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町屋 二十九歳 女 ひとり暮らし 序章

そういえば、町屋に住むのは夢でした。

夢、といっても、高校のテスト終わりにスタバで肩肘を付きながら「芝生の庭付きの家で大きい犬と一緒に暮らしたいわぁ」とか何とか言うのとおんなじくらいの、怠惰で不真面目な夢でした。

そんな夢はきっとおませで退屈な高校生のため息の数ほどあったのですが、おおかたすっかり忘れてしまって、たぶん忘れるくらいしょうもないことだったのだと思います。

町屋暮らしの夢も普段は頭の片隅にさえ浮かばないのですが、何故かほんの時々思い出すのでした。幼稚園の時に買ってもらった星の砂の小瓶とか、学生の頃お気に入りだったピン留めとかボタンとか、 何となく捨てられないものたちと同じように。そうして久しぶりに着たワンピースのポケットからピン留めが無事に出てきたりすると、妙に嬉しく、ほっとするのでした。(それをまたポケットに戻すところが、私の雑なところ。)

セブンティーンの心の淵に霞んだ桃源郷を、ほんの時々眺めては見失ってを繰り返し10年と少し。

29歳になった私はどういう成り行きか、京大と吉田山に挟まれた2階建ての町屋に暮らしています。暮らしてはいるのですが、半年以上経った今でも時々帰宅して玄関のドアをあけると、あれ、私、ここに住んでいるんだっけ?と不思議な気持ちになるのです。

友人たちに「ほんまにあんた町屋に引っ越したん」と聞かれると、何となくたじたじしてしまうような、妙に小っ恥ずかしいのと分不相応なことをして後ろめたいようなのと色々なものが入り混じって、微妙な気持ちになるのでした。

それでも朝起きて階段を降りると、すりガラスに濾過されてやわらかくなった光がダイニングの上に落ちかかっていたり、肌では気がつかない程度のそよ風が道すがら風鈴をちりんと鳴らしていったり、いつも同じ時間に同じ鳥の声がするのに気が付いたりすると、あ、うれしい、と素直に思います。

そうだやっぱり、小さくて立派ではないけれどここは確かに古い町屋で、17歳の自分の桃源郷に、私は今暮らしているらしいのだと。 たぶん、昔の自分が思い描いていた「町屋に暮らしている(きっと素敵な)ひと」と今の自分が程遠いものだから、おかしい感じがするのかも知れません。まったく、フラペチーノをのみながら分別くさいため息なんてつくもんじゃありません。

昨夜、リビングにラグを敷きました。途端に、ずっと切れていた電球にあかりが灯ったみたいに、家の空気がほんのり温かくなって驚きました。何となくよそよそしい家を、こうやって自分の居場所にしていくのだなと思いました。

なかなか手をつけられなかった一番大きな段ボールを、そろそろ開けてみようと思います。私の引越しの荷物の7割程度を締める本が詰め込まれた9箱もの段ボールは、押入れの闇の中でうっすら埃を被ろうとしています。頑なにこの段ボールを開けなかったのは、本棚に本を置いてしまうといよいよ定住することが決まってしまうように思えてなかなか勇気が出なかったから。ここに住むんだぞ、と決心するのに、私は10ヶ月を要したみたいです。

そういえば、大きな本棚のある部屋というのも夢のひとつでした。と言っても、大きな本棚なんてないので、まず作るところから始めないといけないのですが。(道のりは遠い、いや私の足が遅い。)

ポケットから見つけたボタンは、今度こそ裁縫箱のかんかんにしまおうと思います。

2023年10月24日


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