自分という任務
どうすれば「自分らしく」あれるのか?自分とは、本当は大宇宙である、ということに気づくときでしょう。死ねば、誰でも大宇宙(星)になるわけですが、生きている間は、大宇宙には不可能なこと、つまり、努力することができます。困難(悪による働きかけ)は努力するためのきっかけにすぎません。むしろ、感謝して受け入れることで、悪を救済する道が拓けるでしょう。これがキリスト(お互い様)への道です。もう一つの道は、何かに「ハマって」自分を忘れ、自分自身が悪の存在、自分以下の存在になることです。これがアシュラ(俺様)への道です。どちらも「自分らしく」と言えば言えますが、方向性は逆です。どちらに「成る」かは全くの自由ですが、実はキリストに近づくための「自由」だけが人間には付与されているのであって、アシュラに近づくのは何らかの「強制」によるものです。人間には悪いことをする「自由」があるという考え方自体が、悪魔(ルツィフェル)による働きかけの結果だからです。「人間は努力している限り救われる」byルドルフ・シュタイナー