「悪」には、人間をどこまでもひきずり下ろそうとする悪と、どこまでも引っ張り上げようとする悪の2種類あるようです。重要なのは、これら二つの悪の間で難しいバランスを取りながら日々生活することであって、「そんなことは自分には関係ない、皆と同じようにしておけば大丈夫」というような日本人にありがちな生活スタイルこそが、これら二つの悪の思うつぼなのではないでしょうか。
Daß wir die Welt materialistisch vorstellen, daß wir uns e
R. シュタイナーは、「エーテル的な意味での献身とは、他の存在あるいは事象の中で自分を体験することであり、愛とは、自分の魂の中で他者を体験することである。」と言っています。自分を含めて、「愛」と「献身」は同じようなものだと思っている人が多いと思われますが、どうも正反対のもののようです。「献身」では、他者が前提となるため、その中で自分をしっかり保つ必要があるのに対して、「愛」の場合は、あくまでも自分が前提となるため、できるだけ自分を抑制する必要があるわけです。かつて、オウム真理
普通、人が何かを考えるとき、自分が何を考えているのかを知りません。何故なら、何かを考えるということは、「その」考えに支配されている状態に過ぎないからです。我々が「本当に」考えるということは、シュタイナーに言わせれば、「我々はある概念の内容を、純粋な直観によって、理念(アイデア)の世界から借定する。」(Wir bestimmen den Inhalt eines Begriffes durch reine Intuition aus der ideellen Sphäre he