キングダム考察 45巻 那貴の飛信隊黒羊戦後の移籍は桓騎への恩を超える自分の欲を自覚した行動だった
【考察その29】
アニメ5期(黒羊戦)、桓騎死後の桓騎軍メインのシリーズだったのもあり
大変な盛り上がりを感じさせていただきました。
これを機に自分もその勢いに乗って、
信の気持ちの深堀だったり、
「武人面」としての信と羌瘣のつながりの深堀記事を
いくつか書いた次第でした。
で、記事を書きながら、黒羊戦での二人の成長には
桓騎軍本陣での尾平との確執シーンがキモだと気がつきまして。
上記の記事のためそこの深堀をゴリゴリやっている中、
なんで桓騎は「信と羌瘣、この二人の成長に必要な茶番を、
面倒くさそうなのを押して繰り広げたんだろ?」と言う疑問が
私の中に湧き起こりました。
そんな動機で「桓騎」の深堀に足を突っ込んだわけですが。
桓騎と信(飛信隊)の接点は原作内では本当に描写が少なくて。
二人の接点は冗談ではなく「伝令のおっさん」馬印か、と思えるくらい(笑)。
そこで行間を読む役として、二人の間に同じくらい密接に関わっていた
「那貴」を掘ろうと言う流れになりました。
と言うわけで、今回の記事は、
黒羊戦周りの桓騎軍についての考察の中から、
那貴移籍に関して取り上げました。
本当は黒羊戦つながりで上記の疑問
(桓騎が黒羊戦本陣で飛信隊の揉め事を起こした理由)考察と
一緒の記事にする予定でしたが、
全然違う内容になる感じだったので(そりゃそうか笑)
独立して記事にしました。
そこそこボリューム出てしまったので分けてよかったです。
(いつもの)
そう言うことで早速進めたいと思います。
考察:那貴と桓騎たちの立ち位置
桓騎軍の幹部として黒羊戦最初からお目見えしていた、那貴。
と言うものの、黒羊戦では入替要員として
実質ずっと飛信隊に同行していたテイであり、
実際に桓騎軍として何かしていた描写は、
時々挟まれていた過去の回想シーン以外には
69巻の退場時まで一度も原作で描かれることはありませんでした。
桓騎や幹部たちとの在籍時の関係性は、想像に留まります。
飛信隊への移籍のタイミングで、雷土らからは袋叩きに遭い、
脱退後も顔をみせるだけで黒桜からは邪険に扱われる
(64巻197〜199ページ)一方で、
厘玉と摩論はそれはそれ、これはこれで、
普通に話を交わすことが出来る間柄を保っていたようでした。
雷土や黒桜の邪険な態度も、移籍することが許せない気持ちは、
実質「離れるのが嫌だった」裏返しでもあるのでしょう。
(で、いいよね解釈笑)
桓騎軍を脱退する時、桓騎にその理由を問われた際に那貴は
と言っており、つまり桓騎に対しても
日常的に「気まぐれ」なことを言える仲であったと言うことでしょう。
以上から、桓騎に対しても、その他の幹部に対しても、
そこそこ友交的な仲であったと伺えます。
考察:桓騎軍の中での那貴の役割
那貴登場時、最初に彼が見せた「役割」は、
自らの「隊の入れ替え」桓騎軍側の要員でした。
これ、当初すごく歪に感じました。
飛信隊から出した要員が「尾平」で、
彼確か黒羊戦時には多分什長くらいだったと思うのですけど、
一方桓騎軍側からは「千人将」を代わりによこし、
しかも「端で静かにしている」(41巻104ページ)などと
「千人将の戦力をそのまま遊ばせる」なんて、
なんて桓騎軍は余剰の力があるんだと感心してしまいました。
冷静に考えると「そんなわけはない」はずなのは分かるのですが(笑)。
「うち(桓騎軍)じゃいつもやっている」(103ページ)
隊の入れ替えにおいて、那貴の説明がスムーズであることは、
この説明をすることが付け焼き刃ではないのでしょう。
おそらく那貴にとってもこの入替要員は初めてではなく、
むしろこれが那貴の定型的ポジションであったのではと思います。
那貴が続けて
「本陣に(桓騎の)意図がわかる者が入らないと連携が取れない」
と言っているのは、過去に那貴以外の人員に任せたか、
それとも入れ替え自体をやっていなかったかによって
友軍と連携できない事態が発生したことで、
桓騎軍が被害を被ったことがあったのかもしれません。
そしてこの言葉は、那貴が桓騎の意図を正確に理解していることを
桓騎が認めている証でもあるのでしょう。
那貴の桓騎軍以外の軍人たちと円滑にコミュニケーションが取れる人柄も、
そのポジションに相応しいものである裏付けだと思います。
一方で、那貴が今回のように他隊との入替要員の必要がない時、
どのような役割だったかというと、
黒羊戦で、那貴一家の一要員である呂敏が
「俺達はすり抜け専門」「しかもたった五騎」(44巻16ページ)
と明かしている通り、
一応「千人将」であるものの、通常は数名の「那貴一家」を引き連れて、
敵に対する揺動を目的としたすり抜け部隊を担当していたようです。
宜安戦の前、赤麗城に向かう時に飛信隊の斥候を
那貴一家が先導しているような描写もありました。
並走していた桓騎軍の斥候に対して「なってませんねあんな所を」と
ここでも呂敏が呟いた瞬間に伏兵に討たれたところを
目撃することになった(65巻216ページ)ように、
那貴一家は斥候の手腕も一定レベルで持っており、
その実績も桓騎軍でそれなりに積み重ねていたと言うことなんでしょう。
そして、朱海平原の戦い1日目にて、
王翦の命令で飛信隊から騎馬最速800騎の選抜をされた際、
那貴や一家のメンバーは選定されているようで、
攻撃しながら突進する信と並んで騎馬の先頭を預かるくらい
(49巻81ページ)、彼らの騎馬に対する腕も確かなようです。
一方、剣については、那貴本人は黒羊戦時、
エリートと思わしき慶舎の護衛騎馬兵の槍の攻撃の前に
致命傷を与える剣撃を行える剣の腕を持っているようですが
(44巻15ページ)、
その他のメンバーはついてくることがやっとであるような描写でした。
また那貴は剣や騎馬の腕も去ることながら、
腕っぷしについてもかなり剛腕で、
雷土一家で尾平をボコボコにのした岩迅を一撃で倒していました。
(177ページ)
もしかして那貴自身が
「俺がキレたら雷土よりもおっかねぇぞ」(178ページ)
と言っていることから、
那貴は雷土とガチな喧嘩を過去に行ったことがあったのかもしれません。
以上のように、那貴自身の総合的な「武将」としての手腕は、
桓騎軍の「幹部」に居させてもらえているのもその現れで、
幹部たちも一目おく存在であることは想像できます。
でも、そんな武将としての特性を持ちながら、
那貴は実際は千人もの軍隊を率いることはなく、
数でも剣の腕も桓騎軍の武力には足らない「一家」を携え、
戦局に直接関わらない「すり抜け」と言う超脇役的なポジションで、
那貴自身も武力として桓騎軍に大きく貢献することはなく、
その力を持て余していたような状況だったのでしょう。
当然、戦果を挙げられるようなポジションではないので、
周りの幹部と比べても「武将」として出世することなく
「千人将」に留まっているのだと思います。
力のある那貴が、微力の一家を率いる形で
「桓騎軍」に居場所を与える役割をしている。
いわゆるこの状態、那貴一家は
「桓騎一家のマイクロサイズ」のようなイメージなのでしょう。
桓騎はもしかすると、那貴が持っている自分との共通点を、
無意識にも人ごととは思わず、
現在のポジションに甘んじている那貴のその存在と位置付けを認め、
幹部としてそばに置いていたのだと思います。
那貴も、自分と同じような立場で大きな力を持った桓騎に対し、
憧れや尊敬を長いこと抱いていたのでしょう。
だから長い間、「桓騎」自身の出自への興味が誰よりも強かった
のだと思います。
桓騎軍にいた時の「表向きの在籍動機」は、
直接は戦果への功績に関われない自分達を、
幹部クラスの一家として扱っていてくれた恩が
最も大きかったのだと思います。
考察:那貴が飛信隊に移籍した理由
那貴は黒羊戦で、瀕死の尾平を飛信隊に送り届けた後、
その後の信と尾平の天幕での会話を聞く場には描かれておらず、
実際も不在で話は聞いてはいなかったでしょう。
そもそも飛信隊には黒羊戦しか携わっておらず、
今までの軋轢など分かっているわけではないので、
その会話を聞いていたとしても大きく心動かされるものはないと思います。
一方、暴行される前の尾平が叫んでいた「信への思い」
(44巻171〜174ページ)はもしかすると聞いていたかもしれません。
那貴は黒羊1日目夜、圧倒的劣勢の状況の中、伝者の馬印に
と啖呵を切った信を見て思うところがあったのか、
「端で静かにしている」(41巻104ページ)宣言を早々と覆し、
「隊長が啖呵を切るのはいい」と、
自分の信に対する「武将」としての評価を口にしました。
この時から那貴の中で
「信は自分の思い描く武将なのかもしれない」
と言う気持ちが少しづつ湧き始め、
4日目の慶舎襲撃時、それは確信に変わったのかもしれません。
この時那貴は「力の差がありすぎる」(43巻204ページ)と
自身が見ていた慶舎の防御陣を、
信が一人で鬼神の如く敵に突進する姿を驚きを持って注視し
(208・209ページ)、
「大将軍(王騎)」を慶舎に語る言葉を余すことなく聞き入っており
(210ページ)、
それらは那貴にとって、思わず一家を引き連れ慶舎の足止めに向かう
と言う行動を起こさせるほど、心が揺さぶられるものでした。
これは慶舎が
「(自分と直接戦うのに)来るのは5年早かったな、飛信隊」
(43巻205ページ)と言ったことに対して、
少し前まで飛信隊の「外で見ていた者」として、
その否定の言葉を慶舎に言いたくて起こした行動だったのかもしれません。
実際に自分が感じられた信の人柄と尾平の言葉を重ねることで、
信を自分がついていける将と確信出来たのはありえると思います。
(それだと尾平が瀕死になるまでリンチを黙って見ていたと
いうことなので、ひどいなぁとは思いますが笑。)
那貴は黒羊戦終焉後、河了貂に協力して戦の全容調査にも関わってます。
(45巻38ページ)
その際の河了貂の分析は「桓騎の意図がわかる」那貴から見ても
正確な桓騎軍の全容を示しており、
それを私情に流されることなく受け止める隊の度量の大きさにも、
感服したのかもしれません。
ただ、「隊」や「隊長」の魅力に絆されたのは背中を押したものにすぎず、
むしろ後付けの理由だと思います。
「移籍」の動機で一番大きいのは
那貴自身の生き様に対する「深層心理への響き」ではないでしょうか。
今回那貴は桓騎と仲違いをしたわけではなく、
むしろ桓騎を尊敬している状態は変わってないはずです。
単なる「飛信隊への憧れ」なら外で見てるだけでいいわけです。
桓騎一家はどこかヤクザ的(爆)な集まりみたいな感じで、
一家から抜けることを「裏切り」
(64巻、93ページの馬印、197ページの黒桜のセリフより)
と表現しており、脱退する・移籍するために、
それなりの制裁にあう覚悟が絶対に必要なはずでしょう。
那貴は今回、飛信隊にとってかけがえのない偉業を成し遂げました。
信の慶舎(敵大将)襲撃と言う、
まさに戦局を揺るがす大一番と言う重要な局面で、
信を含めた隊が敵の防御壁に捕まって停留していた中、
その壁をすり抜け、敵大将が逃げる咄嗟の瞬間から、
隊長が追いつくまでの時間稼ぎを行いました。
一騎討ち中も、呂敏が「右からの援軍が来る」と直接隊長に報告し
(44巻35ページ)、
実際に那貴の助言(37ページ)から退路の確保に呂敏が動き、
隊の脱出体制を整えることに貢献もしています。
そして那貴一家たち自身も、大将が敵大将を討ち取る瞬間を
間近で目にし、その時の空気を共有することができました。
もしかすると那貴は
「隊長に続く、隊のメンバーらも恐ろしく力を発揮する」
ことの目の当たりや、自分たち自身が
「勝利の瞬間を皆と共有する」、そして「直接の武功に携わる」、
それらが全て今回が初体験だったのではないでしょうか。
那貴が移籍の理由として挙げた
は、実際に飛信隊を抜ける直前、河了貂に向けて
と言っており、河了貂の料理が「食事のうまさ」として
那貴の舌に合うものだったのも確かではあるでしょう。
ですがここの意味はそうではなく、
「満足いく仕事をした後の食事はうまい」と言う意味で、
「自分たちが満足いく仕事ができる環境が飛信隊にはあった」
と那貴は言いたかったのだと思います。
今回のように、
同じ秦軍の中だったら、戦場を共にする機会もまだこの先は多いだろうし、
「家族」(まだこの頃は無意識か)である桓騎たちと顔を合わせる機会も
少なくはないだろう、会いたい時にはすぐ会える状況だろう、
そんな風に環境を見込んでいたのも前提だったのでしょう。
桓騎軍は「自分たち一家の居場所」であったけど、
自分は「やりがいのある仕事をしたい」と無意識に実は燻っていた、
でも大きな桓騎軍の中では、それは無謀な願いだった。
そんな時「飛信隊」には自分の「武将」としての居場所があった。
・・・
那貴にはずっと「武将」への憧れがあったのかもしれません。
今回はからずしてそのことを自覚したと同時に、
この機会を逃すともう自分が武将となることはないことを
悟ったのでしょう。
そのため、袋叩きに合う覚悟をしてでも
飛信隊への移籍を望んだのでしょう。
那貴が桓騎軍を抜ける意思を伝えた時、
桓騎に驚きの表情はありませんでした。(45巻56ページ)
「いいすよね、お頭」(57ページ)と那貴に念を押された際、
「・・・」と沈黙する桓騎は厳しい目ながら、
うっすら笑みを浮かべているように見えます。
桓騎は、黒羊1日目夜、
馬印に那貴が「腕(失敗の咎)の件を自分が預かる」
と言づてしたこと(42巻54ページ)や、
4日目夜、飛信隊が姿をくらまし、那貴が桓騎に
連絡をよこさないままそれに同行(あるいは一緒に討たれる)
している時点(44巻89ページ)で、
ある程度「このような想定」はできていたのかもしれません。
「理由だけ教えろ」(45巻57ページ)の桓騎の問いは、
一家の手前、ケジメはつけさせようと思ったからなのでしょう。
飛信隊で食べる飯がうまいから、と返す那貴の言葉を聞いた桓騎は、
厳しい視線から柔らかな目線に変わったように見えました(58ページ)。
桓騎は「自分の一家のミニチュアサイズ」の一家を背負っている那貴へは、
密かに自分の軍ではその力を発揮させられないだろうことを、
常に自覚していたと思います。
そして那貴の深層心理の「武将への憧れ」も
もしかすると見抜いていたのかもしれません。
そのため那貴を外の味方の軍と関わらせるポジションに常に置いたのは、
もしかするとこのように那貴が言い出すことをずっと願っていた
からなのではないでしょうか。
その確証はこの戦い以降、桓騎軍でこのような
「隊の入れ替え」をしている様子は描かれていないことです。
入替要員が那貴以外いなかったことの裏付けでもあるでしょう。
実際、平陽の戦いで桓騎軍の左翼として寄せ集められた
烏合の軍の統制が取れず壊滅状態に追い込み(62巻126ページ)、
その後左翼に玉鳳軍が呼ばれ(130ページ〜)、その際も桓騎軍からは
摩論の口八丁で王賁に命令を押し付けるだけに留まっています。
もちろん桓騎は、那貴を追い出したかったわけではなかったでしょう。
自分の力が発揮できる場所が見つかったと那貴が報告したことで桓騎は、
「居場所を見つけてくれた」
「成長して自分の手元を離れる決意をしてくれた」
親心みたいな安心感をもしかすると感じていたのかもしれません。
最後に
この記事は、上リンクの記事に書いた
那貴が飛信隊を離脱する話(69巻)の考察と同時並行で書いたものです。
そっち側の記事が本当、原作で涙した人は多いと思うのですが
(私も年一単行本購入ペースから週一本誌購入に
ジャンプアップしたのはこの周りの話でした(爆))
例の如く、そのシーンだったり、
「那貴が思っていたこと」を文書化するにあたり、
このNote開設以降一番、どうしようもなく辛くてたまらなく、
泣けて泣けて仕方なく、上リンクの記事作成が進まず、
こっちの記事が先に仕上がった次第です(苦笑)。
上記リンク記事は、今回の記事を前提として
那貴が飛信隊を離脱した理由はもちろん、
それが桓騎自身の「生き様」を語る上で重要な位置付けであることを
考察しています。
よろしければ続きの記事も是非読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。