シュタイナー「人間生成学」(GA183)より(その9)
私たちの前には、「外的世界」が広がっています。一方、私たちの後ろには、「内的世界」が広がっているのですが、それには気づきません。私たちの後方に「記憶の壁」というのがあって、起きている間は、その世界と一体化できないようになっているから、というのがその理由のようです。逆に、寝ている間に見る夢というのは、「内的世界」と一体化している状態と思われます。ところで、「外的世界」と「内面世界」は一つの世界の表と裏なので、もし、「記憶の壁」がなかったとしたら、かなりまずいことになっていたはずです。例えば、幼い頃にDVに遭った人が今度は自分の子供にDVをする、というようなことがままあるようですが、もし、幼い頃の出来事を記憶として閉じ込めておくことができれば、一種の「素質」になることはなく、そういうことにはならなかったはずです。
Sie bleiben, wenn Sie wachend sind, mit der Außenwelt vereint, sonst würde alles in wachem Zustande durch Sie durchgehen. Sie würden eigentlich von den Eindrücken nichts wissen, Sie würden die Eindrücke bekommen, aber könnten sie gar nicht festhalten.
「皆さんは、目覚めているとき、外的世界と一体化したままに留まっています。そうでなければ、目覚めた状態でも、すべては皆さんを素通りしたことでしょう。皆さんは実際、その印象については何も知らず、たとえ印象を得たとしても、それを保持することはほとんどできなかったことでしょう。」(シュタイナー「人間生成学」第2講より、私訳)