シュタイナー「人間生成学」(GA183)より(その7)

我々は何故「自由」であると言えるのか?一言で言えば、「閉じ込められている」からです!それって、正に不自由じゃないの?と言われそうですが、確かに、もし、精神的にすべてがお見通しであったとすれば、物理的にも何不自由なく生きていけたはずです。神様とは正にそのようなものである、と思われるかも知れませんが、実はそれ、神様じゃなくて、悪魔の方なんですね~我々は物理的な身体の中に閉じ込められ、あれこれ考えながら何とかしようと苦しんでいるからこそ「自由」なのであって、それこそが盲目的な「愛」を可能にしているものである、と言えるでしょう。というのも、もし、相手のことがすべてお見通しで、全く自分の思い通りになる人であったとしたら、その人を愛することなどとてもできないはずなので(^^;)
Wären wir so organisiert, daß wir nicht genötigt wären, diese gewissermaßen unausgefüllten Begriffe, diese dunklen Begriffe vor uns hinzusetzen, so wären wir liebeleere und liebelose Wesen; steinerne Naturen wären wir, trockene Naturen. Wir könnten nichts in der Welt gern haben, wir wären alle Mephistophelesnaturen.
「もし、私たちがこれらのいわば内容のない概念、暗い概念を私たちに対置せざるをえないように組織されていなかったとすれば、私たちは愛に欠けた存在、愛のない、石のように乾燥した存在になっていたことでしょう。私たちは皆、世の中に何の喜びも見いだせない、メフィストフェレスのような存在になっていたはずです。」(シュタイナー「人間生成学」第2講より、私訳)

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