短期的思考の罠
私は結構漫画に慣れ親しんだ世代である。
そして、生きていく上で必要なことは漫画から多く学んだ。
様々なジャンルを読むが、今回は『闇金ウシジマくん』の『金と銀』から学んだことを書いてみようと思う。
この二作品は人間が極限状態に置かれたときの心理や行動を描き出しており、深い洞察を与えてくれる。
この2つの作品に共通するのは、短期的な行動がもたらす結果や、人間の弱さを描いている点だろう。
『闇金ウシジマくん』では、中学生の丑嶋が転校先で後の舎弟になる「柄崎」が率いる不良グループに囲まれるという場面が描かれる。
カッターナイフ一本握りしめて丑嶋は、「最初の一人は必ず殺す!」と宣言し、不良たちを圧倒した。
この言葉によって、不良たちは自分が「最初の一人」つまり「犠牲者」になりたくないという恐怖に囚われ、身動きが取れなくなる。
丑嶋はその後も徹底して引かない態度を貫き、「逆らうべきではない人間」という評価を築き上げる。
この行動は短期的な勝利にとどまらず、長期的な優位性を確立する結果を生んだ。
一方、『金と銀』では、有賀という凶悪な殺人鬼が、自分を監視する相手を逆に支配し、皆殺しにしようとする場面が描かれる。
彼はその際「希望によってネズミは死ぬ……!」と語る。
彼は、相手に逃げ道を与えることで反抗する意志を削ぎ、心理的に支配する手法を用いる。
恐怖に支配された相手は逃げ道がある限り戦うことを放棄し、逃げることだけに集中する。
これにより、有賀は逃げ出した相手を後ろから仕留めるという冷酷な手段を楽しむ。
希望という概念を利用したこの心理戦術は、相手を完全に無力化し、結果として自らの優位性を強化した。
丑嶋の「恐怖」と有賀の「希望」。これらの戦術は一見すると対照的だが、どちらも心理的な優位を握るための行動であり、短期的な成功が長期的な影響をもたらしている点で共通している。
そして、これらのエピソードは、丑嶋を集団で攻撃しようとした不良達や有賀の監視者達側に目を向けると、日常生活における人間の行動にも多くの示唆を与えてくれる。
たとえば、「研修医には診てもらいたくないが、一人前の医者には診てもらいたい」という矛盾した心理がある。
この感情には、長期的な恩恵を享受したいが、短期的なリスクは避けたいという人間の弱さが現れている。
研修医が医者として一人前になるためには、実際の患者を診て経験を積む必要がある。しかし、私たちは自分がその「実践の場」となることを躊躇してしまう。不安や恐怖を感じるのも無理はない。
それでも、一人前の医師が増えることは社会全体の利益となるし、その恩恵は自分にも与えられる。
ここには、個人の短期的な感情と全体の長期的な利益との間にある葛藤がある。
このような短絡的思考、目先の利益を追い求める行動は、一見合理的に見えるが、後に大きな負債を招くことがある。
高利の借金に頼ることは、短期的には金銭問題を解消するかもしれないが、長期的には返済不能やさらなる借金を招く可能性が高い。
環境問題もまた、短期的な利益を優先する選択の結果が積み重なった事例と言えるだろう。
人間が短期的な利益に引き寄せられやすいのは、進化の過程で身につけた生存戦略が関係している。
我々は「今ここ」の危機や快楽に敏感で、長期的な問題よりも目の前の問題に集中するようプログラムされている。
また、現代の社会環境も短期的な満足を助長する仕組みで溢れている。
SNSやスマートフォンは、即座のフィードバックや快楽を提供し、長期的な目標に取り組む意欲を削ぐ一因となっていると思う
これらを麻薬に例えることもあるが、言い得て妙だ。
では、このような傾向をどう克服すればよいのだろうか。
正論を言えば「長期的な視点」を意識的に取り入れることしかないだろう。
先述した研修医の例で言えば、研修医に診てもらうことへの不安を超えて、「この経験が医療全体の向上につながる」と捉え直す視点が大切ということになる。
重要な選択をする際には、「この決断が5年後、10年後という時間軸で、あるいはシステム全体にどのような影響を与えるのか」と問い直すことも有効だと思える。
だが、一方で、進化の過程で身につけた生存戦略は、前述したように麻薬のようなものだ。
感情を煽って人間の思考に入り込んでくるものに、どこまで抵抗できるのか。
全ての人間がこれに抗うことができるとは思えない。
現実的に我々にできるのは、時々立ち止まって、丑嶋や有賀のエピソードを振り返り、長期的な判断ができているか、考えることくらいではなかろうか。
また、時には自ら彼らのような心理的な戦術を用いて、組織、社会、構造といった個人を超えた大きなものと戦うことも必要かも知れない。