キングダム考察 69巻 信と羌瘣の肥下の戦いハグシーンは22巻山陽戦との芸術的なオマージュ作品
【考察その6】
考察その1↓は、このnoteアカウントを作成したきっかけでしたが、
この記事はnoteで一番書きたいネタの記事です!!
この記事の内容を話題にしている人を見つけることが出来ず、
リアルでキングダム沼っていること言ってる人誰もいないし、
共有したくて仕方なかったんです。
このオマージュはすごく芸術的で私はキングダムはもうこれで
終了してもいいくらいの感動を覚えたくらいでした。
キングダムに恋愛描写いらないって人、多いと思うんですけど、
絵柄も恋愛向きじゃないし(失礼)、
本筋ドラマ自体がめちゃくちゃ熱いから言ってることは分かるんですけど、
この漫画、めちゃくちゃすごい恋愛に力入ってますよ!。
そう思い込むの絶対に勿体無いです!!。
いらないって思っている人にもこの記事は読んでいただきたいです。
(その割に全然広めようとしてない怠慢(苦笑)。拡散は歓迎です笑)
だって、こんなに作り込んでる恋愛シーンって稀ですよ!?
いわゆる一般的なラブラブ描写ってわけではなく、いやらしくもなく、
確かに大人の恋愛として現実的でないのは同意ですが、
その分創作された長編ドラマならではの表現であり。
後にも先にも同様の恋愛シーンは絶対に出ないと断言します!!
そんなわけで。
2つの場面は作中の時間的に約9年の隔たりがありますが、
その間に縮まった2人の距離がきちんと表現されてます。
いつもの強引な解釈のような流し読みではなく、
じっくりたっぷりご堪能いただきたいと思います。
(私の照れから書いている適当なツッコミは流してください笑。)
ただ、この記事を書いている最中に気がついてしまった
このシーンに絡む「信と羌瘣に関する伏線」も合わせて書いているうちに
めっちゃくちゃ長い記事になっちゃったことをご了承ください。
(これでもなるべく削りました爆。。。)
この記事は性質上、2つの話の場面を明確に比較したいため、
今回に限りコミックスからのコピーライトを
使わせていただきながら進めます。
問題がある場所がありましたらご指摘いただければ幸いです。
1:22巻と69巻のカットシーンによるオマージュ
まずはそれぞれの入りから出までの全10カットのオマージュご紹介です。
見事なリンクを一つづつ堪能いただきたいと思います。
<カット1>
信が全然ふざけてない羌瘣の虚像に文句を垂れながら呼びかける
これは2シーン、それぞれ「無事でない」「追いついてこない」ことへ
「ふざけんな」と文句を垂れてます。
注目点はそれぞれ、信の思い浮かべている羌瘣の姿です。
山陽戦は、その前のページ(22巻81ページ)から信は、
羌瘣が信に仇討ちのため旅立つ決心を述べるシーンを思い浮かべながら
羌瘣を探しているシーンだったはずなのですが、
このカットは羌瘣が正面から向き合って話している目線になっており、
実際の画角とは異なってます。
余力のある方は見て欲しいのですが、原作19巻136ページ、
実際は座っている信に立っている羌瘣が見下ろしながら述べています。
つまりここは、以前の場面の思い出しではなく、以前の言葉の記憶を借りた
全くオリジナルの羌瘣の像を信が思い浮かべているシーンだったのです。
これを単独で読んでいる時は、単に作者様に余力があったから(笑)
回想シーンなのにわざわざ可愛く描き直したのかな、程度にしか
思ってませんでしたが(つか全く気にせず読み流してた)、
・・・なんと言うことでしょう、
実は後(肥下戦)で同じような想像をする布石だったんですね!
そして肥下戦では、羌瘣がちょっと困ったようにはにかんだ表情を。
これは山陽戦よりも、虚像だと分かりやすかったですね。
多分別れる直前・・・なんでしょうが、殿として見送る際の羌瘣は
69巻55ページ、那貴離別のシーンと重なっており、
微笑むことはもちろん信と向き合うこともありませんでした。
どうして信は2シーンとも、実際の場面の回想ではなく、
虚像の羌瘣を思い浮かべていたのでしょう?。
あと、これは私の都合のいい解釈っぽいかもですが、
2シーンの羌瘣の表情、なんとなく似てません?。
今はとりあえず、置いておきましょうかね。
ところで私、肥下戦の信のこの
「ふざけんじゃねぇぞ羌瘣」の一言、ここで「ん?」と違和感を覚え、
このオマージュの可能性に気がつきました。
山陽戦で信が無茶をした羌瘣に対して怒るのはなんとなく分かるのですが、
ここでは信が羌瘣に対して怒る理由はないですもん。
多分この前のカットで「お前たちもなんてバカな話あるか」とあるから、
追いついてきていない事実に対する怒りなのかなとは想像するのですが、
それでも「羌瘣」個人に対して「ふざけんな」はひどくない?。
その前に思っていた桓騎や那貴には怒りを向けてないのに、
突然、全然悪くない個人宛の怒りになるのは流れ的におかしい。
・・・そうかこれは「オマージュに気がついてほしい」と言う作者様の
計らいだったのか(ニヤリ)。
<カット2>出会う直前に思っていたこと
(=再会前、信が羌瘣に対して一番言いたい言葉)
信が羌瘣を特別な存在として意識していたか否かの違いもあるかもですが、
少なくとも山陽戦のこの状況は、予備隊をボロボロ隊員だけで構成して
羌瘣を置いてきた信の落ち度が先にあり、
そもそも羌瘣を予備隊としたのは、
怪我を負っていた羌瘣を戦わせたくなかったからだったはずです。
と別れ際に言い、暗に「お前は戦うな」と伝えているかのようでした。
この時信は、信の羌瘣に対する
・自分の配備ミスで危機に晒してしまった後悔
・戦うなと伝えてたのにそれを聞いてくれなかった苛立ち
・この戦の後、前に進むための旅立ちに行かせたい焦り
と言うさまざまな気持ちから湧き上がった、
どうしようもない悔しさ・悲しさ・腹立たしさが抑えられず、
そのまま気持ちの発生源の羌瘣に対して怒りとしてぶつけて
処理をしようとしています。
一方肥下戦は、状況的には山陽戦よりもむしろ多くを無くした直後であり、
羌瘣以外にもっと感じるべき色んな悲しさが渦巻いているはずの中、
それでも信の中で一番明確に「羌瘣を失いたくない」と思っていることを
自身で理解できています。
【2人の距離が縮まった証その1】
具体的に、信が羌瘣を特別な存在と思った時についての考察は
別記事↓にしてみましたので、よろしければお読みください。
(表題ですでにネタバレしておりますが笑)
<カット3>遠目で羌瘣(たち)を発見する
繋ぎの場面。
山陽戦は正確には前カット直後に「はっ」と発見と思わしきカットが
あるのですが、比較の意味でこっちのカットの方がいいかなと思って
これを切り抜きました。
<カット4>2人が歩み寄る
ここも繋ぎのカットかと思いきや、
実はオマージュ全体の意味を裏付ける重要なファクターを担っております。
まず、2つの対比があります。
歩み寄りを、山陽戦では信から・肥下戦では羌瘣からした、
これが一つ目。
山陽戦は「後ろ側」から・肥下戦は「正面向き」で寄ったのが、二つ目。
これは2人が山陽戦と肥下戦の間の長い時間をかけて、
やっとお互いともに正面から歩み寄り合えた。
すなわち「想い合えた」ことの隠を込めた表現なんです。
【2人の距離が縮まった証その2】
肥下戦側の、羌瘣の「やっと追いついた」のセリフもおまけに
「(二人の気持ちが)追いついた=両想いになった」
と隠語になってます。
時間を隔てた2つのシーンが揃って
初めて意味を持つ隠語ってすごくないですか!?
正直に感動してしまいました!!。
なお、羌瘣と羌礼のほか、よく見ると後ろの兵たちも下馬し、
馬に乗っているのは楚水のような怪我人らしいことから、
無事な兵たちが皆、怪我人の乗った馬を引きながら徒歩で移動したので、
殿が追いついて来ないと錯覚するほど到着が遅れたのでしょうね。
羌礼は「死ぬほど疲れた」(69巻149ページ)と言っており、
以前羌瘣も「下馬した方が大勢斬れる」(51巻25ページ)と
言っている通り、羌瘣と羌礼は早い段階で馬を降り、
羌瘣も山陽戦の時のように鉢巻が取れるほど無双して笑、
人を斬りまくったのも確かでしょうね。
(山陽戦でも羌瘣は鉢巻取れてましたものね。)
<カット5>
羌瘣とのアイコンタクト+信の羌瘣への名前呼びかけ+ハグ
一連のこのシーン中心の描写です。
ここでは画と構成の都合上、この3つセットで一つのカットとしました。
まず、ハグ自体に2つ対比があります。
信が左手で胴を支えるのは両方共通です。
山陽戦では右手は背中に添えているだけ
(抜いている剣を持っているので仕方ないんですが)に対し、
肥下戦は頭を抱えることでちゃんと右手も使っているんです。
これが1つ目。
【2人の距離が縮まった証その3】
ちなみに天才バスケットマンが添えるのは左手だけ(@●ラムダンク)。(・・・つまらんネタごめんなさい爆)
山陽戦では二人とも「抜いている剣」を手にしたままの抱擁で、
「二人は戦いの中で絆を作っている」表現が隠に込められており、
対して、肥下戦の「刀を納めて」の抱擁は、
「戦いの場でなくても心を通わせる」表現が隠に込められています。
これが2つ目です。
【2人の距離が縮まった証その4】
山陽戦以降、黒羊戦と宜司平野の2回信と羌瘣のハグが描かれましたが
二人とも剣を手にしていないのは、この肥下戦が初めてになります。
そしてそもそも、このシーンが持つキングダムのドラマ上の意味。
肥下戦のハグは、
信がハグを目的として初めて羌瘣を抱きしめたシーンです。
【2人の距離が縮まった証その5】
山陽戦は別にハグしたかった訳ではなく、
「倒れそうな羌瘣を支える」のが目的ですもんね。
続きまして、アイコンタクトについて。
いきなりですみませんが、この時の羌瘣のカットと、
カット1の信が思い浮かべてた羌瘣の姿とも比べてみてください。
それぞれ信が思い浮かべてた虚像の表情と似てませんか?。
山陽戦はボロボロで気が付きにくいですが(苦笑)。
正確に言うと肥下戦ではこのカットの一つ前の歩み寄りの直後で
「ん?」と羌瘣が最初に目が合うカット(69巻147ページ)があり、
カット1との比較の意味ではそっちの画の方が似てると思います。
その直後の、おそらく羌瘣と目があったであろう信と合わせて
アイコンタクトだけで独立したカットにする方が
作者様的には正しいとは思ってます。
今回の組み合わせを見ていただきたかったのは、
このときの羌瘣、山陽戦での疲労度の差を差し引くと、
2つのカットとも優しい上目遣いという同じ表情である上、
右耳の横の毛の遅れ具合、前髪、顔の汚れ方、描き方が似ています。
・・・まるでここだけ時間が止まっているかのよう。
これ私、このオマージュ記事を書く中で、
両方のカットを並べて見た時に初めて気がついたんですよ。
その後、カット1との関連に遅ればせながら気がついた、
と言う流れでした。
ここも個人的な感動ポイントだったので、
強引にこの組み合わせで紹介したわけでした。
なお、後で暇な人は確かめてみて欲しいのですが笑
(今回面倒なのでやりませんが)信の顔の傷跡も実は似ています。
山陽戦のこのカットと、肥下戦のこの後のカット8が分かりやすいかな。
そしてここでやっと、カット1にて信が虚像の羌瘣を
思い浮かべてたことが実を結びました。
どちらのシーンも、
信はどのような表情の羌瘣に会いたいかが具現化できていたから、
引き寄せの法則が発動してこのハグに結びつくことが出来た、
と言う解釈です。
都合よすぎですかね?。
でも「未来に会う羌瘣を予言してた」よりもまだ現実的ですよね?。
↑こっちの方が腹落ちはするんですが(笑)。
あと、「ふざけんな」と言う悪態であろうとも
(もしかするとこの2シーン以外の常にかもしれない)
信が羌瘣に想像内で語りかけている時は、
信が直近の自分の記憶を頼りに
羌瘣の表情を自分好みに思い浮かべていることを意味しており、
それは山陽戦でも肥下戦でも共通に「彼女の優しい笑顔」
であったと言うことでしょう。
・・・くぅーっ、ウブじゃねーかよ。。。
なんちゅーくすぐったいことやっちゃってるやつなんだ、信お前。
↑これをめちゃくちゃ引きずってるじゃん、
かわいいのはお前じゃ!!(爆)
<カット6>信の、腕の中にいる羌瘣への第一声
山陽戦では怒りに任せ直前まで自分の思っていたことを
感情そのままぶつけてます。
これはこれで信の率直な熱さが伝わってくるのですが、
倒れ際に笑顔を見せた羌瘣に対してちょっとかわいそうじゃないかな、
まだガキンチョだなーとか思っちゃいました。
一方肥下戦では、自分は「失いたくない」と思っていたし
それを何よりも伝えたかったかもしれないけど、それよりも、
自分のそんな不安を、戻ってきてくれることで解決してくれた、
羌瘣に向ける言葉を何よりも先に口に出しました。
ここでも信が大人の成長を見せてくれてました。
【2人の距離が縮まった証その6】
<カット7>羌瘣の、信の腕の中での最初の一声
羌瘣、山陽戦ではハグはスルーして「信の第一声」に反応し、
肥下戦では「ハグ自体」に反応しています。
もちろん山陽戦と異なり、肥下戦までの間で羌瘣が
信への恋心を自覚している差が出ているんでしょうが、
ここはハグに至るまでの状況の差
(死にそうかそうじゃないかとか、みんなに見られているか
そういうわけでないとか)も大いに含まれていると思うので、
一旦、二人の距離としてのカウントはしません。
で、です。
実は、ここが個人的、今回のオマージュ一番の見せ場です!!
山陽戦の羌瘣の言葉
「ひどいな、私なりに、頑張ったのに・・・」
を見てから、
直前のカットに戻り、肥下戦の信の言葉を見てみてください!!
この↑言葉を最初読んだ時は
「なんか『隊長』の立場を崩し切れてない第一声だな?、
ハグっちゅー全然隊長らしくないことしているんだし笑、
後述で自分も言っている通り弱気だったんだし、
どうせならもっと会えた時の『個人』としてのストレートな感動を
伝えた方が自然じゃないの?。」
と、不思議に思ったんです、私。
ですが・・・
オマージュのために何度も2シーンを行ったり来たりしながら
読んでいるうちに・・・!!、気がついてしまったんです、
ここが、繋がっていることを!!
山陽戦で腕の中の羌瘣に「労って欲しい」と言われたから
肥下戦で信は、ちゃんと抱きしめてからの第一声で、
個人としての喜びや心配の気持ち
(「戻ってきて嬉しい」「心配した」など)ではなく、
羌瘣が望んでいた労いの言葉をかけているんです!!!
ここで明確に、しっかりと、
山陽戦(過去)と肥下戦(未来)までの時間が繋がりました!!
この関連に気がついた時、めちゃくちゃ感動で震えました私!!!!
このオマージュ記事を紹介したかったのは、
ここの見事な関連を是非是非感動していただきたいと思ったからです!!
・・・だからもう、この記事ここで読むのやめてもいいですよ笑。
・・・え、これ、感動ですよね!?、
みんな実はすでにそんなの知っててスルーしてたの??(汗)。。。
とりあえずまだ読んでいただいていることを前提に
記事は書いていきますね笑。
羌瘣はご存じのとおり、羌礼のような自己顕示欲はなく、
以後これから隊のためにボロボロになって戦う状況が
彼女にとって当たり前となり、
信が「いつもすまねぇ」(51巻50ページ)と詫びることを
むしろ「そんな下らない話」扱いしていくくらいです。
なので山陽戦のこのセリフは、羌瘣が自分を労ってほしいと
作中で述べるとても珍しいシーンなんです。
信が意識的に気に留めたか分かりませんが、少なくともこの時に、
このことが信の深層意識の中の「信が羌瘣個人を労う」
行動原理となったのかなと想像してます。
多分、素で信が羌瘣個人を労ったことは1回もないはず。
まるで労いは抱きしめた時の決めゼリフ的に取っているかのよう(笑)。
朱海平原の戦いでの最後の配給で信が古参の将校に手渡しで配給した時、
羌瘣以外にはちゃんと労いながら渡したっぽいのに、
羌瘣だけにはふざけて渡してしまってた笑(54巻35ページ)。
もっとも、羌瘣の隊は飛信隊本体から独立しており、
羌瘣自身も信に雇われれている将ではないはずなので、
信は羌瘣に対して「"労う"立場」(=目上)ではないのも
確かだと思います。
で、ここで以前、情熱大陸で作者様が述べられていたと言う、
「2人が結ばれるとした場合の伏線になる」
の意味が明らかになったと思いました。
(私、情熱大陸見てません(哀)。)
上記を述べられたのは、黒羊丘の戦いの信の羌瘣救出シーン。
この時の信のセリフは以下の通り。
↑セリフ前の「・・・」は、ちょっと信なりに考えたんでしょうね。
次のハグ機会では労いたいと思っていた(だといいな笑)けど、
勝手に斥候先に留まって、しばらく起き上がれない怪我までした上に、
今の逃げる力まで残してない肝心の詰めの甘さは、やっぱりバカだよな。
・・・なんて思ったのかな。
信は一応山陽戦よりも少しだけ、
咀嚼してから口に出す成長を見せてくれました。
で、上記シーンのオマージュとなった、宜司平野での戦い。
李牧の罠から抜ける飛信隊の道を作った直後、羌瘣を受け止めて、
馬上で「ああ、バッチリだ」(66巻185ページ)と言ったシーン。
もしかすると信的にはこっちが本来の初労いだったのかもしれません。
でも心配が先に立って「大丈夫か!?」と言ってしまったばかりに、
先に羌瘣に「丁度よかったろ?」と問われた返しになっちゃって、
『初労い』としては微妙な形になってしまった(苦笑)。
発言前の信の「・・・」では「あ、言われちゃった」と思ってそう(笑)。
何気に、徐々に、徐々に、ちゃんとした労いに進んでいたなんて
萌えるじゃないですか(笑)。
これを機に、信が腕の中の羌瘣に労うシーンは定番になるかもですね、
えへへ。
・・・話が脱線しまくりました(汗)。
<カット8>信が腕の中の羌瘣に近況報告をする
いわゆるラブラブタイムってやつです(照)。
抱き合わなくても言えるだろって内容ですよね(爆)。
単なる、抱き合っている時間稼ぎですな笑。
あ、一応肥下戦では、羌瘣が前カットで「ちょっと!?」と、
ハグに戸惑ったことに対する、ハグへの言い訳も兼ねてるようです。
信が羌瘣への想いのフラグが立ったのは、
羌瘣から天幕で告白された時点であると別考察で想定しました。
この時は、桓騎たちのように、本来倒れるなんて
考えが及んでなかった奴らが皆現実に倒れ、
羌瘣たちが追いついてこないこともその流れかもしれない現実も、
状況的に考慮せざるを得ませんでした。
でも信は、その覚悟が「弱気」のせいで出来ないまま、
結果的に、暗闇に向かって羌瘣の虚像を思い浮かべながら
突っ立っているだけだった中で、
自分が何よりも望んでいた、無事な羌瘣の姿を見たのでした。
虚像ではない「現実」の羌瘣を確かめたい、
羌瘣が「生きている」実感を何よりも強く感じたい、
そんな気持ちと、積み重ねてきた羌瘣への「想い」の気持ちが相まって
羌瘣を腕で包みたい「愛しさ」となり、ハグの衝動を抑えられなかった、
・・・と言うことだったのでしょう。
信の「すまねぇ」は、羌瘣たちが戻ってくることを信じ切れないと言う、
「弱気」の原因をこっちの勝手な解釈で作ってしまったことの詫びが
表向きの意味でしょう。
羌瘣もそのように解釈し、後カットではハグには言及せず
上記内容の返しを応えてます。
あと、進展したくないと以前羌瘣が言っていたことを
結果的に守らずハグして「驚かせて」しまったことや、
軍を前へ進めなくてはいけない立場なのに
それがおざなりになり将としても「情けなかった」こと、
そしてカット1で「ふざけんなと思ってた」ことも、
「すまなかった」意味に含んでいて欲しいな、と思います笑。
あと・・・「時間稼ぎ」なんて言っちゃってごめんなさい、
シーンの描き方、実はよく見ると対比でした。
山陽戦は抱擁中の2人にわらわらと他隊員が寄ってきており、
まだ「2人だけ」の空間が形成できていない感じの描写です。
一方、肥下戦では逆に既に周りにわんさかいる状況なのですが、
現在の2人の空間には「2人以外」の何ものも写らない描写ですね。
【2人の距離が縮まった証その7】
<カット9>羌瘣が微笑んでハグの感想を伝える
山陽戦が「離せ、バカが移る」と伝える拒否の表現だった一方で、
肥下戦は背中に手を回した受け入れを表現しており、
これも対比になってます。
【2人の距離が縮まった証その8】
山陽戦で「拒否」とは書いたものの、一応フォローしておきたいのですが、
このカット、これはこれですごく良いんです。
このちょっと前で「くにゃ」っと羌瘣が完全に脱力するシーンが
こっちにはあり、厳しく口では責めていたのに、それでもずっと、
信がしっかり抱きしめ支え続けてくれてる状態です。
信が、強敵の輪虎を討って、無事に戻ってきただけでなく、
満身創痍っぽいのに、そんな力強さを感じさせてくれている。
このカットの羌瘣は、そのことがとても頼もしくて安堵している、
すごくいい微笑みだと思います。
この時期の二人の距離からすると、これ以上ないラブシーンでしょう。
それに、羌瘣は戦いに入る前、すでに羌象の言葉の回想で
と、既に自分に「バカが移っている」自覚を持ってました(笑)。
今更本気で「バカが移ったら困る」とは思っていないでしょう。
やっとこの段階になって羌瘣は頬を赤らめており、
ここでは「これ以上」と言う意味で、照れで発した言葉だったはずです。
ただ、この言葉のせいか正直なところ、当初ここの一連を読んだ時、
羌瘣は無理矢理抱き抱えられてて迷惑に思ってたんだなーと、
ラブシーンと思わず読み流してしまってました、私は。
シーン最後の印象は、その後の記憶へのインパクトが本当に大きく、
以前、河了貂が信に抱く気持ちについて、著雍戦での凱孟との問答シーンを
「河了貂は信のことを男性として好き」風なやり取りで
締めていることから、そのように読者が思い込むようになった、
と考察した↓ことと同様なのかな、と思いました。
山陽戦連載時、当時の話の流れや人気度合い、本誌の都合など、
二人をカップルと匂わせないようにする戦略だったのかな、と想像します。
カップルだとバレると、この後羌瘣が飛信隊を去ることや、
河了貂がヒロインとして復帰することを、かなり非難されそうですからね。
もしかすると、この時点ではカップルでもない2人の抱擁?を、
堂々とコミックスの表紙にいきなりガツンと採用したことも、
読者に、このシーンはいくらなんでもラブシーンじゃないよなと
思わせる工作だったのかもしれませんね。
肥下戦は、羌瘣らしい「見くびるな」的なツンツンさを伝えつつの
「受け入れ」なのが萌えますね笑。
この表情、今までの羌瘣の表情の中で一番好きだと言う人は
多いのではないでしょうか。(はい✋私もです笑)
むしろ素直すぎる羌瘣のこの受け入れでしたが、
ここを含めた一連の彼女の恋愛観について、別考察で深堀してみました。
なかなかディープにはなりましたが、よろしければご覧ください。
<カット10>信の言葉で締める
山陽戦は、信の「うるせぇ」と言う文句+言葉だけのカット。
肥下戦は、信の「分かってる」と言う理解+2人の姿のカット。
(羌瘣は頭だけだけど)
特に、2人が抱き合っている姿が最終的なカットに入っているかいないか、
という対比も、細かいようですが距離感を表す指標に
なっているんじゃないでしょうか。
【2人の距離が縮まった証その9】
2シーンともこのカット直後、他隊員を描写することで
一連のオマージュの幕を引きました。
この後、山陽戦では信は羌瘣が寝ている状態で支え続ける一方、
肥下戦ではハグを解いて歩みを進める、と、信の行動が
前カットの羌瘣の感想と対比に動いていくのが面白いですね。
2:ハグシーン全体的な共通項
続きまして、ショットカットごとのオマージュだけではなく、
ハグシーン全体についてもオマージュがあり、そちらを6つ紹介します。
(2023/12、6つ目追加しました。)
いやー本当にすごい作り込みですわ。。。
<共通項1>
ハグの結果、信が羌瘣について心に留めていたことが皆にバレる
山陽戦では「羌瘣が女であることを含めた、彼女の境遇と悲しい過去」。
肥下戦では「信と羌瘣が想い合っていたこと」。
山陽戦まで、なんで羌瘣が女性だと信は皆に明かさなかったのかの考察は、
機会があれば別記事で書きたいとは思います。
今言えることは、羌瘣は以前自分で
と語っており、第一人称も「私」をそのまま使いつづけ
(でも多分信以外の隊員の前で「私」と言う描写はされていない)、
自然の流れに任せるスタンスで行動していました。
表向きには信もそのスタンスに従ってたと言うことなんでしょう。
むしろ「女性と打ち明ける行為」自体が背後の彼女の過去&境遇の説明
とセットであるので、こんな重い話をだれかれ構わず話すことの方が
面倒臭そうですよね。
ただ、300人隊の副長程度の肩書きで一人の天幕を与えられたり
(18巻87ページ)、素顔もそこそこ晒しているはずなのに
なんで全然女とバレないかが本当に不思議で仕方なかったです。
やっぱりそれは女と思えないほどの知略と戦闘力はもちろんでしょうし、
おまけに豪快な食べっぷり(笑)のためもあったかもしれませんね。
肥下戦では、直接的な行動に出た信の行動で、
信の想いが表明できたのはその通りですが、
羌瘣が信のことが好きなことは読者は知っていますが笑、
作中では公式に皆には公開されていなかったはずです。
で、羌瘣のハグ受け入れが、羌瘣も信を想っている表明と取れる、
と言えるのかもしれないんですけど、
ハグの文化圏では、ハグをされたからやり返すのは礼儀であり、
ワールドワイドの読者を持つキングダムですし笑、
それだけだと決定的な証拠には足りないかもしれないから、
ここに立ち会った羌礼(羌瘣が信を好きなことを知っている人)に
(隊長を好きな瘣姉が、隊長にハグしてもらえたことは、瘣姉にとって)
「ご褒美じゃな」
と言うセリフを言わせたのかな、と思いました。
<共通項2>秘密を知った隊員たちの態度が両極端
これは対比の関係です。
山陽戦→怒鳴って怒る
肥下戦→静かに温かい目を向ける
それにしても肥下戦、特に羌瘣の後ろすぐに控えている羌瘣隊の目の前で
ハグしちゃってるんでしょ。
「羌瘣様ぁ!!」と言う叫びをするような人(笑)は
たまたま近くにいなかったってことかな?、気になります笑。
<共通項3>秘密に気づいていた人が立ち会う
気づき方が中途半端だったのも、共通事項です。
山陽戦は、田有が羌瘣が女とまでは気がついていたっぽい描写でした。
流石に過去までは知らず、田有が想像している彼女の境遇に
言及したことが、信が羌瘣の過去と境遇を話すきっかけになりました。
肥下戦では、羌礼。
礼が確実に知っているのは羌瘣の気持ちだけで、信については、
「瘣姉に好かれるなんてラッキーなやつめ、
結婚してもらえるチャンスだありがたく思え」的に、
半ば強引に、信が羌瘣を好きになるに違いないと
決めつけていただけです(笑)。
2人の抱擁の瞬間、羌瘣自身も驚いているのに、
羌礼だけが驚きの表情で描かれていない(69巻151ページ)のは
結構印象的でした。
礼は隊に追いついた時、昂よりも先(笑)に
「お・・・隊長」(147ページ)と信を目にしており、
ここですでに信の目線が羌瘣にロックオン笑されていて、
自分らが目に入っていないことに気がついていたんでしょうね。
<共通項4>尾平がいい仕事する(笑)
山陽戦では当時もこの尾平のフォローが格好良すぎと
話題になってたことを覚えています。
ちゃんとこの前に渕さんが
「今まで通り変わりなく・・・」(22巻93ページ)と信が望んでいる
「大切な仲間扱いするよ」表明をし、
本来ならそこでめでたしめでたしでもよかったのに、尾平はむしろ
「(戦う力はチートだがそれでも)ちゃんと女の子として扱おう!」
って言ってるシーンなんですよね。
結果的に隊としても尾平の方針に従った形になります。
ですが羌瘣本人に対して尾平は、
「(女だからと言って特別扱いすることなく)今まで通りって言ってんだ」
(23巻55ページ)と、
羌瘣自身は何も気を使わなくていいと言ってくれちゃってました。
「考察その3」で河了貂の「信→羌瘣」フラグが立った考察をした時↓、
同じタイミングで尾平も同様のフラグを感じたようだとも書いたのですが、
それはおそらく肥下戦でのこの仕事
(阿吽で状況を察し、他の兵の冷やかしを止める)
をさせるためだったんでしょう。
尾平は羌瘣にとっても外の世界での最初の仲間でもあります。
ここで見せた「尾平が羌瘣を裏では女性と扱って支えていく」フラグは、
この先、信と羌瘣が距離を縮める時にもまたいいお仕事をしてくれる
期待を過度にします(笑)。
<共通項5>信の飛信隊戦果に対する主体認識
(2023/12追加項)
山陽戦:信自身の手柄として戦果を評価
肥下戦:信と羌瘣2人で挙げた戦果として評価
当初はオマージュにしてませんでした。
肥下戦は表向き「"戦果"評価」とは言い難く、
この対比があること自体分からなかったからです。
これは番吾戦直前の、私の多分史上最高に好きな、
信と羌瘣2人だけの檄のシーンでの信のセリフで
と、飛信隊を信が「自分と羌瘣2人のもの」と認識していたことが
気づきの発端でした。
山陽戦、一応羌瘣は介子坊別働隊の進軍を全滅させる形で止めると言う、
そこそこ(いやかなり)すごい戦果をあげてます。
ですが信は原作では結局そのことに触れずに終わってるようです。
この戦いでは信自身も死にかけており、
彼にまだそんな余裕があると言うわけではないと言うことでしょう。
肥下戦は、このセリフの後に続いている
「(だから)みんなで秦(くに)に帰ろう」、が、
=「自分達の部隊を殲滅に近い敗戦から帰還させられることが可能」
(69巻153ページ)を意味しており、この事実はある意味「戦果」です。
もちろん「俺達」は「信と羌瘣(と飛信隊)」と言う意味で、
2人揃って成し得た戦果だった、と捉えることも一応可能かと思います。
なので正確にはこの後のこのセリフも込みでの対比ですね。
信は直前の、羌瘣からの「私はいつも帰ってくるだろう」の返事で
「ああ、分かってる」と答えてますが、
ここの「生きている」と言うセリフは、
まさに羌瘣と抱きあえたから実感出来たため、
発することが出来たのでしょう。
このオマージュはここだけではあまりにも無理くり感拭えませんが(苦笑)
他の公式ハグ場面笑にここの遷移を見ることができてます。
黒羊戦のハグシーンにて、信は羌瘣救出後程なくして
と報告してました。
羌瘣の成果を確かめたのかどうかは原作では言及されていません。
まだこの辺は山陽戦に近いですね。
ですが次の公式ハグ、宜司平野での飛信隊の道作成時では
と、羌瘣に促されたものの(笑)ちゃんと羌瘣の成果を含めた
「2人の戦果」として信は評価できてます。
カット7での「羌瘣への労い」考察で述べたことにも近いのですが、
信が飛信隊の戦果を自分と羌瘣2人のことと認識し始めたのか、
表題でネタバレすでにしておりますが(笑)、考察記事にしてますので
余裕のある時に一連読んでいただければ幸いです。
(まとめページだけリンクしていますが全部で5つの記事になってます。)
<共通項6>飛信隊が先行して秦まで帰ることを許された戦局
これはおまけだと思いますが。
締めくくりとしてこの後の戦局とそれに伴って帰国する飛信隊への
ナレーションがきれいな対比で描かれていました。
山陽戦→(大将の)蒙驁が褒美として帰宅を許可
肥下戦→(多分大将の王翦が)家で休むのを許可
山陽戦→勝者として帰る
肥下戦→敗戦の極み
山陽戦→足取りは決して重くはなかった
肥下戦→足取りは当然決して軽いものではなかった
オマージュのご紹介は以上になります。
まとめ:山陽戦フラグを心配しすぎて空ぶった件
実は、これらのハグ関連以外で、2つの戦いの共通項かもしれないと、
山陽戦の帰路の中で一つフラグを危惧していたイベントがありました。
それは「羌瘣が飛信隊から離脱する」ことでした。
山陽戦の帰路の途中で羌瘣が仇討ちに旅立ったじゃないですか。
で、山陽戦ではなまじその旅立ちシーンが感動的だったじゃないですか。
肥下戦ではファンが待ち望んでいた最大幸福イベント:
信と羌瘣の仲確定シーンが入ってしまったので、
その分「仇討ちの離脱」にオマージュさせるような、
真逆の悲しい羌瘣のイベントの発生を本当に心から心配してました。。。
(今冷静に考えてみれば、その「離脱」イベントが確固たる「桓騎退場」の位置付けなのかもしれません。ですが当初(今も)、羌瘣の仇討ちごとき(失敬)と桓騎退場が同列とは想像できなかった苦笑)
実際肥下戦で、閼与に無事に着いてから以降、その帰路においても、
羌瘣の姿が全然見えなかったじゃないですか。
心配すぎて、豆粒みたいな兵をいちいち全部チェックしちゃった
(苦笑)。。。
帰国後すぐ韓非子編になってしまい、
羌瘣の存在なんてかすりも触れられず(苦笑)、
信が次の任務で韓に行ったように、
裏で羌瘣にも何か別の任務が与えられてて、それに関連した事情が発生し、
帰れなくなっちゃってるとか、余計な妄想ばかりして(苦笑)
気が気でなかったです。。。
城戸村編でしれっと羌瘣が現れ、
めちゃくちゃ安堵したのは言うまでもありません。
むしろ、彼女のお家を見せてくれたり(これ本当に気になっていた)、
裏で信と事前に一緒に城戸村に行く約束までしといてくれたり、
心配していた代償まで払ってもらってむしろプラスにしてくれてありがとう
なのでありました(笑)。
山陽戦に関連した、大きなフラグと思ったことについては
別記事で書きましたので、
興味ある方は読んでいただければと思います。
(途中から有料にしてます、すみません苦笑)。
すごく長い記事になってしまいましたが、
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!