
一旦ここで切ることにします。


続きは以下にアップしましたので引き続きよろしければご覧ください。


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