自己実現は可能か?
自己実現とは、自己概念を完成させることだと思う。
これは「笑って死ねるように生きること」と同義であると思う。
であるならば、自己実現は単なる経済的成功や社会的な評価を超えた個人的な充足感や人生の意義を追求するプロセスと言える。
私は以前。自己実現が本当に可能なのかどうかについて、懐疑的であった。
その背景には、YouTuberのHIKAKINが発信した「好きなことで生きていく」というメッセージがあった。
HIKAKINはYouTubeプロモーションを通じて「好きなことをして生計を立てる」という考え方を広めたが、この発言には疑問を感じた。
「好きなことで生きていく」というのは、一般的には好きなことをして収入を得ることを指すが、この考え方は、好きなことが経済的に合理性のある範囲に収まる場合にしか成立しないのではないか、と感じたのである。
たとえば、アートや文学のように一部の人には深い満足感を与えるが、経済的な見返りが少ない分野もある。
このような経済合理性の外側にある「好きなこと」を持っている人々にとって、「好きなことで生きていく」というのは容易なことではない。
また、仮に別の仕事で収入を得たとしても、その分、好きなことに割ける時間が限られてしまうため、自己実現は難しいのではないかという懸念があった。
しかし、最近になって、自己実現は必ずしも経済的な成功と直結しているわけではない、と思えてきた。
私たちが必要とする収入は、本当にそれほど大きいものなのだろうか。
現代社会では、探せば安価で手に入る住居もあり、食費も工夫すれば抑えられる。
娯楽に関しても、たとえばNetflixのようなサブスクリプションサービスを利用すれば、
低コストで充実したエンターテインメントを楽しむことができる。これらを考えると、経済的に余裕がなくても豊かに暮らす方法はあるのではないかと思えるようになった。
さらに、現代の消費社会においては、マーケティングや広告が無意味な欲望を喚起し、私たちに常に「もっとお金が必要だ」と感じさせる仕組みが存在している。
しかし、本当に必要なものはごく限られており、これらの外部からの影響を減らすことができれば、それほど多くの収入を得るために労働に時間を費やす必要はないかもしれない。
仕事を適度な範囲に抑え、余暇を自己実現に費やすことで、自己概念の完成に近づくことができるのではないだろうか。
笑って死ぬためには、他人や社会の期待に応えるだけでなく、自分自身が本当にやりたいことに取り組み、それを達成することが重要である。
もちろん、自己実現は一朝一夕に達成できるものではない。
しかし、その過程で得られる充足感や、自己成長の喜びは、単なる金銭的な成功よりも遥かに価値があると感じている。
自己実現を目指す上で大切なのは、現実的な制約を考慮しつつも、自分の価値観や目標を見失わないことだと思う。
経済的な合理性を超えた部分での自己実現を追求するためには、自分にとって本当に大切なものが何かを明確にし、それに向けて行動を続けることが必要だ。
たとえ収入が限られていても、自由な時間を確保し、その時間を自己実現に向けて有効に使うことができれば、笑って死ねるような人生を築くことができるのではないだろうか。
自己実現とは単に好きなことをして生計を立てるという狭い意味ではなく、むしろ自分自身との調和を保ちながら、人生の終わりに後悔なく笑っていられるような生き方を実現することだと思う。
そのためには、不要な消費を促す広告やマーケティングを意図的に遮断することで欲望をコントロールしながら、現実的な生活の中で自分にとって本当に大切なものに集中する生き方が求められる。
そんな生き方を全うできたならば「ああ、いい人生だった」と笑って死を受け入れることができるのだと思うのだ。