キングダム考察59巻 蒙恬のイメチェンの意味には彼の恋愛事情も含まれていた
【考察その38】
今更ながら、今回は主要キャラの一人である蒙恬についての考察です。
最近の活動はもっぱらお絵描きが主体になっている自分ですが
蒙恬が関連した画がたまたま連続し、彼の表情をトレースしまくった中
計らずして彼の想いを深く考察してしまったことがきっかけでした。
イラストを描いている時は別路線の思慮(家族に関する想い)が
中心でしたが、複数の単行本を行き来する中、
中心に読んでいた62巻でとあるシーンを何気に掘ったところ、
彼の恋愛観への気づきが降りてきてしまいました。
今回はもう相当おかしな読み方をしている自覚を持ってます。
読んでいただく前から、絶対間違っていることに自信を持っています(笑)。
以前書いたカン・サロに関する
無理矢理恋愛観記事公開時も相当ビクビクしましたが
今回のビクビク度合いはその比じゃないです。
人気トップクラスのキャラに対する冒涜かもしれない、
書きながら、言語化しない方がいい、引き返せ、と
何度も何度も思い直しました。
ただ、一応腹落ち出来る文章にはなっていると信じ、
勇気を出して公開します。
今回こそは自分の妄想でしかないはずです。
どうか、決して本気で読まないでください。
蒙恬ガチ勢の皆様は読まないことを強くお勧めします。
そうでない皆様においてもこの考察のせいで、
蒙恬を嫌いにならないでくださることを強く願います。
考察:気になった伏線・王賁の妻の彩華
蒙恬が王賁の子供誕生を信に伝え、信が悔し紛れの悪態をついた後、
蒙恬は自分が知っていた王賁の奥さんについてを
信を宥めるために説明していました。
この「二回」の内訳が妙に気に掛かったのが
この考察を考えだしたきっかけでした。
実は初見から結構気に掛かってました(笑)が
当然本編に全然関係ないのでもちろん当時から今まで流してました。
蒙恬は名家の生まれで、王賁も同じであり、
おそらく二人は咸陽に住んでいると思います。
(原作では匂わせ程度で明記はしてない記憶です。)
そうならば、首都の咸陽といえども所詮一都市、
名家のお坊ちゃんが行くような場所は結構限られており、
日常的にすれ違うこともまーそこそこあるんだと思います。
で、蒙恬が王賁の妻・彩華に会ったと言う2回とも、
仮に王賁が同伴しているところに偶然すれ違っただけ、
なのかもしれませんが、その割には、
と人格までしっかり褒めてました。
後半の「かわいい」だけならば、
すれ違っただけの間柄でも褒め言葉としての違和感はないでしょう。
でも前半の「柔軟で優しくて明るい」と言う性格についての
褒め言葉が言えると言うことは、
彼らが実際に会話を交わしたことがある証なのでしょう。
無骨な王賁に代わり、蒙恬の挨拶などに
明るく色んな言葉を補って対応してくれたのかもしれません。
一方ここで注目したのは、
蒙恬、この褒めている説明の中で彼女を
「彩華」
と呼び捨てにしていたことでした。
これは個人的に、蒙恬が彩華さんと
直接フランクに話せる間柄であることを表していると思いました。
単に友人の彼女や奥さん、と言う位置付けで、
二人だけで会う理由はない間柄だったら
友人側へ配慮が働き「ちゃん付け」「さん付け」しません?、
会った回数2回ですよ?、すれ違っただけならばほぼ他人ですよ??。
ここで考えられるのは、2回のうち少なくとも1回は、
蒙恬と彩華さんは意識的にしっかりフランクに話す時間を取って
会ったことがあると言うことじゃないでしょうか。
ともすると実は、蒙恬が彩華のことを王賁の許嫁と知る前に
ナンパしたか何か(笑)で遊んだのを「会ったことがある」1回に
カウントしているかもしれません。
ここでムクムクと自分の中の原作ストーリーガチ勢もが
反論し出してました(笑)。
「・・・いやいや、そんなとんでもない!、
残りの1回は、実は王賁が自ら許嫁を蒙恬に紹介して
そのままダブルデート(笑)みたいなことをして、それで
二人がしっかり話す機会を持てたのでは??」
・・・まぁ、その可能性の方がむしろ自然な考察でしょう。
ただ、王賁の性格的なことを加味して考えました。
それほど仲良いわけではない間柄である蒙恬に対し、
自分の大切な彼女(許嫁)を紹介するまではともかく、
その流れで仲良く蒙恬と彼女が呼び捨てで呼び合うくらいまで
しっかり会話が出来るダブルデートを王賁が許すとは
考えづらいと思ってます。
よって今回自分はその可能性を除外することにしました。
話を戻します。
そうではない可能性の別の一例として、
出会う前から蒙恬が「彩華のことを知っていた」可能性も、
ありえると思っています。
王賁が見染めるくらいなので
きっと彩華は咸陽でも名家中の名家のお嬢様なのでしょう。
だから実際に会ったことはなくてもお互いは知り合いだった前提で、
美人にめざとい意味でも(笑)、蒙恬が性格的なことの
事前情報を得られていたとしても不思議ではありません。
もしそうならば、すれ違いレベルの出会いだとしても、
会った瞬間からお互い知り合いみたいな空気が持てるでしょうし、
それならば言葉を多く交さずとも事前情報の「答え合わせ」ができれば
よかった状態だったのかもしれません。
そう言えば、「2回会ったことある」と言う前に
と蒙恬は言ってました。
信にとっては恋愛なんかしている素振りを全く見せない堅物が
結婚できたカラクリ(笑)について知りたいだろうなぁと
蒙恬が気遣って教えてくれたと言う位置付けでしょう。
ただ、ここも仮に「王賁の」結婚相手としての目線ならば
「許嫁だったみたいだよ」とかと推測の言葉になる方がある意味自然です。
ここは、蒙恬にはすでに「自分と彩華」の個人的関係があったので
それに基づいた関係整理の意味合いのほうが強そうです。
すなわち、
「彩華」と言う存在は(どんな形であれ)元々知っていたが
王賁の許嫁は自分が彩華の存在を知る「前から」決まってたと
後から分かったと言う意味に捉えることが出来るでしょう。
以上、まとめますと、「2回会った」内訳のうち、
少なくとも1回については
・彩華と蒙恬は王賁の許嫁と知る前に個人的に話をする機会があった
または
・元から知り合いだったところで会話をある程度交わす機会があった
のどちらかという可能性が高いと思います。
考察:ビジュアルチェンジのタイミング
結局一言で言うならば、
前項の考察は、2回のうちの1回がどちらのシチュエーションだとしても
「蒙恬と彩華は王賁の許嫁と言うことを差し引いても知り合いだった」
と言うことです。
蒙恬がモテモテであることは60巻おまけ漫画で公式に
作者様が描いてくださって(224ページ)ました(笑)が
そうでなくても数々のエピソードを原作内でいくつも拾える、
読者にとっては既知のことだと思っています。
蒙恬はいわゆる「女には困らない」状態でしたが、
そんな彼は彩華が「王賁の許嫁」と知った時、もしかして
「逃がした魚は大きかった」と言う心境になったのではないでしょうか。
美人で可愛い知り合いの子が王賁のモノになった時、
「王賁」をライバルとして見た場合に
「奴には男の魅力としても負けたくなかった」
「俺に惹かれなかった女が奴に惚れるのが許せなかった」
という心理になるのは
モテ男を自覚している蒙恬にはありえる話だと思います。
(彼らが結婚する過程は恋愛が先というわけではないはずで、
蒙恬の心の声の具体的事例的には正確ではなさそうですけどね笑)
そしてもしかすると、本命の彼女としてではないかもしれませんが
彩華を付き合う異性として意識したことも、
実は蒙恬に以前あったのかもしれません。
(前項の「ナンパ説」がまさにそれですね笑。)
で、実際、その可能性はかなり高いんじゃないかと、私は考えてます。
■理由1
蒙恬の彩華の紹介の後、信が
と訪ねた時、蒙恬は
「いるよ」
と嘘をまるで用意していたかのように即答しました。
これは多分9割くらいは
信の取り乱し方が面白くて揶揄った(笑)んだろうと思います。
ただここで蒙恬は嘘を明かすときに
と戯けます。
仮に、とっとと「いないよ」と答えれば
信的にはめでたしめでたし(?)となりそこで会話は終了です。
この件でツッコミを欠かさないだろう胡漸副長を
先の朱海平原の戦いで失っていましたし。
蒙恬はこの件で自分に話が及んだ場合、
「ふざけたい」心境だったのではないでしょうか。
彩華(と王賁)との過去のしがらみを笑い飛ばしたい、
自分は「一人に縛られるのは勘弁」だと言霊で再定義したい、
そんな気持ちがあった可能性もあったのではないでしょうか。
■理由2
蒙恬は王賁と同様に咸陽に住んでいることを前提にしています。
で、王賁は名門王家の嫡子であり、彩華も名家の出身だとすると
その二人の結婚はきっと咸陽でもそこそこのニュースになると想像します。
蒙恬は62巻で信に王賁の子供誕生話をした際、
59巻の鄴への再出陣時については
「玉鳳が1日遅れていたのは実は祝儀だったから」(62巻121ページ)と
いかにも後から知ったように話していますが
そんな咸陽の大きなニュースをリアルタイムで知らない、
などとは情報網が半端ないはずの武家の嫡子としては
結構無理があるのではないでしょうか。
実は「事前に知っていた」けど、
実際の鄴への再出陣時(59巻154ページ)では
あえて信には黙っていたのではないでしょうか。
この「鄴への再出陣時」は、
まさにビジュアルチェンジした蒙恬の初お目見え時です。
このビジュアルチェンジ、
将軍になった蒙恬の大人としてのイメチェンかな?、と
当初は思ってました。
ただ、蒙恬だけそのようにして、
信も王賁も大きく変更しなかったのはなんでだろうとは思ってました。
蒙恬のデザインで時間をかけすぎ、彼のデザインが完了したところで
タイムリミットだったのかな?、とかと余計すぎる気を利かせて
飲み込んでました(笑)。
このイメチェンの本人としての意味は、
蒙恬自体が「過去の気分を一新したい」現れなのは確かでしょう。
将軍昇格と言う節目はもちろんであり、
心の支えであった胡漸副長を失ったことが大きかったことも
想像に難くありません。
で、その一新したかった気持ちの中にはどさくさに紛れて、
もしかすると失恋に似た感情もあったのかもしれません。
「王賁の祝儀」を、蒙恬は渦中の「鄴への再出陣」時点では
まだ冷静に口に出せる自信がなかったのではないでしょうか。
きっとそのことを信に言うと、62巻のような反応をする想像は容易であり、
その際に彩華の説明を、62巻のように
うまく言える自信がなかったのかもしれません。
「鄴への再出陣」(59巻)から「平陽攻め」(62巻)の間、
蒙恬が自分の想いを昇華する過程で、意識的ではないかもしれませんが、
過去の自分の恋愛観を心の奥底へ封じ込めたのかもしれません。
読者的な視点では、
チェンジした方向性の違和感の方が大きかったかもしれません。
蒙恬は「色気のあるお坊ちゃん」から「かわいいお兄ちゃん」になった、
そんな印象を持ちました。
そう、蒙恬は昔の方が結構大人っぽかった、
と思ってたのは自分だけでしょうか?。
最新話に近い(現在73巻まで発刊済み、本誌韓滅亡編進行中)ところでは
また再び色っぽく描いていただけてますが笑。
明らかにこのイメチェン後、「男色」を蒙恬に意識できるようになりました。
入れ替わりで副長におさまった愛閃の、
楽華への移籍理由や蒙恬に接する態度はもとより、
蒙恬の指揮する背後でモブ兵どもが頬を染めているような描写も
描かれるようになりました。
一方で、蒙恬が女性にモテる描写は、
イメチェン後の姿で原作では描かれていません。
60巻おまけ漫画の多くの女性に愛想を振り撒く蒙恬の姿は、
何気にイメチェン前の姿だったりします。
このことを約束した胡漸副長はすでに他界し、
嫡子でありながらも「子供を成す」と言うことは
蒙恬個人にとってもう必須ではないのかもしれません。
商業誌で人気のあるキャラなので、
大人の事情ではっきりと男色と描かれることはないかもしれません。
でももしかすると、蒙恬が女性の伴侶を得たり、
実子をもうけるシーンはこの先描かれない覚悟はした方がいいと
個人的には考えています。
最後に
ついに書いてしまった、と言う心境でカツカツです。
それでも今回このような昼ドラみたいな記事作成をしたのは、
「もし本当にそうだった場合」、蒙恬はきっと墓場まで
その胸につかえた思いを持ち続けるだろうと思ったからです。
三煌剣の中で蒙恬は、親兄弟を知らずに育った信や
一人っ子のお坊ちゃんとして育った王賁と比べ、
胡漸ジィに甘やかされて育ったとはいえ、
色んな意味で三人の中では一番大人だし、
結局「お兄ちゃん」なんですよね。
恋愛は、成就すると美しいものかもしれないですが
そうでない場合はドロドロした醜い、
人の本能の闇を感じさせるものになり得ます。
また、大人になると人に言うのを憚れることの
一つや二つは誰でもあるものだと思います。
蒙恬のように飄々と生きているように見える人こそ、
実はそんなドロっとした感情を浄化することができず
溜め込みながら生きているのではないかと
余計な心配をしてしまいました。
もちろん「そうではない」ことは読者として
一番望ましいことに決まっています。
でも、もし万が一、蒙恬が誰にも打ち明けることなく、
浄化できない思いを抱えて続けていたとしたら。
「一人でよく頑張ったね、黙っているのは辛かったよね」と、
心の中で言ってあげることで、彼の気持ちの供養が出来るかもしれない。
勝手にそう思い、今回の記事の公開を決断することが出来ました。
重ねて言いますが、
こんな考察あたらないで欲しいと言う気持ちが、大前提です。
もしもの世界の中で起こった出来事だった、
そんなふうに捉えていただくことを強く望みます。
今回最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。